リエージュはベルギーのワロン地方の主要な都市です。交通の要衝にあり、中世から重工業で発展してきました。現在も様々な産業で活気があります。また、長らく司教が世俗領主を兼ねたため、多くの素晴らしい教会があります。文芸活動も盛んで、リエージュを中心としたモザン芸術の地でもあります。食事にかんしては、リエージュのワッフルが人気です。
以下では、まずリエージュのおすすめ観光スポットを厳選して紹介します。リエージュの観光の魅力をより深く知りたい、旅行の体験をより面白く豊かなものにしたい。そういった方々に、この記事は最適です。というのも、リエージュの豊かな歴史との関係でそれらの観光スポットを紹介するためです。
観光スポットのセクションの次に、リエージュの歴史を時系列に沿って概説します。歴史をしっかりと理解してから観光スポットの魅力を知りたいという方もいらっしゃるでしょう。そのような場合には、目次から歴史のセクションに移動してください。その後で観光スポットのセクションを御覧ください。
リエージュの観光スポット6選(2024年度版)
司教公宮殿(Palais des Princes Evêques)
司教公宮殿はリエージュを中世からフランス革命の頃まで統治したリエージュ司教公の邸宅です。かつて、リエージュはリエージュ公国の首都でした。その支配者はリエージュ司教公であり、司教でありながら世俗領主でもありました。
司教公宮殿が建設されたのは10世紀末頃です。最初の司教公のノトジェがこの宮殿と後述のサン・ポール大聖堂を同時期に建設しました。そのため、この宮殿はリエージュで最も重要な世俗的な建造物だったといえます。
宮殿は12世紀の火災で被害を受け、再建されました。その後も15世紀後半のブルゴーニュ公との対立にさいして、リエージュが略奪された際に、宮殿もまた被害を受けました。しかし、16世紀、リエージュが繁栄に戻った時期に、宮殿も再建されました。その後も増改築を続けます。
18世紀末にリエージュがフランス革命の余波で侵略された時には、大聖堂とともに略奪を受けました。19世紀なかばに大規模な修復がなされました。宮殿はルネサンス様式やゴシック様式、ロココ様式などの建物です。シノワズリ(中国趣味)の影響も受けています。現在は行政や司法で利用されています。
冶金・産業館(La Maison de la Métallurgie et de l’Industrie)
リエージュは中世から製鉄やガラスなどの重工業で発展した都市でした。関連する博物館を訪れることで、リエージュの歴史のみならず、中世から産業革命に至るヨーロッパの産業の歴史を知ることができます。
産業の発展により、社会のインフラなどの物質的条件が変化していくものです。都市や社会の外観や生活風景が変わっていくのです。そのため、産業にかんする博物館もおすすめの観光スポットです。
工業都市リエージュの発展は石炭と製鉄の産業から始まります。この博物館ではまさにこの始まりの産業の発展をみることができます。古い時代のヨーロッパの高炉やそれぞれの時代の道具などが展示されています。
グラン・クルティウス博物館(Grand Curtius)
グラン・クルティウスは、もともと独立していた複数の博物館を統合したものです。その中でも、三つのセクションを主にご紹介します。
第一に、ガラス製品専用のセクションがあります(ガラス博物館とも呼ばれます)。リエージュのそれぞれの時代のガラス製品をみることができます。さらに、古代から現代までの他地域のガラス製品も展示されています。有名なヴェネチアン・グラスや、アール・ヌーヴォーやアール・デコなどの作品もあります。
第二に、武器です。リエージュの武器産業はガラス産業と同じくらい古いものです。製鉄業で発展し、長らく中立国であり続け、交通の要衝にあったリエージュで武器が製造され、各国に流通しました。ここでは、伝統産業としての武器が展示されています。
第三に、宗教・モザン美術です。上述のように、リエージュは司教公の国でした。司教が治めていた国ですので、宗教面の文化も11世紀から本格的に発展していきます。この美術館では、宗教美術の作品を鑑賞できます。
特にこの美術館で特徴的なのは、モザン美術の作品です。モザン美術はあまり聞いたことのない方も多いでしょう。これはムーズ川の中流地域で、主にリエージュ司教公領で発展した美術です。11−13世紀頃にピークに達しました。
七宝(エマイユ)と金彫、象牙彫、写本彩飾などが主だったものです。ゴシック芸術に大きな影響を与えたことで知られています。リエージュならではの美術品を堪能したい方は必見です。
ワロン生活博物館(Musée la Vie wallonne)
ワロン地方はベルギーのフランス語圏を指します。ベルギーはワロン地方とフランドル地方(オランダ語圏)とブリュッセル首都圏で構成されています。リエージュはワロン地方の中心都市です。
この博物館では、ワロン地方での19世紀の生活風景をみることができます。ベルギーが独立し、産業革命のなかで発展していった時期です。リエージュの伝統的な人形にかんする展示もあります。
サン・バルテルミー教会(Eglise St Barthélémy)
リエージュには多くの教会が存在します。そのなかでも、古くからの建造物が維持されているのはサン・バルテルミー教会です。
ロマネスク様式の教会で、11世紀に建てられました。
特に有名なのがレニエ・ド・ユイの制作した洗礼盤です。これは上述のモサン美術の代表的作品であり、1108年頃に制作されました。ベルギーの7大秘宝の一つでもあります。
洗礼盤はキリスト教の洗礼の儀式を行う際に利用した聖水の容器です。11世紀頃から利用されていました。当初は赤ん坊の体全体が入るほどの大きさのものが多く、この教会の洗礼盤もそのぐらいの大きさです。
次第に、洗礼の儀式で身体を聖水に浸ける方式がとられなくなりました。そのため、洗礼盤のサイズも小さくなっていきました。12世紀ならではの大きさで、これほどの美術的価値のある洗礼盤を見ることができるのはリエージュならではでしょう。
サン・ポール大聖堂(La Cathédrale Saint-Paul)
この大聖堂はリエージュの中心的な教会です。10世紀後半、上述の司教公宮殿と同じ時期に建てられました。ロマネスク様式の祭壇はこの時期のものです。その後、大聖堂は修復や増改築をおこないました。全体としては、ゴシック様式の建造物です。
大聖堂の内部では、優れた宗教画や彫刻を鑑賞することもできます。歴代の司教公の墓もあります。宝物庫には聖ランベールと、ブルゴーニュのシャルル豪胆公の聖遺物があります。シャルル豪胆公は15世紀に繁栄したブルゴーニュ公国の最後のブルゴーニュ公として有名です。
ほかにも、様々な博物館があります。古代ローマ時代の考古学資料を展示したアルケフォーラムや、古代から現代までの照明器具を展示している一風変わった照明博物館(MUSÉE DU LUMINAIRE)、近現代美術館もあります。
リエージュのグルメ:ワッフル
ワッフルあるいはゴーフルはベルギーでは国民食となっています。地域差も大きいものです。リエージュのワッフルは丸みを帯びた形や、24の穴、生地に溶け込みながらもサクサク感を生み出すビーズシュガーなどが特徴です。
リエージュ市は「本物のリエージュ・ワッフル(Authentique Gaufre de Liège)」の認証制度を制定しています。リエージュ市がお墨付きを与えたリエージュ・ワッフル店のリストは市の公式HPのパンフレットに記載されています。
https://www.visitezliege.be/fr/page/authentique-gaufre-de-liege
このページのTelecharger la brochure gourmandeをクリックすると、パンフレットがダウンロードできます。パンフレットの最後のページにリストが載っています。現地の観光案内所で聞いてみるのもよいかもしれませんが。
リエージュ観光の動画(画像をクリックすると始まります)
リエージュの歴史
リエージュは古代ローマのころにはすでに集落が形成されており、レオディウムと呼ばれていました。現在のリエージュにつながるような都市が建設されたのは8世紀初頭です。近隣のマーストリヒト司教だった聖ユベールが司教座をこの地に移した結果、リエージュは都市となりました。
リエージュ司教公領の形成
10世紀後半、リエージュは神聖ローマ帝国に属する公国になりました。リエージュの司教が世俗領主をもつとめる公国です。11世紀まで徐々に領地を拡大していきました。リエージュはこの司教公領の首都となりました。
最初の司教公のノトジェがリエージュで学校を運営するなどして、リエージュをこの地域の文化的な中心地の一つとして発展させました。
11世紀から13世紀にかけて、モザン美術が発展していきます。これはムーズ川の中流域において、リエージュを中心として発展した美術です。象牙彫や金銀細工などで国際的に有名になりました。代表作の一つはサンバルテルミー教会の洗礼盤です。
リエージュが徐々に発展するにつれて、市民層が力をつけていきます。11世紀から、市民はギルドを形成し、自分たちの自治ルールをもちます。13世紀には、リエージュの議会に代表者を送ることができるまでになりました。
その結果、14世紀初頭には司教公と貴族にたいして、市民はリエージュの政治をめぐって立ち上がり、対決するに至りました。これはおおむね市民の勝利に終わりました。
経済都市としての勃興
14世紀には、リエージュは経済的に重要な転機を迎えます。周辺地帯で石炭産業と製鉄が開始されたのです。リエージュは工業地帯を形成し、これらが伝統産業となります。
15世紀、ブルゴーニュ公が低地諸国(現在のベルギーやオランダ)への進出を本格化させました。リエージュはこれに対抗しようと試みました。しかし、シャルル豪胆公に敗北しました。
その結果、1468年、リエージュは略奪と破壊を被りました。シャルル豪胆公の死後、リエージュは再建されました。皇帝と戦い、皇帝から中立を勝ち取りました。
15世紀末には武器産業を開始し、これも伝統産業となっていきます。16世紀、リエージュはさらに重工業の都市として発展しました。従来の製鉄や石炭、武器の産業に加え、ガラスや陶磁器なども生産するようになりました。かくして、経済的に繁栄します。
この時期、ドイツではルターの宗教改革が起こり、フランスでは宗教戦争が起こりました。低地諸国でも、宗教に部分的に起因するかたちで、戦争が起こりました。その中で、リエージュはどうにか中立を保ち、それらに巻き込まれないよう試みました。16世紀末には、バイエルン公の支配下に入りました。
17世紀には、フランスが絶対王政を確立しました。低地諸国の北部はオランダ共和国として独立し、南部はスペイン領でした。フランスはその南部やオランダ、そして神聖ローマ帝国と戦争を行いました。
その際に、それらに挟まれたリエージュも標的になりました。18世紀初頭のスペイン継承戦争でも、リエージュは戦地になりました。それでも、重要な工業都市であり続け、文化も発展していました。
フランスへの併合
1789年、フランス革命が起こります。フランス議会が王権と対決し、旧来の伝統的な政治体制を打倒することになります。同年、リエージュ市民はフランス革命に触発され、司教公に反乱を起こしました。
司教公は国外に亡命し、貴族たちの支配が終わりました。その後、フランスが対外戦争を始めます。1792年には、リエージュを占領しました。1795年、リエージュ司教公領はフランスに正式に併合されました。
オランダへの併合
フランス革命軍はナポレオンのもとで快進撃を続けました。しかし、1815年のワーテルローの戦いで敗れます。同年のウィーン会議により、原則的にヨーロッパの秩序はフランス革命以前の状態に戻すことになりました。
しかし、低地諸国のエリアはその例外でした。オランダと現在のベルギーのエリアは統合され、オランダ王国として独立させられました。リエージュはその一部となりました。
ベルギーの一部へ
しかし、オランダ王国の南部と北部は様々な面で対立しました。1830年、ついにベルギー独立革命が起こります。リエージュはこれに貢献しました。ベルギーが正式に独立し、リエージュはその一部になりました。ベルギーはこの時期に産業革命を起こし、工業国として発展していきます。
リエージュはシャルルロアとともにベルギーの主要な工業地帯となりました。ほかにも、金融などの第3次産業も発展していきました。国立大学や国立音楽院が新設され、文化も発展していきました。
現代
20世紀前半、リエージュは2度の世界大戦で一定の被害を受けました。戦後、復興していく中で、伝統産業の石炭鉱業や製鉄産業が衰退しました。これに変わる新たな産業の開発が推進されてきました。
現在は、伝統的なガラス産業や武器産業、冶金や機械、食品などの工業が盛んです。鉄道や高速道路、河川の結節点という地の利を活かしています。とくに、西ヨーロッパで第3の重要河港をもっています。また、ベルギーのワロン地域(フランス語圏のエリア)の主要都市の一つとして、文化の面でも重要な都市です。
ベルギーのおすすめ観光地
☆ブリュッセル:ベルギーの首都で、現在はヨーロッパの首都ともいわれる国際都市です。グランプラスのような美麗な広場もあれば、ベルギー独立に直結する歴史的空間もあります。首都だけあって、美術館も第一級です。
☆ブルージュ:北西部の都市で、中世ベルギーの街並みを堪能できます。14世紀にはヨーロッパでも屈指の国際商業都市として発展し、その頃の街並みがほぼ変わることなく現在に残っています。
おすすめ参考文献
森田安一編『スイス・ベネルクス史』山川出版社, 1998
松尾秀哉『物語ベルギーの歴史 : ヨーロッパの十字路 』中央公論新社, 2014
Bruno Demoulin, Histoire de la principauté de Liège : de l’an mille à la révolution, Privat, 2002