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ジャン・カルヴァン:国際的な宗教改革の指導者

 ジャン・カルヴァンはフランスの神学者(1509ー1564)。宗教改革の代表的人物として知られる。主著『キリスト教綱要』を公刊し、ジュネーヴで宗教改革を成功させ、神権政治を行った。カルヴァン主義の国際的なネットワークを構築し、宗教改革を国際的に展開した。以下では、予定説などの思想や、資本主義との関係も説明する。

カルヴァン(Jean Calvin)の生涯

 カルヴァンはフランスのノワイヨンで弁護士の家庭に生まれた。聖職者の道を目指し、当時のスコラ学を学んだ。だが、父の意向で、法学の勉学に移ることになった。そこで、1528年から、ブールジュ大学とオルレアン大学で法学を学んだ。

 大学時代に、カルヴァンはエラスムスらの人文主義の影響を受けた。ギリシャ語やラテン語、ヘブライ語を学んだ。

 カルヴァンは当時のフランスでの教会改革運動にも触発されていった。その背景として、隣国のドイツでルターが1517年に宗教改革を開始した。まもなく、フランスでも教会の刷新を推進する人々が人文主義者の間で登場した。

 彼らは新約聖書をフランス語に翻訳した。これは聖書主義を標榜する宗教改革の運動にとって、重要な出来事である。当初、フランソワ1世のフランス王権はこの改革運動にたいして好意的だった。カルヴァンもまたこれに影響を受けるようになった。

宗教改革運動へ:主著『キリスト教綱要』


 だが、1530年代半ば、フランスでの宗教事情は大きく変化した。檄文事件(カトリックを偶像崇拝と断じたポスターが各地に貼られた事件)などをきっかけとして、王権は宗教改革運動を厳しく取り締まるようになった。

 カルヴァンは信仰上の理由で、フランスからスイスへ逃れた。チューリヒなどでプロテスタントの人々と交流をもった。バーゼルに落ち着き、神学研究に打ち込んだ。1536年、主著の『キリスト教綱要』の初版を公刊した。

 本書で、カルヴァンはフランスで弾圧されているキリスト教の真の教義をフランス王に説明しようと試みた。本書はその後も改訂増補され、カルヴァンの主著としてロングセラーとなっていく。

 ジュネーヴの改革運動の主導

 1536年、『キリスト教綱要』公刊の後、カルヴァンはイタリアとフランスを往復していた。スイスでジュネーブに立ち寄った。
 同じくフランスから亡命していた神学者ファレルと知り合った。ファレルは1532年から、ジュネーヴで宗教改革を実践し、カトリックのミサの廃止を実現していた。

 カルヴァンはファレルに説得され、ジュネーヴの宗教改革を推進することになった。聖書の講義を一般向けに行った。この頃、ジュネーヴ市民はプロテスタントの信仰に熱心ではなかった。

 カルヴァンとファレルは教会の儀礼などに関して様々な改革を導入しようと試み、妥協しなかった。そのため、ジュネーヴ当局と対立した。1538年、ついにカルヴァンたちはジュネーヴから追い出された。

 神学の研鑽

 カルヴァンはストラスブールに移った。そこでは、フランスからの亡命者たちに牧師として接した。他の宗教改革者のプツァーらと知り合い、知見を深めた。この時期に聖書の註解の研究を本格的に開始した。また、この時期に結婚もした。

 再びジュネーヴへ:神権政治

 1541年、カルヴァンはジュネーヴから戻ってくるよう依頼を受け、戻った。現在のジュネーヴ旧市街にあるサン・ピエール教会で牧師を務めた。また、ジュネーブ学院の神学教授もつとめた。
 ここから、本格的に神権政治を開始した。聖職者と平信徒の代表者で構成される長老主義の教会統治を開始した。

 カルヴァンは宗教儀式に関するルールを定め、これを実践させた。宗教教育の整備にも着手した。カトリック以外にも、照明派やリベルタンと敵対した。
 真のキリスト教徒としての生き方に必要だと考えられる範囲で、習俗や道徳の改革にも着手した。そのため、市民からの反発も生じた。
 国際的には、ジュネーヴは宗教改革の都市として認知されるようになった。他国で迫害されたプロテスタントの避難所として機能した。

迫害の経験

  カルヴァンの神学や実践はカルヴァンらがそれまでの迫害を経験した結果でもあると指摘されている。すなわち、カルヴァンらはフランスなどで世俗当局の圧力を受けても自身の信仰を曲げず、祖国から亡命した。

 その苦しい境遇の中で、予定説のような厳格で極端な形態の神学と霊性を発達させていった。カルヴァン主義の教義や宗教実践および道徳をジュネーヴなどで世俗権力によって強制しようとしたのもその一貫だと評されている。

セルウェトゥスの火刑事件

 1553年には、セルウェトゥスの信仰をめぐる問題がジュネーヴで生じた。その背景として、セルウェトゥスは同年に公刊した著作で、キリストが神であることや信仰のみによる義認を否定していた。カトリックの異端審問で逮捕されかけたが、うまく逃げ切った。

 ジュネーヴに到来した際に、セルウェトゥスはすぐに逮捕された。セルウェトスへの裁判に、カルヴァンは関わった。当時のジュネーヴの慣習上、この宗教的な罪は火刑に値した。
 実際に、セルウェトゥスは火刑に処された。この一件はプロテスタントの間でも迫害として物議を醸した。
 カトリックは自身の異端審問制度を批判された際に、この一件を引き合いに出して反論した。すなわち、プロテスタントもまた異端への火刑を行っている、と。

 国際的なカルヴァン派の宗教改革運動

 1550年代後半には、ジュネーブは宗教改革の中心地の一つになった。カルヴァンは同時に、文通などによって、他国のプロテスタントと広く交流を持ち、国際的な宗教改革運動を行った。そのため、カルヴァン主義はイギリスやネーデルラント、東欧などにも広まった。

 それらのカルヴァン主義組織は相互にネットワークを構築し、カルヴァン主義の国際的な宗教改革運動が組織された。かくしてカルヴァンはルターに並ぶ主要な宗教改革者となっていった。

 カルヴァンはフランスのカルヴァン主義の形成でも重要な役割を担い続けた。たとえば、1559年、パリでカルヴァン主義による最初の全国教会会議が開催された。このとき、カルヴァンはそこで採択されるべき信仰告白を起草して送った。

 これは多少の修正をへて、1571年に正式に採択された。フランスは1562年から、カトリックの王権と諸侯およびカルヴァン主義プロテスタント諸侯の宗教戦争に突入していく。
 ちなみに、当時のカルヴァン主義者たちは「改革派」と自称していた。ただし、改革派にはカルヴァン以外のプロテスタントの神学者の影響もみられたが。

 カルヴァンは1564年に没した。

カルヴァンの思想と実践

 カルヴァンの思想の特徴としてまず挙げられるのは予定説である。ただし、予定説はカルヴァン自身の神学というよりも、その後のカルヴァン主義者の神学において特に重要な要素になっていったと指摘されてもいる。

予定説

 カルヴァンは『キリスト教綱要』の中で(二重)予定説についてこう論じている。神は永遠で不変の計画において、ずっと以前に一度だけ、魂を救済されることになる人々と、救済されない人々を定めた、と。
 このように、ある人々は救済が予定されており、他の人々は破滅が予定されているのを(二重)予定説と呼ぶ。
 予定説の特徴としては、神の絶対性が挙げられる。神はこの世界を創造し、全知全能であり、あらゆるルールについて一方的に決定を下す。人類の救済についても同様である。なぜある人々は救済され、他の人々は救済されないのか。

 その原因はその人達自身の行いや価値にあるのではない。もし人間の行いにあるとしたら、人間が自身の力で救済を達成するということになるだろう。しかし、救済は人間の行為に影響されるようなものではなく、神がすべて一方的に決定できるような性質のものである。
 予定説からみてとれるのは、このような神の絶対性や主権であり、神への畏怖であると評される。

予定説と資本主義:ウェーバーの理論

 マックス・ウェーバーの有名な『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』により、カルヴァン主義思想が資本主義の発展に大きく貢献したと考えられるようになった。同時に、この理論への批判も巻き起こった。

 ウェーバーはカルヴァンの予定説に着目する。近世のヨーロッパ人は救済を望んだ。予定説において、自身が救済されるか否かは神のみが決定した。人間は自身が救済されているのかどうか確実に知る方法がないと論じられた。救いの確証を得られないので、不安になる。

 これにたいし、カルヴァンは自身の職業において懸命に働けといった。この職業もまた神が各人に与えたものである(当時は身分制の時代であり、簡単には職業=家業を変更できなかった)。懸命に働いて成功したなら、これは救済されることのヒントになるだろう、と。

 このような発想のもと、人々は自身の職業にひたすら打ち込んだ。生み出された利益を楽しみや余暇のために利用せずに、自身の事業にさらに投資した。
 そのようにして初期の資本主義が発展していった。この初期の資本主義の精神はカルヴァン主義にこそ見出されるものであり、ほかには見出されない、と。
 この理論は教科書的には資本主義の発展に関して重要視されてきた。それによれば、それまでの中世カトリック教会の教えでは、ビジネスで利益を生み出すことは宗教倫理において悪いことだと考えられてきた。

 たとえば、高利貸しが断罪され、銀行家が非難された、と。これにたいし、カルヴァンの理論はビジネスで利益を出すことに好意的であり、よって資本主義を後押しする宗教倫理になることができた。教科書的にはこのように理解されてきた。

 ウェーバーへの批判

 ウェーバーの理論は様々な批判を受けてきた。あるいは、ウェーバー自身の議論を越えて、キリスト教倫理と資本主義の関係が論じられてきた。現状としては、カルヴァン主義思想が初期資本主義精神の排他的な源泉だったと論じることには無理があると考えられている。

 主な原因としては、そもそも、カトリックの宗教倫理についてウェーバーの知識不足が指摘されている。当時の研究水準からすれば、仕方がなかったのかもしれない。
 関連する他の原因として、カルヴァン主義以外の倫理であっても、資本主義の発展に寄与しえた倫理が当時はいろいろあったという点が挙げられる。それは当時の多種多様なカトリックの倫理であったり、あるいは世俗的な倫理の可能性もある。

 カルヴァン主義以外の源泉の候補

 例を一つ挙げよう。15世紀のフィレンツェはメディチ家が銀行家として台頭して市政を掌握しイタリア政治でも活躍したように、経済的に繁栄した。
 その際に、金儲けはキリスト教的にみて悪いことではないかという考えがフィレンツェの富裕層の脳裏にもよぎった。そこで、彼らは蓄財を正当化するロジックを別のところから探し出した。
 それは古典古代の共和主義思想だった。古代の共和主義において、王は存在せず、全ての市民こそが自分たちの共和国を構成する。すなわち、自分たち市民こそが国である。

 そのため、ほかでもない自分たち市民こそが共和国を支えなければならない。この場合、自分たちの経済的資産は政治的独立と経済的繁栄の基礎である。
 自分たち市民が金銭をしっかり稼いで富を蓄えることで、防衛費や外交のための費用を出すことができる。しっかり稼ぐことで、経済的に繁栄し、祖国の独立を確保し、その名声を轟かせることができる。

 このように、蓄財は古典的な共和主義のもとで正当化された。ルネサンスによってこのような古典古代の共和主義が再発見された結果だった。
 よって、資本主義の発展が、ほかでもないカルヴァン主義の倫理でなければならなかった理由を特定することは非常に困難であろう。
 かくして、カルヴァン主義は初期の資本主義発展の一因になりえたが、ほかの倫理も同様に加味されなければならない。よって、カルヴァン主義の倫理が資本主義の発展において排他的に重要だったとはいいがたい。

カルヴァン派とルター派の違い:宗教実践について

 カルヴァンは信仰の実践において、視覚を軽視して聴覚を重視したといわれる。視覚は端的にいえば聖画や聖像ないし教会建築であり、宗教美術である。中世カトリック教会はまさにこれらの宗教美術を発展させ、ルネサンスにおいてこれに拍車をかけた。

 ルターが批判した免罪符はヴァチカンのサン・ピエトロ大聖堂の増改築の費用拠出のために、フィレンツェのパトロンで有名なメディチ家出身の教皇によって発行されたものだった。カルヴァンはこれらの聖像などを偶像崇拝とみなし、キリスト教の信仰から逸脱させるものとして断罪した。
 聴覚を重視したというのは、聖書の説教を重視したという意味である。カルヴァン主義の教会の建物は説教壇を中心につくられている。カトリックの場合は祭壇が中心である。
 だが、聴覚の重視については、カルヴァンは教会音楽にたいして厳しい態度をとった。詩篇を歌うことは許可したが、それ以外については否定的だった。
 視覚と教会音楽への許容という点で、カルヴァンはルターと異なった。ルターはクラーナハのような優れた画家と出会い、聖書への挿絵をも許可するようになった。また、ルターは大の音楽愛好家だった。自ら作詞や作曲もしている。

 ルターの教会音楽への積極的な姿勢がのちのバッハなどのドイツ音楽に大きな影響を与えたともいわれている。カルヴァンには、このような側面はなかった。教会にオルガンを買うくらいなら、そのお金で貧民に施しをせよといわれた。

 カルヴァンと縁のある人物

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https://rekishi-to-monogatari.net/Guillaume Farel

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カルヴァンの肖像画

ジャン・カルヴァン 利用条件はウェブサイトにて確認

画像は1560年代のもの

おすすめ参考文献

渡辺信夫『カルヴァン』清水書院、2016

日本カルヴィニスト協会編『カルヴァンとカルヴィニズム : キリスト教と現代社会』一麦出版社, 2014

ruce Gordon and Carl R. Trueman (eds.), The Oxford handbook of Calvin and Calvinism, Oxford University Press, 2021

Gijsbert van den Brink, Calvinism and the making of the European mind, Brill, 2014

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