フランス革命は18世紀末にフランスで起こった大革命である。フランス革命に関する一連の記事によって、その背景や展開、意義や影響を説明していく。 この記事は、「フランス革命の概略(5)」である。
フランス革命は今日において世界史の重要な出来事として世界的に知られている。その意義や影響は実に広範で深甚なものである。そのため、フランス革命は学校での歴史の授業だけでなく、書物や演劇などの文学、テレビや映画などでも繰り返し扱われてきた。では、具体的に、その意義や影響はなんであったのか。この記事では、その点を明らかにする。
フランス革命の概略(1):背景と原因
フランス革命の概略(2):革命の勃発から1791年憲法制定へ(1789-1791)
フランス革命の概略(3):1791年の国民議会からジャコバン独裁の終焉へ(1791-1794)
フランス革命の概略(4):テルミドールから総裁政府そして革命の終焉(1794-)
フランス革命における恐怖政治とは
フランス革命における演劇
フランス革命における植民地と奴隷制
フランス革命の意義
それらの意義や遺産については、実に多様な議論がなされてきた。革命のどの時期に注目するかによって、結論が異なってくる。重要な意義をいくつか説明していこう。
革命の理念
フランス革命は、まさにこの「革命」概念の理解を大きく変えた。フランス革命以前、西洋では、「革命」という言葉は比較的突発的で、予測不可能で、制御不能な大変動を意味していた。ほとんどの場合、この言葉は王朝の激しい交代を指すために使われた。革命はこのような過去の事実を示すための言葉だった。
だが、フランス革命によって、革命という言葉は明るいユートピア的な未来を含んだ現在進行中のプロセスや行為を示すようになっていった。革命はもはや、すでに終わってしまった事実についてではなく、現在の我々の行いの問題として、理解されるようになった。
たとえば、フランス革命中に、フランス革命の推進者としての「革命家」という言葉が生まれた。1792年には、ロベスピエールはパリ市政府の執行委員会を「革命評議会」と名付けた。自分たちが現在進行中の革命の担い手だという意識の表れである。
さらに、革命はこれからのユートピア的な未来を築き上げる行為として捉えられた。たとえば、ロベスピエールは通常の「立憲」政府と例外的な「革命」政府を区別した。革命の目的は平時の立憲的な共和制を生み出すことであり、
平時の立憲政治の目的はこの誕生した共和制を運営することである。このように、革命は新たな希望あふれる政治秩序を生み出すための現在の大変革の行為だと考えられるようになった。
そのような革命のモデルが19世紀以降、世界で普及していった。ロシア、中国、ラテンアメリカ、中東などでは、「革命的」と称する政権がユートピア的目標を掲げて革命を起こした。だが、20世紀後半には、革命政権の失敗と挫折により、この革命モデルは魅力を部分的に失っていった。
ほかにも、革命の概念は様々な場面に普及した。学問では、産業革命や科学革命、色彩革命のように、革命が用語として普及していった。今日の様々な商品やサービスなどでも、革命という言葉がキャッチーなものとしてしばしば使用されている。
「革命を起こす」というような言い回しが好意的な意味合いで広く使用されるようになったのは、フランス革命の結果である。
人権
1789年8月のフランス人権宣言もまた重要である。正式名称は「人間と市民の権利に関する宣言」である。
人権の概念は17世紀の自然権に由来する部分もあるが、違いも指摘されている。自然権は人間がその自然本性ゆえに享受するとされる権利である。これは譲渡可能なものだとされた。
人間が人間であるために持ち、何人によっても奪われないような権利という考えは、18世紀の啓蒙時代に誕生した。この考えは、1775年からのアメリカ独立革命の際に、独立宣言で明確に採用された。
フランス人権宣言はその流れに属していた。だが、大きな違いもあった。フランス人権宣言の新しさは、人権が革命の目標となったことである。アメリカ独立宣言では、革命の目的は独立だった。
だが、フランス革命では、人権宣言が革命に目的を与えた。すなわち、フランス革命は人権のための革命として現れ、理解されるようになっていった。フランスの歴代の憲法はこの人権宣言に言及するか、独自の権利宣言を含むようになった。
ただし、フランス人権宣言の人権概念は、今日の人権とは異なる面もある。フランス人権宣言は一見すると、普遍主義的である。すべての人間について語っているためである。
だが、この宣言はフランス国民にのみ適用されるとも明記されていた。さらに、この宣言はフランスの法律によって制限されると明記されていた。このように、人権の概念は新しい国家によって成約を受けていた。
今日の人権の考えでは、人権はあらゆる人間に属する普遍的なものである。その重要な帰結として、人権は国家の主権的権限に対する制約として利用されている。たとえば、民族浄化の対象となっている人々のために、国際的な介入を行う場合などの論拠となっている。
恐怖政治と暴力
フランス革命は恐怖政治や暴力の側面でなんらかの遺産をもたらしたかが論じられてきた。特に、20世紀のスターリン主義や全体主義のような残虐行為との関連性や類似性が指摘されてきた。
これに対し、フランス革命が同時期のアメリカ独立革命などと比べて、反対意見の統制や容疑者の逮捕の試みなどで、特別な問題があったわけではないとも路地られている。
ほかに、フランス革命は暴力行使の仕方で特徴的だった。革命家たちは、一方で、教育を通じて人類を「再生」させようと企てた。他方で、再生が不可能だと判断された者を、「人間ではない」とみなした。人間は人権を持ち、教育による発展の対象とみなされたのにたいし、非人間はそこから除外されて、暴力の対象とされたのである。
この「敵を非人間化すること」は人権概念に由来する負の遺産となった。ただし、フランス革命では、特定の集団を一貫して「非人間」として扱うことはなかったが。
成文憲法の法文化の樹立
国民議会による1791年憲法は、その後の西洋及び全世界における成文憲法の普及の始まりとして重要なものだった。
この憲法は1789年のテニスコートでの誓いに端を発し、8月4日のフランス人権宣言に後押しされた。1791年憲法自体は1年間ほどしかもたなかった。そのため、この憲法の意義は軽視されがちである。だが、ヨーロッパでの最初の成文憲法として、大きな意義をもっている。
フランス軍は革命戦争で周辺国を支配していった。同時に、この成文憲法を征服した地域に広めた。ヨーロッパの民衆の多くがナポレオンのフランス帝国主義に反感を抱いていたにもかかわらず、この立憲主義の理想を受け入れていった。
フランスでは、憲法は次第に定着していった。1791年憲法の後に、フランスでは14の憲法が制定された。そのうち12は1791年から1870年の間に制定されたものである。19世紀前半の王政復古により、王権は国民主権を大幅に縮小した。
だが、憲法の理想は縮小されなかった。その後、憲法がいまやしっかり根付いたことがわかる。フランスの歴代政権はすべて、憲法によって自身の正当性を確認する必要があると考えるようになった。
ヨーロッパ各国でも、成文憲法の理想が共有されていった。19世紀なかばに、ドイツやオーストリアで民衆革命が勃発した。その主な要求は憲法であった。20世紀初頭、ロシアでも同様の革命が起こった。
フランス革命以降、全世界では800ほどの憲法が制定されている。そのすべてをフランス革命の成文憲法の成立に起因させることができないにせよ、これは重要な遺産をもたらしたといえる。
ナショナリズム
革命の議会は革命を通して、いわゆる「国民建設」を行った。それまでのフランスでは、それぞれの地域の独自性が強かった。それぞれの地域がそれぞれの慣習や伝統、言語をもっていた。それらの地域がフランスという単一の国を構成していたとはいえ、それらの違いは顕著でもあった。
そのような状況で、中央政府はそれぞれの地域の別個のアイデンティティを破壊し、フランス国民としてのアイデンティティを各地域に普及させていった。たとえば、祭りのような地方独特の伝統や慣習を「国民的」なものに置き換えていった。
さらに、各地域の独自の言語を国内の不和の原因とみなし、標準語のフランス語を普及させようと試みた。このナショナリズムはナポレオンのヨーロッパ征服により、周辺国に広まっていった。
右翼と左翼の評価軸の形成
よく知られているように、「右翼」や「左翼」という政治の評価軸はフランス革命の国民議会で形成された。議会の左側を占めた陣営が左翼、右側を占めた陣営が右翼と呼ばれた。彼らの主義主張の傾向が左翼的あるいは右翼的として定式化されていった。この左右という評価軸はこのようにして形成され、今日にも大きな影響を与え続けている。
近現代の政治家などは、この評価軸を使って、自分たちを「正しい」場所に位置づける。同時に、自分たちへの反対意見を「逸脱」として捉え、糾弾する。
たとえば、旧ソ連のレーニンとスターリンは反対勢力を「左翼的逸脱主義」と「右翼的逸脱主義」として捉えて攻撃し、自分自身をその中間に置いた。
共和制
共和制という考え方は古代ローマの頃には有力なものとして成立していた。それ以来、西洋では、古代ローマの共和制が共和制のモデルとして認知され続けた。フランス革命は共和制のイメージを大きく変革した。
古代ローマについては、共和制は繁栄から衰退に至るものと考えられていた。古代ローマは共和制の時代から、カエサルの独裁を経て、帝政に代わり、専制に至ったと考えられてきた。このように、共和制は繁栄から衰亡への下り坂を運命づけられていると考えられてきた。
だが、フランス革命は共和制のイメージを腐敗の打倒と再生に変えた。フランスの共和制がブルボン王朝という専制君主を打倒し、蒙昧に陥っていたフランス国民を再生したという共和制の神話を樹立した。
しかも、この第一共和制はフランス革命の中でも、特に革命的なイメージと結びついた。というのも、第一共和制が憲法を正式に停止し、例外的な中央集権を自らに与えるという「革命的」な政府のもとで運営されたからである。憲法の一時停止は革命を存続させる例外的手段とされたのだった。
したがって、共和制は革命によって旧来の専制君主を打倒し、その国を生まれ変わらせるという考えが生まれた。しかも、ジャコバン派が人民主権の原則を打ち立てたため、共和制はこの原則と結合した。
その結果、人民の共和国が革命によって旧来の腐敗を打倒して新しい政治秩序をつくりだす、ということになる。このような筋書きは20世紀初頭の中国、ロシア、ドイツなどの革命でみられた。
ちなみに、今日のフランスでの共和制モデルは第一共和政よりも第三共和政に近い。ただし、第一共和氏は第三共和制に一定の影響を与えている。第三共和政では、強力で実力主義的な公的教育制度、公的領域から宗教を排除する世俗主義(ライシテ)、法の支配が特徴である。 このモデルがヨーロッパやラテンアメリカに影響を持っている。
経済的遺産
フランス経済への革命の影響として、まず土地の再分配が重要である。教会のみならず王侯貴族の多くの土地が国有化され、競売にかけられた。それらは裕福な小作人などが購入した。その結果、19世紀のフランス経済は小作農の深く長い影響を受けることになる。フランスの農業は生産高や生産性の向上が鈍化していく。
革命は戦争や暴力でフランスに大きな損失をもたらした。革命の10年間で、都市の生活水準は総じて低下した。 海上封鎖や植民地の喪失により、多くの原材料や市場を失った。
王侯貴族らの亡命により、贅沢な品物やサービスの市場はほぼ消滅した。金融業者や個人は破滅した。品質の高い商品へのニーズが下がり、必需品が売れた。だが、政府の規制により、闇市場が活発になった。 こうした変化はフランスの経済発展を遅らせた。
政府は革命を存続させるのに精一杯だったため、経済への戦略的投資がほとんどできなかった。民間の企業家は不安定な政府を信頼するのが難しくなっていた。 通貨の暴落や国家の債務不履行などにより、フランスへの投資環境は悪かった。
さらに、民衆の下からの脅威が生産の革新を、特に労働力を節約する機械化を阻害した。その結果、フランス革命はフランスの産業革命を遅らせた。
1799年、フランスの工業生産高は1789年の約3分の2しかなかった。19世紀には、イギリスが産業面でフランスにリードを広げることになる。
とはいえ、フランス革命は経済的に肯定的な面ももっていた。
革命家たちは19世紀のフランスの経済成長の道を開いた。 土地所有権の拡大、行政や税の制度の刷新、封建制の廃止、国家の債務の解消がこの点で重要だった。さらに、重要な教育機関が設立され、科学が経済発展のために利用しやすくなった。
1818年以降、信頼性の高い統計が増えたことが経済政策の質を高めた。実際に、19世紀に、フランス経済はプラス成長を維持し続けた。
ジェンダーや家族関係の変化
フランス革命はフランスでの家族やジェンダーのあり方に影響を与えた。革命は女性の権利や社会における地位のみならず、男性の役割やアイデンティティに根本的な影響を与えた。
より具体的には、革命家たちは離婚と養子縁組を合法化し、父親の権威を低下させ、平等主義的な相続を制定し、婚外子に権利を認めた。ただし、ナポレオン法典では、この男女間の平等主義は制約を受けた。
他方で、革命による男性の兵役義務が男らしさの概念を変えた。政府は革命を守るために、男性の国民皆兵の徴兵制を導入した。それまでは、兵士になるのは貴族や貧民などの男性の一部にすぎなかった。
だが、この徴兵制が導入されることで、原則的にはすべての男性が兵士になるよう求められた。その結果、男らしさが武闘や兵役と密接に結びつくようになった。
男は国家のために戦い、死ぬことを要求される。他方で、女性は自分の息子や恋人を戦地に送ることを要求される。このような性別役割分業が社会に浸透していった。
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おすすめ参考文献
Whiteman, Jeremy J., Reform, Revolution and French Global Policy, 1787–1791 (Aldershot, 2003)
Dubois, Laurent, A Colony of Citizens: Revolution and Slave Emancipation in the French Caribbean, 1787–1804 (Chapel Hill, 2004).
Aberdam, Serge, et al., Voter, élire pendant la Révolution française, 1789–1799: Guide pour la recherche (Paris, 2006).
Martin, Jean-Clément, Violence et révolution: Essai sur la naissance dʼun mythe national (Paris, 2006).
Doyle, William, Aristocracy and its Enemies in the Age of Revolution (Oxford, 2009).
Biard, Michel (ed.), La Révolution française, une histoire toujours vivante (Paris, 2009)
Feilla, Cecilia, The sentimental theater of the French Revolution (Routledge, 2016)
Andress, David (ed.), The Oxford handbook of the French Revolution *Oxford University Press, 2019)
von Güttner, Darius, French Revolution : the basics (Routledge, 2022)
山﨑耕一『フランス革命 : 「共和国」の誕生』刀水書房, 2018
高橋暁生編『 「フランス革命」を生きる』刀水書房, 2019