ヴェネチア旅行の魅力とは?歴史を踏まえて深く紹介!

 ヨーロッパの中でも独自の発展を遂げてきたヴェネチア。かつては東洋と西洋をつなげる海洋帝国として栄華を極めました。現在は美しい景観と爛熟した文化の「水の都」として、世界中から観光客を惹きつけています。この記事では、ヴェネチアの魅力と歴史を、貴重な歴史画像をふんだんに使いながら、紹介していきます。ヴェネチア旅行・留学・移住をより面白く、豊かなものにします。

 以下では、まず観光スポットとその魅力を、有名どころから穴場まで紹介します。紹介します。次に、ヴェネチア観光で知っておくべき情報をお知らせします。

ヴェネツィアのおすすめの観光スポット9選【2024年版】

1,カナル・グランデ(Canal Grande)

 ヴェネチアは水の都市といわれるように、縦横無尽に運河が走っています。そのほとんどは細くて小さな運河です。それに対し、大きな運河が街中を通っています。これがカナル・グランデです。長さは3kmほどに達します。

 深さは平均で5メートルで、幅は30−70メートルほどです。ヴェネチアの街をSと逆の形で貫いています(地図のど真ん中の運河)。

ヴェネチアの地図

 カナル・グランデはヴェネチアの美しい景観の代表例の一つとして知られてきました。そのため、しばしば絵画の題材となってきました。

カナル・グランデ 利用条件はウェブサイトで確認
18世紀のカナル・グランデ

 カナル・グランデの両岸には、宮殿や教会などの壮麗な建物が立ち並んでいます。たとえば、ペザーロ宮殿(現在は美術館で利用)やドーロ宮殿が有名です。これらの建物がカナル・グランデの美しさを一層引き立てています。昼の姿も夜の姿も美しいので、じっくり眺めてみることをおすすめします。

ペザーロ宮殿 利用条件はウェブサイトで確認
18世紀のペザーロ宮殿

 カナル・グランデはヴェネチアの大動脈であり、人や物の輸送に必要不可欠です。というのも、水の都ヴェネチアは車が通行禁止になっているためです。カナル・グランデの移動では、ヴァポレットという船や水上タクシーが主に利用されています。

 ほかにも、警察や病院の船、物資やゴミを運搬する船など、様々な船が通行しています。様々な船が織りなす水上の風景を眺めてみるのもよいでしょう。

現在のカナル・グランデの動画(画像をクリックすると始まります)

これぞヴェネチアという映像です

2,リアルト橋(Ponte di Rialto)

 カナル・グランデには、有名なリアルト橋が架かっています。ここには最初、12世紀後半、モネタ橋という木製の跳橋が架けられていました。しかし、火災などによって崩壊と再建を繰り返しました。

 そこで、ヴェネツィア政府はここに石造のアーチ橋を建造することにしました。美しく、同時に、船の航行を妨げない橋が求められました。この企画をコンペティション方式で進めました。

 イタリア・ルネサンスの代表的な芸術家ミケランジェロもこれに応募しました。最終的には、アントニオ・ダ・ポンテの案が選ばれました。 この新たな橋がリアルト橋であり、1591年に完成されました。 

リアルト橋 利用条件はウェブサイトで確認
18世紀のリアルト橋(左奥)とカナル・グランデ

 

 大理石で造られたアーチ橋であり、当時の最先端技術が用いられました。それ以来、橋の上にはたくさんの商店が軒を連ねています。

 長らく、リアルト橋はカナル・グランデを渡る例外的な方法でした。というのも、20世紀まで、カナル・グランデに架かる橋はリアルト橋だけだったからです。それまで、カナル・グランデの移動は主にゴンドラでした。

 そのため、カナル・グランデと橋を組み合わせた風景はリアルト橋でしか見られませんでした。絶好の観光スポットになったわけです。

3,アカデミア美術館(Gallerie dell’Accademia di Venezia)

 ヴェネチアで絵画を鑑賞したいならば、ぜひとも訪れたいのがアカデミア美術館です。ここでは、14−18世紀のヴェネチア人の画家たちによる絵画が展示されています。基本的にはヴェネチア絵画に特化した美術館といえます。

 その中でも有名なのはやはり、ベッリーニ親子、ジョルジョーネ、ティツィアーノ、ティントレット、ティエポロ、カナレットあたりでしょう。なお、ダ・ヴィンチの素描のコレクションもあります。彼の有名な人体図も所蔵されています。

 もともと、この美術館は1750年に設立されたヴェネチアの絵画・彫刻・建築アカデミーの一部でした。このアカデミーで学生を育てるために、絵画などの様々な美術資料が集められました。1817年、そのコレクションのギャラリーが一般公開されました。

18世紀のアカデミー 利用条件はウェブサイトで確認
18世紀のアカデミア美術館の建物(右側)。アカデミア橋はまだ存在しない

 しかし、この時期、ヴェネチアはフランスのナポレオンに打ち負かされ、その支配下に置かれました。ヴェネチアの諸教会などで所蔵されていた絵画などの多くが没収されました。その一部がパリのルーブル美術館やミラノのブレラ美術館などに送られました。

 それでも、ヴェネチアのアカデミーは一般市民の寄付によって、ギャラリーを充実させていきました。また、フランスなどに散逸した自分たちのコレクションを取り戻す活動を展開しました。その結果、徐々にコレクションが充実していきました。

 1879年には、このコレクションのギャラリーとアカデミーが分離されました。19世紀末あたりから、コレクションの内容はヴェネチア絵画に特化していきました。このような困難な時期を経て、ヴェネチア絵画の名画が集められ、現在に至ります。

4,サン・ロッコ兄弟会の会館(Scuola Grande di San Rocco)

サン・ロッコ兄弟会館 利用条件はウェブサイトで確認
18世紀のサン・ロッコ兄弟会の会館

 ヴェネチア派の絵画を堪能するうえで、次におすすめしたいのはサン・ロッコ兄弟会の会館です。兄弟会とは、キリスト教の平信徒たちが結成した団体です。ヴェネチアでは、ルネサンスの時期に多くの兄弟会が活発に活動していました。その最たるものがサン・ロッコ兄弟会です。

 サン・ロッコ兄弟会はロクスを讃えるキリスト教の平信徒団体です。サン・ロッコは14世紀前半のフランス人で、ペストを奇蹟的な力で癒やしたという逸話の人物です。そのため、ペストにたいする守護聖人として知られました。中世ヨーロッパではペストが猛威を振るっていました。そのため、サン・ロッコは人気の聖人でした。

 ヴェネチアのサン・ロッコ兄弟会は15世紀後半に設立されました。当時、数多の兄弟会が慈善活動などによってヴェネチア社会を支えていました。兄弟会はそれらの活動を互いに競って行うようになりました。さらに、自分たちの会館の装飾や建築を素晴らしいものにすることでも競うようになりました。

 兄弟会の会館は、ヴェネチア社会を自分たちの力で支えているという自負や誇りが結晶化したものだといえます。それらの中でも、サン・ロッコ兄弟会の会館は傑出しています。

 この会館の内部は、なんといっても、ティントレットの優れた作品で埋め尽くされています。ティツィアーノやティエポロの作品もあります。ティントレットの作品で構築された美の空間を堪能することができます。

サン・ロッコ兄弟会の会館内部の動画(画像をクリックすると始まります)

ヴェネチア市民の自負と誇りを垣間見ることができます。

5,サンティ・ジョヴァンニ・エ・パオロ大聖堂(Basilica di Santi Giovanni e Paolo)

 ヴェネチアには多くの教会が存在しています。教会の建築や装飾、展示物もまた美的作品の一つと言えます。その中で、ここではサンティ・ジョヴァンニ・エ・パオロ大聖堂を紹介します。15世紀に一通り完成したゴシック様式の教会です。

 高さが55メートルあり、ヴェネチアの教会としては最大級です。多彩なステンドグラスを使用するなど、装飾も凝っています。

サンティ・ジョヴァンニ・エ・パオロ大聖堂 利用条件はウェブサイトで確認
18世紀のサンティ・ジョヴァンニ・エ・パオロ大聖堂

 この教会の注目点は建築や装飾だけではありません。墓や記念碑もみどころです。この教会はヴェネチア政庁と密接な関係にありました。そのため、ここにはヴェネチアの偉人たちの墓や記念碑が置かれています。この墓碑や記念碑は装飾が凝っていて、それ自体がルネサンス美術などの作品でもあります。

 レパントの海戦で勝利したヴェニエ大統領などの記念碑があります。また、ジョヴァンニ・ベッリーニとジェンティレ・ベッリーニもここに埋葬されています。なおかつ、彼らの絵画も飾られています。

現在のサンティ・ジョヴァンニ・エ・パオロ大聖堂の動画

6,サン・マルコ大聖堂(Basilica di San Marco)

 ベネチアの教会の中でも、中核を占めるのがサン・マルコ大聖堂(寺院)です。ベネチア観光スポットの代表例の一つです。この大聖堂は聖マルコの遺骸を収めるために建てられた聖堂です。聖マルコはキリスト教の新約聖書の一部を書いたとされる重要人物です。9世紀に、ベネチア人が聖マルコの遺骸をエジプトからベネチアに移送しました(歴史紹介の部分で詳しく説明します)。その後間もなく、サン・マルコ大聖堂の建設が開始されました。

サン・マルコ大聖堂 利用条件はウェブサイトで確認
19世紀前半のサン・マルコ大聖堂

 この大聖堂の特徴として、当初はヴェネチア大統領の私的な礼拝堂だったことが挙げられます。ヴェネチアの政治的トップの教会であり、政治と宗教が密接に結びついた空間でした。

 これが一因となって、サン・マルコ大聖堂はヴェネチアという国家の中枢に組み込まれていきます。たとえば、聖マルコがヴェネチアの守護聖人となり、そのシンボル(翼の生えたライオン)がヴェネチアの公式シンボルとなりました。

ヴェネチア共和国の旗 利用条件はウェブサイトで確認
ヴェネチア共和国の旗

 また、その結びつきがサン・マルコ大聖堂に災厄をもたらしました。10世紀、ヴェネチア市民が大統領に反乱を起こした際に、この大聖堂が破壊されたのです。その後、1071年、大聖堂は再建されました。現在の建物はこの時代から続くものです。

 サン・マルコ大聖堂はギリシャ十字に5つのドームを伴う形状をしています。これはビザンツ帝国の首都だったコンスタンティノープルの聖使徒教会と同形です。ヴェネチアが海洋帝国としてビザンツ帝国と深い関係を築いたからこそ、このようなビザンチン文化の影響を受けることになりました。

 その後、大聖堂の装飾や彫刻などが追加されていきました。大聖堂内部には、ライオンの彫刻が随所にみられます。12世紀初頭には、有名なパラ・ドーロが製作されました。これは大聖堂の主祭壇の裏側にある祭壇画です。これもビザンチン様式でつくられ、まばゆい光を放っています。

 第四次十字軍の際には、ビザンツ帝国から四頭の馬の彫像を奪い、大聖堂に飾るようになりました。教会の内部はモザイク画で覆われていて、一つの完結した宗教的空間をつくりだしています。

 また、大聖堂には博物館が併設されています。上述の四頭の馬のオリジナルなど、様々な貴重な彫刻などを見ることができます。大聖堂の上の階にあがることもできますので、おすすめです。サン・マルコ広場を大聖堂の上階から眺めることができます。

現在のサン・マルコ大聖堂の動画

7,サン・マルコ広場(Piazza San Marco)

 サン・マルコ大聖堂の眼前には、サン・マルコ広場が広がっています。中世ヨーロッパの都市には、中心部に広場がありました。一般的に、その都市の主な教会と市庁舎の間に主な広場がつくられました。ヴェネチアの場合は、それがサン・マルコ広場です。

 広場は市場が開かれた場所でした。さらに、政治的・宗教的儀式が繰り広げられる空間でもありました。宗教行列などがその例です。宗教行列自体は仏教でもお練り行列のようなものがあります。キリスト教においても、宗教行列は飢餓や戦争などの災厄を神に取り除いてもらうなどの目的で行われてきました。現在も様々な国で続けられています。

宗教行列 利用条件はウェブサイトで確認
16世紀のサン・マルコ広場での宗教行列(左上がサン・マルコ大聖堂)

 サン・マルコ広場の景観もまた素晴らしいものとして有名です。そのため、17世紀以降、しばしば絵画や版画の題材となってきました。美術館のような都市ヴェネチアの代表的な空間の一つといえます。

サン・マルコ広場 利用条件はウェブサイトで確認
18世紀のサン・マルコ広場

 広場の北側と南側には、16世紀にヴェネチア官庁の建物がつくられました。その一角には、14世紀末につくられたムーア人の時計塔があります。19世紀初頭に、ナポレオンの翼棟が広場に建てられました。ナポレオンはこの広場に感銘を受け、「ヨーロッパで最良の応接間」と呼んだそうです。

 広場の一角には、カンパニーレ(鐘楼)があります。カンパニーレは10世紀頃に建てられました。しかし、20世紀初頭に倒壊しました。その後、再建され、現在に至ります。エレベーターで上までいくことができます。そこから、ヴェネチアの風景を一望できます。

現在のサン・マルコ広場の動画

8、ドゥカーレ宮殿(Palazzo Ducale)

 サン・マルコ広場からカナル・グランデの方向に移動すると、ドゥカーレ宮殿があります。ドゥカーレ宮殿は大統領の邸宅であると同時に、ヴェネチアの政治の中心地でした。 
 ドゥカーレ宮殿は9世紀初頭に建てられました。しかし、10世紀の大統領への反乱で焼けました。その後、現在の宮殿は14世紀から16世紀にかけて建造されることになります。

 ゴシック様式、ムーア様式、ルネサンス様式の特徴を組み合わせたものです。建物の中では、様々な評議会や委員会の会議が行われました。さらに、大評議場では、ヴェネチアの貴族たちが集まって政治的決定を下しました。

ドゥカーレ宮殿 利用条件はウェブサイトで確認
16世紀のドゥカーレ宮殿

 ここでは、大評議場の意義を少し掘り下げてみてみましょう。ヨーロッパの中でも、ヴェネチアは独自の発展を遂げた国でした(18世紀末までは独立国でした)。長らく、ヨーロッパでは王様の君臨する王国が一般的でした。しかし、ヴェネチアは大統領をトップに据えながら、200ほどの家門の貴族が政治を担う貴族制の共和国でした。

 ヴェネチア貴族たちは自ら海洋貿易に従事し、ヴェネチアを海洋帝国として発展させました。彼ら貴族たちが一堂に介して、祖国の行く末について討議しあったのが、大評議場です。祖国の命運を握る名門貴族として、自負をもって大評議場での討議に臨んでいたことでしょう。

 16世紀の火事で、ドゥカーレ宮殿は再び被害が出ました。大評議場の改築に際して、ティントレットが腕をふるいました。大統領などの重職者たちの座席側の壁に、世界最大の油絵『天国』を制作したのです。ヴェネチア貴族たちはキリストや聖人たちの姿を仰ぎ見ながら、国家にとって重要な事柄について話し合い、決定を下していたことになります。

 この時代のヴェネチアの政治とキリスト教がいかに密接に結びついていたかを示すものです。大評議場で『天国』を眺めながら、かつてのヴェネチア海洋帝国の繁栄に思いを馳せてみるのも一興でしょう。

大餅議場 利用条件はウェブサイトで確認
18世紀の大評議場(一番奥の壁に『天国』)

 ちなみに、ドゥカーレ宮殿の東側は隣の牢獄と「ため息橋」でつながっています。この橋は1600年頃に建設されたものです。その名前は囚人たちが牢獄に移動する際にため息をしたことに由来しています。ゴンドラでこの橋の下を通るときにキスをしたカップルは永遠の愛を成就できるという言い伝えがあります。

現在のドゥカーレ宮殿の動画

9,フェニーチェ劇場(Teatro La Fenice)

 ヴェネチアで音楽を鑑賞したい方には、フェニーチェ劇場がおすすめです。フェニーチェ劇場ではオペラを堪能できます。

 17世紀にイタリアでオペラが広まっていきました。ヴェネチアはその中心地の一つでした。フェニーチェ劇場は1792年に設立された由緒ある劇場です。19世紀初頭には、著名なオペラ作曲家のジョアキーノ・ロッシーニが『タンクレディ』 を初演しました。

 その他にも、ヴォルテールの小説に基づく『セミラミデ』をこの劇場のためにつくり、初演しました。

セミラミデ 利用条件はウェブサイトで確認
ロッシーニのセミラミデ

 1836年、劇場は焼失し、翌年に再建されました。1844年、著名な作曲家ヴェルディがフェニーチェ劇場に移ってきました。ヴェルディは『エルナーニ』や『リゴレット』、『アッティラ』や『椿姫』などを初演しました。

 その後も優れた作品がフェニーチェ劇場で上演されました。20世紀には、イーゴリ・ストラヴィンスキーの『牧神』やセルゲイ・プロコフィエフの『火の天使』などが上演されました。このようにして、フェニーチェ劇場はイタリア・オペラの発展に貢献してきました。1996年の火災後、2003年に再建されて、現在に至ります。

現在のフェニーチェ劇場でのコンサートの動画

その他の観光情報

カーニバル(Carnevale di Venezia)

 ヴェネチアのカーニバルの始まりについては必ずしも定かではありません。11世紀頃には行われていたようです。当初は、冬の厳しい季節を乗り越えるための行事として行われました。キリスト教の儀式としての性格も帯びていました。13世紀頃までは、ヴェネチアのカーニバルはイタリア諸都市のカーニバルと大差なかったようです。

 14世紀頃から、ヴェネチアのカーニバルは土着の伝統と結びつき、独自のものとして発展していきます。たとえば、船の行列の儀式が行われるようになりました。さらに、ヴェネチアの国家的威信を高め、市民相互の紐帯を強めるような役割も担うようになりました。同時に、15世紀頃までは、卵投げや乱痴気騒ぎもしばしば起こりました。

 16世紀から、ヴェネチアのカーニバルは娯楽として大いに発展していきます。街全体がお祭り騒ぎになりました。街中で牛追い祭りを行い、花火も打ち上げました。音楽や演劇のショーも大々的に行われました。

ヴェネチアのカーニバル 利用条件はウェブサイトで確認
16世紀ヴェネチアのカーニバル

サン・マルコ広場では、馬上槍試合やトーナメントも繰り広げられました。カーニバルはヴェネチアの観光資源として利用されたのです。同時に、ヴェネチア国家の威信と魅力を対外的に宣伝する手段でもありました。

ヴェネチアのカーニバル 利用条件はウェブサイトで確認
16世紀のヴェネチアのカーニバル

 17世紀以降、ヨーロッパの王侯貴族がカーニバルを訪れ、豪華なパーティーやオペラを堪能しました。仮面をつけることで、普段の身分を隠し、非日常的なスリルや火遊びを楽しんだのです。しかし、19世紀、ヴェネチアがナポレオンに滅ぼされたことで、カーニバルの政治的側面は失われました。カーニバルが行われなくなりました。

 1980年になって、カーニバルが復活しました。現在のカーニバルは16世紀頃の祝祭としての側面を受け継いでいます。1月末から2月上旬に開催されています。仮面をつけて街を練り歩く観光客の光景が有名でしょう。水上と陸上で華麗なショーも行われます。街中がお祭り騒ぎになる特別な季節です。

2024年のヴェネチアのカーニバルの動画

ヴェネチアの冬の風物詩といえる映像です

街中の移動と船:ゴンドラ

 水の都として知られるヴェネチアの本島エリアでは、車は通行できません。その代わりに、街中の移動手段は徒歩か船です。カナル・グランデはヴァポレットや水上タクシーが使えます。しかし、カナル・グランデで直接到達できる部分は限られています。

 ヴェネチアの本島エリアは大部分が細い水路・運河と細い道で成り立っています。街中には400以上の橋が細い運河にかかっています。細い道と水路が織りなす風景は美しいものです。しかし、これらのエリアは旅行者にとっては道がわかりにくいものです。これらのエリアは徒歩かゴンドラで移動することになります。

 もちろん、ゴンドラはそれ自体が優雅な観光アトラクションでもあります。ゴンドラの操者がアリオストやタッソなどのイタリアの詩人の詩を朗唱しながら、目的地まで運んでくれます。ただし、水路でゴンドラが渋滞することもあります。お金と時間に余裕があれば、優雅に美の迷宮をゴンドラで移動するのもよいでしょう。

ヴェネチアのゴンドラ 利用条件はウェブサイトで確認
16世紀ヴェネチアのゴンドラ

 徒歩で行く場合、一つ注意点があります。グーグル・マップが正常に機能しないことが多いことです。比較的高い建物が細い道の両側に建っているような場所では、グーグルマップが正常に機能しにくいです。ヴェネチアにはそのような場所がたくさんあります。

 ですので、出発前に、あらかじめ目的地の大まかな位置を把握しておきましょう。移動中に、広場のひらけたスペースが定期的に現れます。その際に、グーグル・マップが機能しますので、自分の正確な位置を確認しましょう。

 あるいは、グーグルマップには完全に頼らずに、ヴェネチアの観光スポットの位置関係を覚えてしまうのもよいでしょう。街中には伝統的な看板がでていますので。

ゴンドラから見える風景の動画

ゆったりと寛ぎたいときにおすすめの映像です

伝統工芸とお土産:ガラス細工

 ヴェネチアの伝統工芸といえば、ヴェネチアン・グラスが有名です。ヴェネチアのガラス産業は9世紀に始まりました。11世紀には上級階級が好んで使用するようになり、次第に普及していきました。そのデザインは、ヴェネチアが海洋貿易で取引していたイスラム圏の影響を受けていました。14世紀には、ヴェネチアのガラス工房がムラーノ島に移されました。

15世紀のヴェネチアン・グラス

 15世紀に、ヴェネチアのガラス産業は技術革新をへて、カラフルなガラス製品を作るようになりました。17世紀まではヴェネチアの主要産業の一つとして盛んでした。18世紀頃から低迷期に入ります。

 しかし、20世紀になり、パオロ・ヴェニーニらの活躍により、ヴェネチアのガラス細工は芸術作品として息を吹き返しました。今日においても、お土産として人気です。

ヴェネチア・ガラス細工を職人が製作しているシーン

こういう職人技は見ていて飽きません

高潮と水没の問題

 水の都ヴェネチアは潮の満ち引きの影響を強く受けています。この満ち引きによって、街中の運河の水が入れ替わるためです。満ち引きがなければ、運河の水は腐り、深刻な衛生問題が生じるでしょう。

 しかし、20世紀以降、様々な要因により、ヴェネチアでは深刻な氾濫の問題が発生しています。特に、 南風と東風および高潮の条件が揃うと、水位が上昇して、ヴェネチアの土地が水没します。1966年には大氾濫が起こりました。

1966年の大氾濫の動画

なかなか衝撃的な映像です

 それ以来、この問題の解決策が模索されてきました。しかし、関係者の利害が複雑に絡み合っており、実効的な対策はいまだに取られていません。そのため、1966年の大氾濫が再来する可能性すら指摘されています。氾濫は10−12月に起こりやすいといわれています。

2019年の氾濫の動画

ヴェネチア旅行の魅力をより深く知るには

 ヴェネチア旅行の経験をより豊かで面白いものにするには、ヴェネチアの歴史をより深く知ることが有効な手段だといえます。ヴェネチアの歴史の要点は、この記事で知ることができます。

おすすめ参考文献


法政大学江戸東京研究センター編『水都としての東京とヴェネツィア : 過去の記憶と未来への展望』法政大学出版局, 2022

中平希『ヴェネツィアの歴史 : 海と陸の共和国』創元社, 2018

Eric R. Dursteler(ed.), A companion to Venetian history, 1400-1797, Brill, 2014

Hilliard T. Goldfarb(ed.), Art and music in Venice : from the Renaissance to Baroque, Montreal Museum of Fine Arts, 2013

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