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ヒポクラテスの誓い:現代に訴える古代の医学倫理

 ヒポクラテスの誓いは古代ギリシャの医師ヒポクラテスが定めたとされる医療倫理の誓いである。この記事では、その和訳した全文(オリジナル版と現代版)と解説を示す。現代版については、アメリカのものとオランダのものを示す。オランダでは、2001年の法律によって、安楽死が合法化されている。医療行為は患者に危害を与えないとするヒポクラテスの誓いとの関連で興味深い。

 誓いの内容と問題点(現代との違いなど)

 ヒポクラテスの誓いは優れた医者の条件がなんであるかを示している。ヒポクラテス自身が作成したとされるオリジナル版の誓いをまずみていこう。その次に、比較参照のために、現代版の誓いも紹介する。まず、オリジナル版の全訳を示す。

 ヒポクラテスの誓いの全文(和訳)

 「私は私自身の判断と能力にもとづいて次の宣誓と契約を行うことを、医師としてのアポロとアスクレピオスおよびヒギイアとパナセイアそしてすべての神々と女神たちを証人にして誓う。
 私にこの術を教えてくれた者を私の父母と同等と見なし、彼と二人三脚で私の人生を生き、もし彼が金銭を必要とするならば、私の分け前を与える。そして彼の子孫を男系男子である私の兄弟と同等と見なし、彼らが学びたいと望むならば、手数料や契約なしにこの術を教える。私の息子たちと、私を指導した者の息子たちと、誓約書に署名し医学法に従って誓いを立てた弟子たちに、教えと口伝と他のすべての学問を与える。だが、それ以外の人には教えない。
 私は、私の能力と判断にしたがって、病人のために食事療法を施し、彼らを害と不正から守る。
 私は、死を招くような薬を、それを求めた人に与えることはしない。そのような趣旨の提案をすることもない。 同様に、私は女性に妊娠中絶の薬を与えない。 私は純粋さと神聖さの中で、自分の人生と術を守る。
 私は、結石で苦しんでいる人にさえも、ナイフを使わない。その仕事に従事する者たちのために、私は辞退する。 どのような家に入ろうとも、私は病人のために入る。あらゆる自発的な不正行為、その他の悪事、女性や男性の身体への性行為を行わない。相手が自由人であろうと奴隷であろうとである。
 治療中に、あるいは治療外でさえも、人間の生活に関して見聞きすることがある事柄で、決して外部に漏らしてはならない事柄は、口にすることを恥ずべきこととして、自分の胸にしまっておく。
 もし私がこの誓いを実行し、それに違反しないならば、私が生命と術を享受し、すべての人の間でいつまでも名声を得ることができますように。もし私がこの誓いを破り、偽って誓うならば、その反対のすべてが私の運命となりますように」。

 以上が全訳だが、そこには、しばしば誤解されやすい内容も含まれる。たとえば、患者への手術は禁止されるかである。答えは、実は複雑なものである。これらの点を解説していこう。

 第三段落:医療の目的

 まずは「私は、私の能力と判断にしたがって、病人のために食事療法を施し、彼らを害と不正から守る」の段落である。医学倫理としての重要な問題に関わる。
 ここでは、医療行為の目的が患者の健康の促進や回復にあると論じられている。「食事療法」という部分がまず重要である。古代ギリシャでは、医者の手段は食事療法だった。食事療法は病気の治療にも役立ったが、それだけが目的ではなかった。

 食事や運動、睡眠などのバランスを整えることで、病気を癒すとともに、健康を増進して幸福にする手段だった。患者の身体は自然に自らの病や調子の悪い部分を治そうとする。だが、これに成功するとは限らない。医者の役目はこの患者の自己調整を手助けすることにある。
 医学の関心が病気の治癒へと限定されていったのは主に19世紀以降だといわれている。医療行為の目的を病気の治癒だけでなくこのように捉え直すのは、今日の医学にも示唆的である。
 医者はこのように患者の健康の回復と増進を目的とする。反対に、意図的に患者になんらかの害や不正を行わない。この点は次の段落と連動している。

 第四段落:患者の要望と医療行為での危害

 次の段落は「私は、死を招くような薬を、それを求めた人に与えることはしない。そのような趣旨の提案をすることもない。 同様に、私は女性に妊娠中絶の薬を与えない。 私は純粋さと神聖さの中で、自分の人生と術を守る」である。
 この第四段落は第三段落と連動して、主に二点が重要である。
 第一に、医療行為は患者に意図的に危害を与えるものではないことである。意図的に本人あるいは胎児に害を与え、あるいは死に至らしめるほど破壊する行為は、医療行為として認められない。

 というのも、上述のように、医療行為は患者の身体のバランスを整えて健康を回復・増進することが目的だからである。安楽死や妊娠中絶は本人あるいは胎児の健康を完全に破壊するものであり、認められていない。
 第二に、医療行為が患者の願望だけによって決定されるのではない点である。ここで重要なのは、患者が望んだとしても、患者に害をもたらすような行為は認められない点である。第三段落では「自分の判断に従って」医療行為を行い、害から守ると明記されている。第四段落では致死薬を求めた患者にもそれを与えないとされる。
 第四段落の論点としては、安楽死や妊娠中絶が挙げられる。どちらも古代で行われており、今日も重大な問題として認識されている。これらが次第に好意的に受け入れられるようになった背景は、近代の個人主義や自由主義の浸透である。
 国や世間がどう考えていようとも、他人に危害を加えないならば、その人の考えを尊重すべきだ。このような考えは自由主義の考えであり、今日に広く普及している。

 他人に危害を加えない限り、その行いがいかに愚かで馬鹿らしいものにみえようとも、尊重すべきである。各人はその限りで、愚かだと周囲に思われるようなことをする権利(愚行権)をもつ。
 なぜか。愚行権を認めなければ、各人の個性が社会によって圧殺される可能性があるためである。ある時代と場所から見れば愚かな考えであっても、時代と場所が変われば大いに称賛されるようなものは、これまで無数に存在してきた。愚行権は個性を社会の暴政から守る手段の一つとしてうまれた。
 では、その延長線上で、患者が医療行為としてなんらかの害を受けるよう求めた場合はどうなのだろうか。医者が医療行為として患者に害を意図的に与えてもよいのか。それが死に至る害であっても、よいのか。患者は愚行権をこえて、死ぬ権利をもつのか。このようなことが論点となっている。
 以上の自由主義や個人主義はどちらかといえば患者側のロジックである。それにたいし、ヒポクラテスの誓いは医者側のロジックである。古代ギリシャの伝統にもとづき、健康は客観的に善いものと考えられている。

 この誰が見ても善いものこそ医療行為の目的である。意図的な害を与えるのはまさにその反対である。よって、それは避けなければならない、と。ヒポクラテスの誓いはこれらの難問について医者側の視点で考える際の一つの鍵となっている。

 第5段落:手術

 次の段落は「私は、結石で苦しんでいる人にさえも、ナイフを使わず、その仕事に従事する者たちのために、私は辞退する」である。これは外科手術の禁止を意味するのではない。
 長らく、西洋の医者は実質的に内科を担当してきた。外科手術の訓練を行わず、手術自体もそうだった。中世においてはその傾向はさらに強まった。「体液生理学」の項目で説明したように、医者は患者の体液バランスが崩れると健康を失うと考えた。

 そのため、尿検査などによって体液バランスを調べ、食事や運動などで健康を整えようとした。よって、中世の医者のシンボルはメスではなく(尿検査用の)フラスコだった。
 当時の外科手術は危険なものであり、床屋などが行った。そのため、医者は手術を行わないが、その専門者に任せるべし、とここでは述べられている。この点は現代とは時代状況が大きく異なる。それでも、医者は自分のできることだけを行うべしというメッセージをここに読み取ることは可能だろう。

 第六段落:医者の立場を利用した不正行為

 次の段落は、「どのような家に入ろうとも、私は病人のために入る。あらゆる自発的な不正行為、その他の悪事、女性や男性の身体への性行為を行わない。相手が自由人であろうと奴隷であろうとである」である。

 医師が患者にたいして、医師という地位を利用して不正を行うケースは、現在と同様に過去にもみられた。このようなことが禁止されている。あくまで患者の利益のための医療行為である。

 第七段落:守秘義務

 次の段落は、「治療中に、あるいは治療外でさえも、人間の生活に関して見聞きすることがある事柄で、決して外部に漏らしてはならない事柄は、口にすることを恥ずべきこととして、自分の胸にしまっておく」である。

 医者は医療行為の過程で患者の様々な情報を知ることが許されている。だが、知ることとと口外することは別問題である。古代においても現代においても、守秘義務は重要である。

 現代との違い:『ヒポクラテスの誓い』の現代版の例

 この誓いには、現代版がある。だが、現代版といっても、いろいろなバージョンが存在する。そこで、ここでは参考のために、アメリカとオランダのものを挙げる。

 アメリカの医師の誓い

 アメリカについては、米国医師・外科医協会(Association of American Physicians and Surgeons)がウェブサイトで公表している現代版の和訳を提示する。

 「私は、私の能力と判断力の限りを尽くして、この誓いを果たすことを誓う。
 私は、私がその同じ道を歩んでいる医師たちによって苦労して勝ちとられた科学的成果を尊重する。喜んで、そのような私の知識を後に続く者たちと分かち合う。
 私は病人のために、過剰な治療や治療における虚無主義(ニヒリズム)という双子の罠を避けながら、必要なあらゆる手段を適用する。
 私は、医学には科学と同様に術(わざ)があることを忘れない。、そして、温かさや共感そして理解が外科医のナイフや化学者の薬に勝ることがあることを忘れない。
 患者の回復のために他の医師の技術が必要とされるときに、私は「私は知りません」と言うことのをためらわないし、同僚を呼ぶことを怠らない。
 私は患者のプライバシーを尊重する。なぜなら、世間が知ってよいような患者の問題が私に開示されたわけではないからである。 特に、生死にかかわる問題には慎重に対処しなければならない。 もし命を救うためにそれが私に与えられたのなら、感謝に堪えない。

 しかし、命を取り去ることもまた私の力の及ぶところかもしれない。この重大な責任には、深い謙虚さと自らの弱さの自覚のもとで、立ち向かわなければならない。 何よりも、私は神をもてあそんではならない。
 私が対象にするのは熱のグラフや癌の増殖ではなく病気の人間であり、その病気はその人の家庭や経済的安定に影響を及ぼすかもしれないということを、私は忘れない。 もし私が病人に適切なケアをするのであれば、これらの関連の問題が私の責任に含まれる。
 私はできる限り病気を予防する。なぜなら、予防は治療より好ましいからである。
 私は、心身共に健康な人もそうでない人も含めて、私のすべての同胞たる人類への特別な義務を伴いながら、社会の一員であり続けることを忘れない。
 もし私がこの誓いに背くことがなければ、私は人生と術を楽しみ、生きている間は尊敬され、その後は愛着をもって記憶されますように。 私の職業の最高の伝統を維持するように常に行動し、私の助けを求める人々を癒すという喜びを長く味わうことができますように」。

 (原文は https://www.aapsonline.org/ethics/oaths.htm#lasagna )

 オランダの医師の誓い

 比較参照のために、現在のオランダの医学部で使用されている宣誓文の和訳を提示しよう。上述のように、オランダでは2001年の法律で安楽死が合法となり、この法律は2002年に施行された。それ以来、安楽死は合法である。
 この宣誓文は2003年、オランダ王立医師会が制作したものである。厳密には、ヒポクラテスの誓いのオランダ的な現代版といえるかは微妙なものである。だが、ヒポクラテスの誓いを念頭に置きながら制作されたものだといえる。

 誓いの本文

「私は次のことを誓う。私の同胞のために最善を尽くして医療を実践する。私は、病人の世話をし、健康を促進し、苦痛を和らげる。 私は、患者の利益を第一に考え、その意見を尊重する。私は患者にたいしていかなる危害をも加えない。 私は、患者さんの話をよく聞き、よく説明する。 私は、私に託された秘密を守ります。 私は、自他の医学的知識を促進する。私は自分の能力の限界を認識する。 私は自身をオープンにし、検証可能な状態に置く。 私は、社会に対する私の責任を自覚し、医療の利用可能性と利用しやすさを促進します。 私は、たとえ圧力をかけられたとしても、医学的知識を決して濫用しない。このように、私は医学という職業を尊重する。私はこのように誓う。全能の神よ、私にご加護を」。

 解説

 現代のオランダの誓いもヒポクラテスの誓いのオリジナルに比較的近いものといえるだろう。興味深いのは、「私は患者にたいしていかなる危害をも加えない」というヒポクラテスの誓いの内容を保持している点であろう。安楽死、あるいは生命の終結行為との整合性が問われる部分である。
 とはいえ、オランダの安楽死法のもとでは、医師は患者から安楽死の要望を受けたとしても、断る権利を持っている。すなわち、患者から要望を出されても、医師は安楽死の行為を行う義務を負っていない。それを実践するかどうかは医師の自由である。そのため、この宣誓文が安楽死法とそれ自体で矛盾するというわけでもない。
 また、「私は、たとえ圧力をかけられたとしても、医学的知識を決して濫用しない」という部分も安楽死と関わるといえる。安楽死を望む患者は医者がそれを実行してくれるよう説得する。

 本来であれば、合理的な説明が自由になされたうえで、医師が納得すれば、それを行うと想定されている。だが、これはある種の理想状態である。患者本人や家族が医師に対して、安楽死実施のプレッシャーをかけることは十分に予想される。この誓いはそのような状況も念頭においたものだろう。

 西欧におけるヒポクラテスの誓いの歴史的な位置づけ

 ここで、「ヒポクラテスの誓い」が西欧で歴史的にどのように受け止められてきたのかを簡潔に説明しよう。

 ヒポクラテスの生きた古代ギリシャにおいて、「ヒポクラテスの誓い」は特に重要な医療倫理の文書だったわけではなかった。当時のギリシャでは、医者は公的試験制度に合格してなることのできる専門職ではなかった。

 様々な人が医療行為を実践していた。彼はの医療倫理は多様だった。「ヒポクラテスの誓い」はその一つを表明したものだった。
 中世の西欧でも、「ヒポクラテスの誓い」は特に重要な役割を担ったわけではなかった。中世西欧の医学では、ガレノスのほうがヒポクラテスより重視された。ガレノスは「ヒポクラテスの誓い」にみられうような医療倫理を重要視していなかった。
 転機となったのは16世紀あたりであり、ルネサンスの進展である。ウェサリウスの解剖学の進展などにより、ガレノスの権威が弱まっていた。同時に、ヒポクラテスの権威が高まっていた。

 そのような中で、「ヒポクラテスの誓い」が西欧でいわば再発見されることになった。中絶の禁止などがキリスト教の倫理観に一致したこともおそらく一因となって、「ヒポクラテスの誓い」は西欧で次第に影響力をもつようになった。
 18世紀になり、西欧では啓蒙主義などの思想の大きな進展がみられた。これらに影響を受けて、医者のイメージも変化していった。そのような中で、「ヒポクラテスの誓い」は患者への医者の思いやりや共感を重視する倫理観として重要視されるようになった。

 同時に、このような医者像はパター形スティックなものでもあった。19世紀には、「ヒポクラテスの誓い」は医者の職業倫理を国家が策定しようとする際に、その模範として利用されるようになった。

 なお、ヒポクラテスの液体生理学や『ヒポクラテス全集』などについては、「ヒポクラテス」の記事を参照

https://rekishi-to-monogatari.net/hipp3

おすすめ参考文献

久木田直江, 2014『医療と身体の図像学』泉書館

Henk A.M.J. ten Have, 2005, Death and medical power : an ethical analysis of Dutch euthanasia practice, Open University Press

Mark Jackson(ed.), 2013, The Oxford handbook of the history of medicine, Oxford University Press

William Stigall, 2022, ”The Hippocratic Oath” in Linacre Q, 89(3): 275–286

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