リチャード・アークライトはイギリスの発明家で企業家(1732―1792)。馬力や水力の紡績機を発明した。さらに、紡績の大部分の工程を工場で遂行する仕組みを構築して、繊維製品の大量生産を可能にした。イギリスの産業革命に多大な貢献をしたと考えられてきた。明治初期の日本でも偉人として知られるようになった。だが、これからみていくように、今日ではイギリス産業革命への彼の貢献は再評価を余儀なくされている。
アークライト(Richard Arkwright)の生涯
アークライトはイギリスのランカシャーのプレストンで貧しい農家に生まれた。当時、ランカシャーでは紡績業が盛んだった。当初、アークライトは理髪師に弟子入りし、イギリスを広く旅した。カツラの製造を行うようになった。
水力紡績機の発明
アークライトは1760年代なかばには、紡績機に興味をいだいた。当時は別の人物がすでに紡績機を発明していた。
だが、まだ性能が低く、たとえば横糸を生産できるが縦糸を生産できなかった。さらに、操作には熟練の技術を必要とした。そのため、大量生産には適していなかった。
アークライトは既存の紡績機を改良し、組み合わせた。縦糸も生産できるようになり、紡績の複数の工程を一つの流れで行えるようになった。
1768年、ノッティンガムに工場を建設した。1769年、新たな紡績機の特許を得た。だが、まだ細糸の生産などに課題を残していた。
1771年、アークライトはダービーシャーで工場を新設した。ノッティンガムの工場では動力が馬だったのにたいし、ダービーシャーでは水力だった。アークライトの紡績機は後者にもとづいて水力紡績機と呼ばれる。
1773年、アークライトはインドのキャラコ製造を開始した。これにより、木綿繊維の製品も工場で効率的に大量生産する道を開いた。木綿繊維品はイングランド北部の主要産品となるため、大きな産業の基礎を築いた。
工場システムの整備:産業革命への世界史的貢献
さらに、アークライトは工場で機械化できる紡績工程の範囲を拡大した。梳綿や連条などの紡績の初期工程を行うための機械を開発し、それらの機械を適切に配置した。
その結果、水車の動力で梳綿から紡績までを一つの大工場で行える仕組みを構築した。これらの特許を得た。
だが、それらの特許は1785年までには失効となった。なぜなら、他の紡績業者の反対が大きかったためである。また、アークライトの発明は他の紡績機のアイデアにも依存していたためでもある。
晩年:アークライトの栄達
それでも、アークライトは紡績の一大システムを築き上げ、イギリスの産業革命に貢献した。そのため、1786年にはナイトに叙された。
事業家としても成功を収め、5千人ほどの従業員を雇うほどだった。イギリス産業革命において、重要な発明家でありながら、事業家としても成功した稀な人物だった。
1787年には、ダービーシャーの州長官に任命され、名望家として知られた。1790年には、すでに発明家ワットが実用化していた蒸気機関を工場の動力に利用しようとつとめた。1792年、没した。
アークライトたちの産業革命の物語
1871年、明治新政府の岩倉使節団が欧米を視察した。その際に聞き知った西洋の偉人について、帰国後に国内で教育のために周知することになる。その一人がアークライトだった。この画像に見られる通りである。
「英国(いきりす)の阿克来(あくらい)は紡棉機(もめんいとをよるしかけ)を造るに数年心を苦しめて家貧くなりたるを其妻其功なくして徒に財を費すを憤り雛形を打砕きければ阿克来(あくらい)怒りて婦を逐出しぬ其後機器成就して大に富しとそ」と書かれている。
事業成功前の財政的困窮で妻が機械の模型を壊したので、アークライトが妻を追い出し、紡績機を完成させたというエピソードを描いている。
このように、従来の物語では、アークライトらの天才的発明家たちがイギリス産業革命をもたらしたと考えられてきた。彼らが創造的な才能と起業家精神によって画期的な技術革新をもたらし、これが産業革命の主な原因になった、と。
この物語は当時のイギリスで鼓吹され、版画や文学作品などの形で普及した。技術はヨーロッパの経済の単なる道具ではなく、ヨーロッパ大陸がまず工業化し、豊かになった原因として語られた。このような見方が上述の浮世絵によって日本でも共有されていたことがわかる。
産業革命の物語の修正
だが、近年、このような発明家たちの偉大な物語としてのイギリス産業革命という見方は様々な批判を受けている。
たしかに、アークライトは重要な技術革新をもたらした。この技術革新はこの時期のイギリスの木綿生産の飛躍的な増大の一因だと考えられている。
だが、この一分野での技術革新をイギリス経済全体の大きな変化の原因とみなすことは難しい。この技術革新はイギリスの経済発展を生み出したけれども、これがイギリスを工業国へとのしあげたといえるほど事実は単純ではない、と。
ここで見逃されているものとして、たとえば、消費者の視点が挙げられる。技術革新は生産者の視点だけでイギリス産業革命の成立を論じている。しかし、消費者のニーズや購買力などもその重要な要素になってくる、と。
ほかにも、従来のイギリス産業革命の物語はイギリス国内にその原因を見出そうとしてきた。だが、競争相手だったインドとの関係もみなければならないとも指摘されている。
リチャード・アークライトの肖像画
おすすめ参考文献
井野川潔『アークライト : 紡績機』けやき書房, 1984
George Unwin, Samuel Oldknow and the Arkwrights, Routledge, 1996
Giorgio Riello, Cotton : the fabric that made the modern world, Cambridge University Press, 2013