演劇はフランス革命を理解するための重要な要素の一つである。では、革命の10年間において、どのような劇が演じられたのか。それらは革命においてどのような役割を担ったのか。この記事では、これらの点を主にみていく。
フランス革命による演劇の自由
フランス革命では、人権宣言が示され、封建制度が崩壊した。議会は新たな制度を構築しようとし、フランスを王制から共和制に移行させた。革命はフランスに大きな変革をもたらそうとした。
フランス革命は旧来の制度を破壊する中で、演劇についても従来の規制を撤廃した。劇作家や俳優たちはロビー活動に成功した。1791年1月、ル・シャプリエ法が制定され、劇場の自由が正式に宣言されたのである。
それまで、パリには3つの劇場しかなく、王権によって管理されていた。戯曲は王権の検閲を受けていた。
だが、革命によって検閲は廃止され、劇場の数も増えた。
革命期間中に書かれた戯曲の数は1,000を超えた。革命前に制作されたものも、革命中には上演された。そのため、革命期間中に上演された作品は3,000を超えた。上演回数は9万回を超えた。それまでの半世紀の間にフランスで上演された戯曲の2倍以上に達した。
政治家たちは市民にたいして効果的に訴えるために、演劇に学む者もいた。彼らの中には、演劇出身者や、当時の一流俳優のもとで弁論術を学んだ者も少なくなかった。
演劇を革命の学校に
政治家や一部の劇作家たちは演劇によって革命を成功させようとした。たとえば、市民に革命の新しい考えを教え込み、愛国と美徳の国民的な精神と気風を吹き込もうとした。革命が生み出した新たな制度や政治秩序がどのようなものかを、舞台でより具体的に示そうとした。
さらに、市民が従来の封建制とは異なる政治秩序の中で、どのようなアイデンティティを形成すべきかを、彼らは演劇で示そうとした。自由で民主的な新しい共和制のもとで、フランスを美徳と愛国心で支えるような市民を涵養しようとした。
そのために、彼らは大別して二種類の劇を利用した。内容が高度に政治的なものと、そうでないものである。
政治的な内容の演劇
1793年8月、国民公会は政治的な内容の演劇を定期的にパリの市営劇場で上演するよう命じた。それはヴォルテールやシェニエによる共和政悲劇である。そこでは、有徳な市民が腐敗と専制政治を打倒し、自由と平等の法の支配を特徴とする新しい時代を築く。このような英雄と共和主義者を舞台で示すことが共和制の維持に有効だと考えられた。
このような高度に政治的な内容の演劇が、従来の研究で過度に着目されてきた。その結果、革命期の演劇はこのようなものだと考えられてきた。
だが、これらの愛国的な悲劇や国民的な悲劇は、革命期においてあまり人気がなく、マイナーなものだった。制作や上演の数でみれば、喜劇や、観客の感情に訴えかける劇が圧倒的に人気だった。
喜劇やセンチメンタルな劇
革命期には、革命以前に制作された演劇も多く上演された。この時期の人気劇作家の2位と3位はモリエールとマリヴォーである。
そのジャンルは喜劇が主だった。ただし、革命期は演劇ジャンルにも大きな変化が生じつつあった。新しいジャンルの作品も増えていった。それらの多くが喜劇に分類されがちだったので、喜劇は実際には多様なものだった。メロドラマやコミック・オペラなどである。
これらの主流的な戯曲の特徴は次の通りである。優しい言葉を語り、様々な美徳を称賛する。たとえば、正義、自由、平等、愛国心、友愛、博愛、節制、誠実、勤勉である。
これらの作品は家族に焦点を当てる。家族の感動の再会を描き出す。同胞感情、祖国愛、誠実でロマンチックな愛が賛美される。それらに基づく理想的な秩序のあり方を具体的に示している。
これらの戯曲が人気だったのは、娯楽としてであった。同時に、このように啓発的であったからでもある。そこでは、政治的プロパガンダや極論といった「残忍な情熱」は無視されるか二次的だった。そのため、これらの戯曲はこれまで無視される傾向にあった。
主流的戯曲がいかに革命の役に立てられたか
とはいえ、主流的戯曲は別の仕方で革命の役になった。別の仕方で政治的だったといえる。
演劇は、観客の感情を動かし、それによって共通の感覚を生み出すことができる。主流的な戯曲は、革命による新しい政治的・社会的関係を温和な仕方で観客に示した。新しいアイデンティティを提示した。観客にそれらを受け入れさせ、感情面において彼らを一体化させようとした。
舞台上で、革命による理想的な想像の共同体を新たに描き出し、観客をそれへと組み込もうとした。観客はその新しいあり方を頭で理解するだけでなく、心から受け入れ、自分もその一員だと実感することが期待された。
そのために、これらの戯曲は例えば、苦悩や和解などの感動的な場面を利用する。それらの場面を通して、観客が感動し、涙を流す。頑なになり、腐敗した観客の心さえも解きほぐし、有徳な共感へと動かすことが期待された。
そのようにして、主流的な戯曲は市民の美徳と愛国心を育むことが期待された。その方法は、観客の共感能力を拡大し、観客を感情移入によって場面に引き込むことだった。模範を通して道徳的教訓を与えたり、実際的な格言を提供するという従来のやり方は二次的だった。
革命が美徳を民衆に広めることで、民衆が道徳的に再生し、フランスという国家が再生すると期待された。演劇はその一助とみなされたのである。
革命期の演劇の具体例
ここで、革命期の人気作を一つ紹介しよう。革命期の主流的な戯曲の典型の一つが示される。
上述のように、革命家たちは一方で、修道院制度のようなカトリック教会の諸制度を廃止していった。他方で、人権宣言などで、自由と平等そして博愛を訴えた。両者を結びつけるような演劇が革命の時代に大ヒットした。
たとえば、マリー=ジョゼフ・ブレーズ・ド・シェニエの1793年の劇『フェヌロン、あるいはカンブレーの修道士たち』である。シェニエは革命の時代の代表的な悲劇作家である。ただし、悲劇は革命の時代に人気を失っていったジャンルであった。
シェニエの『フェヌロン』は100年ほど前のルイ14世の時代のフランスで活躍した聖職者で小説家のフェヌロンを題材とした。フェヌロンはルイ14世の孫の家庭教師をつとめていた。
そのために教材として『テレマックの冒険』を制作した。これが王権に批判的だとして、フェヌロンは宮廷から追放された。だが、その思想は啓蒙主義に影響を与えた。シェニエはフェヌロンが暴君を憎んで自由を愛する哲学者や愛国者だと捉えた。
『フェヌロン』は歴史劇である。さらに、1790年にパリで初めて登場し大流行した「修道院劇」にも属するといえる。このジャンルの中でも特にヒットした。
修道院劇
修道院劇は革命の進展と深く結びついていた。そこでは、修道院が革命の理念に反する有害な制度として描かれている。修道院では、修道士が居住している。修道士はカトリックの教義により、独身を義務付けられる。
よって、修道士になった人は、新たに家族を形成することができず、夫婦の愛情や親子の愛情といった家族愛から隔離されることになる。フランス革命において、家族や家族愛は個人の幸福や国家への献身の苗床として尊重された。
修道院は当時の家父長制の道具の一つとして、修道院劇で描かれる。フランスの家父長制度のもと、家父長が長男などを後継者に指名し、家督と財産を譲る。他の子息子女には、家督を譲らない。子息子女が後継者争いを引き起こして家門に傷つけることがないよう、家父長は彼らを修道院に送ることがあった。
彼らは家門のために、望まぬ仕方で修道院に閉じ込められる。結ばれるはずだった恋人たちは犠牲となり、離れ離れとなる。親子もまた切り離される。子息子女はこのような暴君のような父親から、暴君のような修道院長に引き渡される。
後継者としての権利の平等性が否定されるのみならず、新たな家族を形成することもできない。修道院の中で、個人としての自由や幸福を奪われる。たとえ貴族でなくても、このようなことが起こり得る。
修道院劇は修道院をこのような悪弊の空間として描き出した。革命はまさにこのような修道院を廃止したのである、と。
『フェヌロン』の場合
『フェヌロン』もまた修道院劇と同じ枠組みを用いる。そのあらすじはこうである。
エロイーズという女性がエルマンスという有徳な男性と密かに結婚し、アメリという女の子をうんだ。エルマンスはすぐに兵士として旅立った。秘密裏の結婚と出産に激怒した父親が、エロイーズを修道院のち過失に15年間監禁した。
一般的に、エロイーズは失踪して死んだと思われた。アメリは修道院で育てられ、修道女となるための宣誓を強いられようとしている。そうすれば、一生独身である。
数年後、エルマンスがその町に戻ってきた。妻子が死んだと思っていた。フェヌロンは彼女の父の不正を知り、エロイーズを助けた。エルマンス一家は再会できた。
エロイーズはそこで言う。神は人間を、互いに愛し合い結びつくよう、創造した。この修道院 の地下牢は神の被造物ではない。 神は自由を創り、人は奴隷をつくったのである、と。フェヌロンは言う。父親は子どもたちに願望を押し付けてはならない。天が父親に子どもを与えるのは、彼らを幸せにするためだ、と。
シェニエはこの劇を通して、人間の心の中に常に存在する人間性の声を、観衆に聞かせようとした。家父長制と教会に反対し、自由と家族という革命に親和的なメッセージを示した。
この劇は道徳的な内容を持ち、観客の感情に強く訴えかけるようつくられ、涙を誘った。ハッピーエンドでもあるため、大ヒットした。革命の動向を反映しながら大ヒットした劇だった。
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おすすめ参考文献
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