ブルージュ/ブルッヘの歴史と旅行の魅力を深く紹介

 ブルージュはベルギー北西部の都市で、中世の歴史情緒あふれる景観が広がっています。ただの中世の景観ではありません。中世のヨーロッパ北部で最も発展した国際的な商業都市の景観です。しかも、フランドル絵画など、北方ルネサンスが発展した地でもあり、優れた芸術作品も堪能できます。運河の通ったブルージュは「北のヴェネチア」と評されることもあります。鐘楼とベギン会の建物、歴史地区が世界遺産に登録されています。

 ブルージュはさほど広い街ではありませんので、観光には1日あれば足りるでしょう。見たいものを絞れば、半日でも可能です。ちなみに、ブルージュはフランス語名であり、オランダ語名ではブルッヘです。

 以下では、まずブルージュの歴史を紹介します。次に、ブルージュの観光スポットを紹介します。観光スポットから読みたい方は、目次を開いて、観光スポットの部分に移動してください。歴史を踏まえて旅行すれば、その体験はより面白く豊かになります。歴史の部分から観光の部分へと読み進めることをおすすめします。

ブルージュの歴史

 ブルージュは北海沿岸にあり、交易や商業で発展してきた都市です。ブルージュという都市の名前自体が桟橋や船着き場という意味合いの言葉に由来すると考えられています。

 9世紀には、ノルマン人の侵攻を食い止めるために、初代フランドル伯がブルージュに城を築きました。その後、ブルージュは陸と海をつなぐ交易都市として徐々に発展していきます。

 交易都市としての発展

 12世紀には、ブルージュは領主のフランドル伯から租税の免除などの様々な特権を得ました。自ら市議会を設置し、都市の自治を行うようになります。13世紀には定期的に見本市を開始しました。当時のハンザ同盟に加わり、ロンドンとの取引を活発に行いました。

 経済的に発展すると同時に、キリスト教の活動も活発になっていきました。この時期に聖バシリウス教会やベギン会の建物が建てられました。

 ブルージュの黄金時代

 14世紀、ブルージュは経済的には絶頂に達します。北方ヨーロッパで最も重要な商業都市の一つといえるほどの繁栄ぶりでした。フランドルの織物製品や運搬コストの低さなどがその要因でした。ブルージュにはヨーロッパ中から商人と商品が集まりました。たとえば、ヴェネチアやビザンツ帝国の織物製品、東洋の香辛料、ロシアの毛皮、ドイツの木材やスウェーデンの鉄、ノルウェーの魚、ガスコーニュのワインなどです。この国際的な商業都市としての面影をみるには、マルクトが適しています。

 ブルージュは国際的な商業都市となった結果、金融の中心地の一つにもなりました。というのも、まず、それぞれの国で使用される通貨が異なっていたので、外国為替取引が盛んに行われたためです。ほかにも、預金や立替のような銀行の業務も行われました。とはいえ、この金融市場を牛耳っていたのはブルージュ商人ではなく、フィレンツェなどのイタリアの商人でした。

ペトルス・クリストゥスの『彫金師』 利用条件はウェブサイトで確認
ペトルス・クリストゥスの『彫金師』

 ブルージュの繁栄は主に交易と金融に基づいていました。産業としては、イギリスの羊毛を用いた織物産業が行われていました。その発展のピークの時期に、市庁舎が建設されました。中世ヨーロッパでは、市庁舎という公共建築物は都市の顔といえるほど重要な建築物でした。当時のブルージュの発展に見合った素晴らしい市庁舎が求められたのでした。

 経済的衰退と文化的発展

 しかし、14世紀なかばから、織物職人同士の内部対立が激しくなっていきます。これがブルージュの経済的衰退の一因となりました。他にも、ブルージュの港湾が沈泥により利用困難になったことや、近隣のアントワープが国際的な商業都市として台頭してきたことなども原因です。その結果、ブルージュの経済的重要性は次第に落ちていきました。

 それでも、文化の面では、15世紀のブルージュは北方ヨーロッパの中で特に発展した都市の一つでした。この時期、ブルージュはブルゴーニュ公の支配下にあり、ブルゴーニュ公の宮廷が置かれました。当時のブルゴーニュ公国は劇場国家と評されるように、壮麗な祝祭や催し物を好みました。豪奢な建築に相当の資金を費やしました。そのため、文化が発展していきます。

 1477年、突如として、ブルゴーニュ公のシャルル豪胆公がフランスとの戦争中に死にました。娘のマリーはハプスブルク家のマキシミリアンと結婚しました。かくして、ブルージュはハプスブルク家の支配下に入りました。その支配は18世紀末のフランス革命の頃まで続くことになります。なお、シャルル豪胆公とマリーの霊廟は聖母教会にあります。

 北方ルネサンス

 15世紀なかばには、ブルージュで北方ルネサンスが開花していきます。そもそも、ルネサンスはヨーロッパ南部のイタリアでフィレンツェを中心に始まりました。フィレンツェでは、メディチ家などの商人貴族がパトロンとなり、この文芸復興運動を大々的に推進していました。上述のように、ブルージュの金融市場はフィレンツェの銀行家によって牛耳られていました。このようにフィレンツェとブルージュはつながったのです。

 ブルージュでは、フランドル派の絵画が誕生しました。まず、第一世代のヤン・ファン・エイクはブルージュで活躍しました。油彩画の開発や改良で有名な画家です。

ヤン・ファン・エイクの『磔刑』と『最後の審判』 利用条件はウェブサイトで確認
エイクの『磔刑』と『最後の審判』

第2世代のメムリンクなども素晴らしい作品を残しています。かくして、北方ルネサンスが華やいだのです。彼らの作品はグルーニング美術館や聖ヤン病院博物館で鑑賞できます。

メムリンクの『世界の救世主』

 16世紀になっても、ブルージュは文化的爛熟の時代にありました。

16世紀のブルージュ 利用条件はウェブサイトで確認
16世紀のブルージュ

この時期、オランダの代表的な人文主義者エラスムスがブルージュに滞在しました。また、スペインの人文主義者ルイス・ビーベスなども滞在しました。彼らを惹きつけるほど、ブルージュの文化は発展していたのです。

ブルージュの16世紀の織物製品 利用条件はウェブサイトで確認
16世紀の織物製品

 中世の再評価

 その後、ブルージュは世界史の第一線からは退きます。

17世紀のブルージュ 利用条件はウェブサイトで確認
17世紀のブルージュ

都市全体が大きな変更を受けないまま19世紀になりました。19世紀、ヨーロッパではロマン主義の影響で、中世の文化を再評価する動きが活発になりました。中世の歴史的建築を単なる過去の遺物とみなさず、そこに歴史的ロマンを感じる人々が増えてきたのです。ブルージュは中世の絶頂期の街並みを保持していました。徐々に観光で注目され始めます。

 20世紀になり、ブルージュの歴史的な景観は保持ないし修復され、現在に至っています。ブルージュの北部には工業地帯がつくられ、電子機器などが生産されるようになりました。現在のブルージュの人口は11万人ほどです。

ブルージュの観光スポット7選(2024年度版)

 マルクト(Markt)

 かつての国際的な商業都市ブルージュを象徴する場所。ブルージュの実質的な中心地といえます。

マルクト

広場の中央には、14世紀初頭のフランス王軍とブルージュ市民軍の戦い(黄金拍車の戦い)で後者を率いたリーダーの像が建てられています。また、広場の一角には、13世紀に建てられた高さ83メートルの鐘楼があります。世界遺産に登録された由緒ある建築物です。これは47の鐘をつけたもので、週に三回ほど、お昼に鐘を鳴らしています。

ブルージュの19世紀の鐘楼 利用条件はウェブサイトで確認
19世紀の鐘楼

 市庁舎(Stadhuis)

 中世のブルージュの顔であり、当時の栄華を繁栄した建物です。現在も市議会で利用されています。入口を入ると、壮麗なホールが出迎えてくれます。1階には、歴代の統治者の肖像画など、ブルージュの歴史を理解するのに役立つ展示があります。2階には、現在も結婚式などで利用されている素晴らしいホールがあります。必見です。

市庁舎

 グルーニング美術館(Groeninge Museum)

北方ルネサンスの美術品を鑑賞したい方には、グルーニング美術館がおすすめです。ヤン・ファン・エイクやメムリンクのフランドル絵画を堪能できます。ほかにも、新古典主義や象徴主義の作品も展示されています。

 グルートゥーズ博物館(Gruuthuse museum)

 ここでは、タペストリーやレースの作品、ステンドグラスなどの工芸品の優れた品々を鑑賞することができます。また、特徴的なのは、隣接する聖母教会と内部でつながっていることです。

グルートゥーズ博物館

 聖母教会(Onze-Lieve-Vrouwekerk)

 ノートルダム教会と同一です。13世紀に建設された由緒ある教会です。高さが110メートルほどある塔を備えています。レンガ造りの塔としては、世界でも最も古いものに属します。ここには、ブルゴーニュ公のシャルル豪胆公とマリーの霊廟があります。

シャルル豪胆公とマリー 利用条件はウェブサイトで確認
シャルル豪胆公とマリー

 聖母教会の付属博物館でも、優れたキリスト教美術の作品を数多く鑑賞できます。中世ベルギーの主だった芸術家のオーリーやオーストなどの作品のみならず、イタリアのミケランジェロの「聖母子」も展示されています。

 聖ヤン病院博物館と薬局(Museum Sint-Janshospitaal)

 聖ヤン病院は12世紀に建てられました。現在も保存されている病院の建築物としては、ヨーロッパでも最古のものに属します。当時の病院はキリスト教の信仰と慈善の活動と一体化していました。15世紀、上述のメムリンクがこの病院のために作品を制作しました。それらの作品などが展示されています。

 病院の隣には、修道院が建てられていました。それが17世紀に薬局として転用されました。現在はこれも見学できます。当時の薬局の雰囲気を味わうことができます。

 聖血大聖堂(Heilig Bloed Basiliek)

 この大聖堂の一階部分は聖バシリウス礼拝堂で、12世紀に建てられました。15世紀、その上に聖血大聖堂が建てられました。

聖血大聖堂

 ちょっと変わった名前の大聖堂です。その由来は、キリストの血が数滴入ったといわれる金の箱にあります。キリストの聖なる血というキリスト自身の聖遺物です。これは1150年にエルサレムからブルージュに運ばれたと言われています。

 聖血の宗教行列(Heilige Bloed Processie)

 これはブルージュの伝統行事の一つです。遅くとも13世頃から、ブルージュでは聖血の宗教行列がおこなれるようになりました。聖血の聖遺物をもった聖職者などの行列が街中を練り歩くのです。なぜかといえば、聖遺物には病気の治癒などの奇蹟を起こす力が備わっていると信じられてきたためです。特に中世ヨーロッパでは、聖遺物への信仰が広く深く浸透していました。中世の巡礼地めぐりは本質的には聖遺物めぐりだといっても過言ではないでしょう。

 この聖血の宗教行列はブルージュの伝統行事として根付いています。21世紀には、世界無形遺産に登録されました。現在では、キリストの昇天日に行われます。昇天日の具体的な日にちは年によって異なりますが、5月が多いです。


聖血の宗教行列の動画(画像をクリックすると始まります)

ベルギーのおすすめ観光地

ブリュッセル:ベルギーの首都で、現在はヨーロッパの首都ともいわれる国際都市です。グランプラスのような美麗な広場もあれば、ベルギー独立に直結する歴史的空間もあります。首都だけあって、美術館も第一級です。

リエージュ:東部の都市で、重工業と商業で発展してきた主要都市です。工業関連の優れた博物館をもつ点で特徴的です。宗教芸術では、リエージュならではのモザン美術の作品を堪能できます。

おすすめ参考文献


斯波照雄, 玉木俊明編『北海・バルト海の商業世界』悠書館, 2015
谷克二, 武田和秀『フランドル美術紀行 : ベルギー「美の巨匠」との出会い』日経BP出版センター, 2007
渡辺節夫編『ヨーロッパ中世の権力編成と展開』東京大学出版会, 2003
Noël Geirnaert, Bruges : two thousand years of history, Stichting Kunstboek, 1996

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