現在は世界有数の観光都市として知られるヴェネチア。かつては、ヨーロッパの中で唯一無二の仕方で発展を遂げた独立国家でした。ヴェネツィア共和国はどのように発展し、栄華を極め、そして滅んだのでしょうか。どのようにして世界有数の観光都市へと変貌を遂げたのでしょうか。
ヴェネツィアの始まり
ヴェネチアは6世紀頃に、徐々に形成されました。次第に街が整備され、諸制度もつくられていきました。8世紀には大統領(Doge)の役職が設立されました。これはヴェネチアを対外的に代表する君主のような役職です。大統領の邸宅や政務の空間として、ドゥカーレ宮殿が9世紀に建てられました。
当面は、ヴェネチアはビザンツ帝国の支配下にありました。しかし9世紀にはその支配から解放されました。西にはカール大帝の神聖ローマ帝国があり、東にはビザンツ帝国があります。ヴェネチアは二つの帝国に挟まれながら、海洋商業国家として発展していきました。
聖マルコの国へ
9世紀前半、ヴェネチアにとって根本的に重要な出来事が起こります。ヴェネチアの商人が聖マルコの遺骸をエジプトからヴェネチアに移送したのです。遺骸を盗んできたとか、買い取ったとか言われています。
聖マルコが誰か知っていますか?聖マルコはキリスト教で重要視されている人物の一人です。というのも、キリスト教の新約聖書の一部を書いたとされるからです。また、キリスト教会が設立された頃に、使徒のペテロやパウロともに宣教活動を行ったためでもあります。聖マルコのシンボルは翼の生えたライオンです。
9世紀前半には、ヴェネチアでサン・マルコ大聖堂の建設が始まりました(完成は11世紀)。ここに聖マルコの遺骸が収められました。これ以降、聖マルコはヴェネチアの守護聖人として崇められ、ヴェネチアの精神的支柱となります。たとえば、聖マルコのシンボルがヴェネチアという国家の公式シンボルとして採用され、現在に至っています。
そのぐらい、聖マルコはヴェネチアの中核に組み込まれていくのです。サン・マルコ大聖堂がヴェネチア観光の最たる場所になっているのには、それ相応の理由があるのです。
海洋貿易での発展:1000−1200年
ヴェネチアは海洋貿易国家として発展していきました。ビザンツ帝国やエジプトなどと、香辛料や奴隷、織物などを交易しました。11世紀末には、カナル・グランデの近くに大きな国際市場が開設されました。11世紀後半には、サン・マルコ大聖堂が再建されました。サン・マルコ大聖堂前のサン・マルコ広場も賑わいました。
ヴェネチアとビザンツ帝国の対立へ
ヴェネチアとビザンツ帝国の関係は次第に変化していきます。ビザンツ帝国がノルマン人と戦う際に、ヴェネチアはビザンツを支援しました。そのため、ビザンツは自国との貿易で非常に有利な条件をヴェネチアに与えました。ヴェネチアはそのおかげで海洋貿易国家としてますます発展していきました。
しかし、その成長ゆえに、ヴェネチアはビザンツ帝国に警戒されるようになりました。また、ヴェネチア人は傲慢になり、皇帝を怒らせました。12世紀半には、両国の対立が強まっていきました。
ビザンツはイタリアのジェノアなどに自国との貿易を認め、ヴェネチアと競争させました。これがヴェネチアとジェノヴァおよびビザンツとの対立を激化させました。
海洋帝国ヴェネチアの繁栄:1200−1400年
その対立が1202年からの第四回十字軍として爆発しました。これは聖地エルサレムをイスラム勢力から取り返すという名目で始まりました。しかし、これに参加したヴェネチアはエルサレムを目指さず、ビザンツ帝国に向かい、首都コンスタンティノープルを襲撃しました。
ヴェネチアがこの戦いで勝利し、略奪を行いました。たとえば、4頭のヘレニズム時代の青銅製の馬の像を奪い取りました。これらはサン・マルコ大聖堂、中央門の上に置かれました。また、地中海に浮かぶギリシャの島々など、ビザンツ帝国の多くの領地を奪いました。
その結果、地中海貿易でさらに発展するようになりました。ヴェネチアの海洋帝国としての繁栄の時期です。ヴェネチアの通貨ドゥカートが国際通貨として使用されたほど、その影響力は強まりました。
貴族制国家としてのヴェネチア
海洋帝国として発展する中で、ヴェネチアは貴族が支配する国になりました。有力貴族が評議会を設立して、大統領とともに政務を担う仕組みをつくりました。そのメンバーは次第に増えていきました。評議会の数も増え、専門分化していきました。
しかし、13世紀には政治に参加できる貴族の家門が制限されるようになりました。14世紀には、200ほどの家門に限定されるようになりました。特定の貴族が何度か単独支配を試みましたが、他の貴族たちによって食い止められました。かくして、ヴェネチアは貴族制の共和国として確立されました。
海と陸での戦い
14世紀には、ヴェネチアは地中海ではジェノヴァと競争や戦争を繰り広げました。イタリア本土での戦いにも関わり始めました。ジェノヴァにたいしては、14世紀末に勝利を収めました。ヴェネチアは地中海の東部で勢力を確立しました。かくして、ジェノヴァは地中海貿易から締め出されることになります。
滅亡の危機に直面するヴェネチア:1400−1600年
このように、ヴェネチアは海洋帝国として栄華を誇っていました。ところが、一転して、ヴェネチアは滅亡の一歩手前にまで追い込まれます。その原因を三点挙げましょう。
第一に、ポルトガルがインド貿易を開始したことによる経済的危機です。この背景がなかなか興味深いものです。上述のように、ヴェネチアは地中海貿易の競争を制し、海洋帝国として栄華を誇りました。
その競争で敗北したジェノヴァは主軸を地中海貿易から大西洋貿易に移します。そのために、ジェノヴァ人はスペインやポルトガルに本格的に進出しました。これがいわゆる大航海時代の一因となりました。
1415年、ポルトガルがアフリカ北部の都市を攻略し、大航海時代が始まります。彼らの目的の一つは、東アジアと香辛料貿易を直接的に行うことでした。彼らはヴェネチアの香辛料貿易による莫大な富を羨んでいたためです。
そこで、スペインとポルトガルは競うように、アフリカ大陸の西海岸を南下していきました。ついに、15世紀末、ポルトガルのヴァスコ・ダ・ガマが東インド航路を開拓し、インドに到達しました。
16世紀前半、ポルトガルは東アジアとの香辛料貿易で莫大な富を築きます。その反面、ヴェネチアは東方との香辛料貿易で大打撃をうけ、経済的な危機を迎えたのです。つまり、ヴェネチアの海洋帝国としての繁栄が大航海時代到来の一因となり、インドでの香辛料貿易というポルトガルの夢を刺激して、自らに経済的危機をもたらすことになったのです。
ただし、ヴェネチアの香辛料貿易は16世紀後半にはある程度回復しました。ポルトガルが海洋帝国の構築になかなか成功しなかったのが一因です。
第二の危機は、オスマン帝国の地中海エリア進出です。15世紀半ば、トルコのオスマン帝国はビザンツ帝国を滅ぼしました。さらに西方に向かい、ヨーロッパや地中海エリアへの進出を図りました。そのため、ヴェネチアやその他のヨーロッパ諸国はこれに立ち向かいました。
しかし、皇帝スレイマン1世は強力であり、ヴェネチアは地中海の領土を次々と失うことになります。ヨーロッパ勢力がオスマン帝国にしっかりとした勝利を収めたのは、1571年のレパントの海戦が最初です。
ちなみに、滅ぼされたビザンツの学者たちは貴重な書物などを携えてヴェネチアに到来しました。それがヴェネチアのルネサンスの一因となります。それらの書物はサン・マルコ広場の図書館(16世紀前半に建設)に所蔵されました。この図書館では、海洋国家として重要な地図製作なども行われました。
第三の危機は、ヴェネチアがヨーロッパでの戦争に深く関わったことによるものです。長らく、ヴェネチアは海洋貿易に主軸をおいていました。そのため、イタリア本土にはあまり関心を抱いていませんでした。
しかし、15世紀には、イタリア本土での領土拡張を開始します。パドヴァやヴェローナなどを獲得しました。イタリアでの勢力図が変化し、不安定な状況になりました。周辺国はヴェネチアの領土拡大欲に苛立ちました。
そのタイミングで、15世紀末、フランス王がイタリアに進出を企てました。イタリア戦争の始まりです。その流れで、ヴェネチアは最大のピンチを迎えます。16世紀初頭、スペインやフランスやローマ教皇などがカンブレー同盟を結び、ヴェネチアに戦いを仕掛けました。
ヴェネチアは干潟の地形でなければ滅ぼされていただろう(=本土と陸続きなら滅ぼされていただろう)といわれるほど、完膚なきまでに負けました。イタリア本土の領地をほとんど失いました。その後は外交政策でどうにか危機を乗り切り、16世紀後半には息を吹き返します。
ヴェネチアのルネサンス
ルネサンスは古代ギリシャ・ローマの文芸を復興する運動です。14世紀頃からイタリアのフィレンツェなどで始まりました。これがヴェネチアに本格的に入ってくるのは、15世紀後半になってからでした。
絵画:ヴェネチア派
この時期のヴェネチアでは、優れた画家が多数登場し、ヴェネチア派を形成しました。ベッリーニ親子や、ティツィアーノ、ヴェロネーゼ、ティントレットなどが代表的です。彼らは官能的で彩りの鮮やかな絵画を制作しました。同時代のダヴィンチらと異なり、彫刻や建築などに従事せず、絵画を専業としました。
その優れた明暗の技法や光の用い方により、ヴェネチア派はレンブラントなどのバロック美術やルノワールなどの印象派にも影響を与えることになります。現在、彼らの絵画や装飾は美術館やドゥカーレ宮殿などの建物内でみれます。
建築
建築では、建物と彫刻が密接に結びついた建造物が建てられていきました。世俗の建物としては、1575年に完成したグリマーニ宮殿などが有名です。
16世紀末に再建されたリアルト橋も重要です。これは現代までヴェネチアの名所の一つとなっています。リアルト橋からサン・マルコ広場へと続くメルケリア通りは銀行が軒を連ねていました。
サン・マルコ広場の北側の長いファサードもまたこの時期につくられました。ドゥカーレ宮殿も改築を行っており、いわゆる「巨人の階段」がこの時期のものです。
ルネサンスの時代でも、ヴェネチアでは宗教活動が盛んでした。教会建築では、ピエトロ・ロンバルドが1481年に建設した サンタ・マリア・デイ・ミラコリ教会(Santa Maria dei Miracoli)がしばしば注目されています。15世紀に完成した教会としては、ドミニコ会のサンティ・ジョヴァンニ・エ・パオロ大聖堂やフランシスコ会のサンタ・マリア・デイ・フラーリ大聖堂も有名です。
また、兄弟会の建物にも優れたものがあります。兄弟会とは、キリスト教の平信徒たちが慈善活動などを行うために結成した信仰の組織です。当時のヴェネチアには無数の兄弟会が結成され、活動していました。
それらは競って自分たちの会館をつくり、優れた装飾で飾ろうとしました。その中でも、1560年に完成したサン・ロッコ兄弟会の会館は優れたものとして知られています。
政治的衰退と文化の爛熟:1600−1800
17世紀、ヴェネチアは地中海の拠点を実質的に失いました。もはやかつてのような、東洋と西洋を結びつける海洋帝国ではなくなりました。ヨーロッパの国の一つに収まっていったのです。政治的・経済的影響力も弱まっていきました。
その代わりに、水の都ヴェネチアは次第にヨーロッパの観光地として栄えるようになります。18世紀末以降、観光業はヴェネツィア経済の中心になるほどでした。ヴェネチアの美しい景色は絵画や版画などでヨーロッパ中に知られました。
今日でも、ヨーロッパの多くの博物館には、かつてのヴェネチアの風景画が所蔵されています。
さらに、ヴェネチア政府はカーニバルを観光と自国の威信の大概的な宣伝道具のために利用しました。ヴェネチアは観光大国として発展していったのです。
17−18世紀の文化
この時期の建築としては、バルダッサーレ・ロンゲーナによるペーザロ宮殿が有名です。他にも、バロック様式の建築が多く建てられました。絵画では、前世紀のヴェネチア派の影響がこの時期にも長く続きました。18世紀に、ティエポロらの優れた画家がヴェネチア派絵画を再び盛り上げていきました。
オペラの中心地へ
注目すべきは音楽です。オペラは16世紀末にイタリアで誕生しました。それが急速にイタリアで広まっていきます。イタリアで最初の公共のオペラ劇場を建てたのがヴェネチアでした。1637年に開業したサン・カッシアーノ劇場です。
イタリアで初ということは、世界初ということです。このオペラ劇場では、著名な作曲家のモンテヴェルディなどが活躍しました。ヴェネチアはヨーロッパのオペラの主要な都市として発展していきます。
18世紀、ヴェネチア教会では、いくつかの孤児院に音楽院を併設しました。そこでは、『四季』で有名なヴィヴァルディなどが活躍しました。18世紀末にはオペラのラ・フェニーチェ劇場が新設されました。ヴェネチアは音楽の都としていよいよ精彩を放ちました。
しかし、18世紀末、ヴェネチアは大きな転機を迎えます。この頃、フランス革命が起こりました。その流れで、ナポレオン1世が周辺国と戦争し、領地を拡大していきました。その一環で、ヴェネチア共和国を滅ぼしました。
ヴェネチアは長らくオーストリアの支配下に置かれました。上述のサン・カッシアーノ劇場は閉鎖され、取り壊されました。ただし、21世紀に入ってから、復元プロジェクトが立ち上がっています。
イタリアの統一へ
19世紀前半、イタリアは現在のような統一された独立国家ではありませんでした。イタリア統一運動がまさにこの時期に本格化していきます。
19世紀なかばに、ガリバルディらがイタリア統一のために戦い、1861年にイタリアが独立国家として誕生しました。その少し後に、ヴェネチアはイタリアに組み込まれました。
著名な作曲家ヴェルディらが上述のフェニーチェ劇場で活躍しました。さらに、オペラ音楽を通して、この統一運動を後押ししました。それらのオペラ楽曲がヴェネチアなどのオペラ劇場で上演されたのでした。
ヴェネチア旅行の魅力とは?
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おすすめ参考文献
法政大学江戸東京研究センター編『水都としての東京とヴェネツィア : 過去の記憶と未来への展望』法政大学出版局, 2022
中平希『ヴェネツィアの歴史 : 海と陸の共和国』創元社, 2018
Eric R. Dursteler(ed.), A companion to Venetian history, 1400-1797, Brill, 2014
Hilliard T. Goldfarb(ed.), Art and music in Venice : from the Renaissance to Baroque, Montreal Museum of Fine Arts, 2013