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バルドゥス:中世ローマ法の権威

 バルドゥス・ウバルディスはイタリアの法学者(1327−1400)。ローマ法と教会法の法学者。師匠のバルトルスとともに、中世の代表的なローマ法学者として知られる。
 法学者として活躍しながら、法律顧問として多くの意見書を出した。公職について外交使節団に選ばれ、政治家としても活動した。本職の法学者としてはローマ法や教会法の注釈書を公刊し、後代に大きな影響を与えた。

バルドゥス (Baldus de Ubaldis)の生涯

 バルドゥスはイタリアのペルージャで医師の家庭に生まれた。彼はローマ法とカトリックの教会法を学んだ。ローマ法は当時のローマ法に関する大家のバルトルスから学んだ。教会法はペトルッキウスから学んだ。
 1344年にローマ法と教会法の両法博士になり、ボローニャ大学で教鞭をとり始めたと考えられてきた。ただし、これが本当かは判然としない。 

 学者や法律家としての活躍

 バルドゥスはおそらく1357年までペルージャで教鞭をとった。ローマ法の研究を深めるのみならず、弟子の育成にも励んだ。その中には、パウルス・デ・カストロやのちの教皇グレゴリウス11世のような優れた人物も含まれた。
 バルドゥスは学者として名声を高めていった。そのため、当時の慣例のように、様々な法律問題の諮問を受けるようになった。バルドゥスはこれに答え、意見書を出した。没するまでに、少なくとも2500以上の意見書を出した。
 これらは彼自身の法理論を同時代の時事問題に適用した例である。彼の理論と実践という面で重要な史料ともいえる。
 ほかにも、バルドゥスはペルージャで公職につくこともあった。当時のイタリアの慣例に従い、外交使節の一員に組み込まれることもあった。

 イタリア諸都市の遍歴

 1357年、師のバルトルスが没した。この頃までにバルドゥスは法学者として名声を確立していた。バルトルスという当時のヨーロッパでも最大の権威が没したことで、バルドゥスがその地位を継いだ。
 その後、バルドゥスはピサに移り、1358年までそこで教鞭をとった。バルドゥスは法の理論研究だけでなく実践も重要と考えていたので、他のイタリア都市での経験を積むことにした。
  1359年には、フィレンツェのシニョーリアの招待を受けてフィレンツェに移り、1364年までそこで教鞭をとった。

実社会での活動

 その後、バルドゥスはペルージャに戻ってきた。1375年まで教鞭をとった。当時のペルージャ社会の重要な構成要素だったギルドの仕事も請け負った。
 さらに、1370年には、ペルージャと教皇ウルバヌス5世の間で戦争の危機が生じた際に、外交使節団の一人として交渉のために派遣された。だが、うまくいかなかった。
 それでも、このような活動を通して、バルドゥスは単に学者ではなく、政治的実践への見識をもつ政治家としても成熟していった。

晩年

 1376年から1379年まで、バルドゥスはパドヴァで教鞭をとった。その後、ペルージャに戻って教鞭をとった。 1390年、パヴィアにうつり、講義をすることになった。その地で没した。

バルドゥスの功績:イタリア学風

 バルドゥスは人間の法とそれを生み出す環境が時とともに変化すると考えていた。そのため、ローマ法を生み出した古代とバルドゥスの時代の違いを意識していた。その結果、過去の問題から距離を取り、同時代の問題を主に対象にするようになった。
 この点で、バルドゥスは16世紀のローマ法のフランス学風とは異なった。フランス学風では、古代ローマと16世紀フランスが大いに異なる社会であると認識した結果、ローマ法の普遍的妥当性を否定した。
 そのかわりに、ローマ法を古代ローマというそれ自身の歴史的文脈で理解し、その意義を見出そうと研究した。ローマ法を古代ローマを理解するための歴史的史料として捉えて利用した。
 これにたいし、バルドゥスはフランス学風のように古代ローマと自身の社会の歴史的な違いを認識しながら、そのような方向には進まなかった。あくまで、バルドゥスは法学者であり、同時代の社会に関心を注いだ。同時代の問題を解決するうえで、ローマ法の利用できる部分を利用した。このスタンスはイタリア学風と呼ばれる。
 バルドゥスは多産な著者だった。当時の著者としては、バルトルスくらいしか比肩できる者がいないほど多産だった。ローマ法や教会法ないし封建的な法の注釈書や、法的意見などを執筆した。
 ローマ法では、法学提要や勅法彙纂などの注釈を書いた。教会法では、グレゴリウス9世の教皇令の注釈が有名である。ほかにも、1183年のコンスタンツの和議にかんする注釈も執筆している。

中世ローマ法学の代表者

 上述のように、バルドゥスは当時の多様な問題にかんする法学的意見を執筆した。その意見書の数は当時の法学者の中でもぬきんでていた。さらに、当時の代表的なローマ法学者として当時においても認知されていた。
 そのため、バルドゥスは中世ローマ法の考えを代表させたり調べたりするのに都合がよい。実際に、今日の法学史にかんする様々な概説書では、バルトルスとともにバルドゥスの意見が参照されている。

 政治思想にかんしては、バルドゥスは当時のイタリアの都市国家を背景としながら、人民主権理論や絶対主義理論への貢献で認知されている。その理論は17世紀頃まで影響を与えることになる。

バルドゥスの肖像画

バルドゥス 利用条件はウェブサイトで確認

おすすめ参考文献

ウルリッヒ・マンテ『ローマ法の歴史』田中実, 瀧澤栄治訳, ミネルヴァ書房, 2008

Joseph Canning, The political thought of Baldus de Ubaldis, Cambridge University Press, 1987

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