様々な価値観や考えで溢れている現代の世界。そこに生きる私たちにとって、大いに示唆に富むことで有名なのがモンテーニュの『エセー』です。
普段の生活の中で、仕事や家事などの時間に流されてしまうのが普通といえるでしょう。しかし、このまま時代に流されてしまうのはどうなのだろうか。一度立ち止まって、考えてみたほうがよいのではないか。自分の生き方を見つめてみることが大切なのではないか。
特にそのように感じる方には、『エセー』がおすすめです。もちろん、本書から様々な知的刺激をえることもできます。
この記事では、『エセー』がどのような著者によって、どのような時代と経験の中でうみだされていったのか、どのような特徴をもつのかを紹介します。そのようにして、『エセー』の魅力や意義を伝えることができれば幸いです。
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モンテーニュの『エセー』とはなにか
著者はどんな人?
モンテーニュは16世紀半ばのフランスの貴族です。学生の頃は、ルネサンスの教養をみにつけました。法律の道に進み、裁判所で活躍していました。
30代半ばで父が没し、モンテーニュはその財産と領主の地位を引き継ぎました。それをきっかけに、法律の職をやめて、自宅での読書と思索に打ち込みました。その頃から、『エセー』の執筆も始めていきます。
40代後半になり、知的に成熟した頃に、『エセー』の初版を公刊します。その後、フランス宗教戦争が起こる中で、和平を推進するなどして、これに関わっていきます。同時に、『エセー』を加筆修正していきました。モンテーニュは没するまで、『エセー』をより豊かなものにしていきました。
『エセー』はどのような時代にうみだされたか
宗教戦争
『エセー』は宗教戦争という激動の時代にうみだされました。16世紀のヨーロッパはルターの宗教改革の時代です。西欧のキリスト教は従来のカトリックに加えて、ルターやカルヴァンらのプロテスタントが誕生しました。
これらの宗派がドイツやフランスなどで対立し、宗教戦争を引き起こしました。フランスでは、1452年から宗教戦争が起こりました。
これはヨーロッパの強国フランスを崩壊の機器にまで追い込んだ戦争です。当時のフランス人の多くがその危機感を抱きました。モンテーニュもその一人です。そのため、和平のために活動したのでした。
宗教戦争の原因は複数あります。その一つとして、信仰の違いが思想・信条の対立を引き起こし、それが政治的な対立に発展していく。これらの対立が国を滅ぼしてしまうかもしれない。当時はそのように考えられました。
モンテーニュはそのような激動の時代に、宗教戦争の嵐に立ち向かいながら、その知見をも糧にして、『エセー』を紡ぎ出しました。
大航海時代
他方で、16世紀はヨーロッパの大航海時代でもありました。1492年にコロンブスがアメリカを「発見」した後、スペインなどがアメリカの探検と征服に着手します。
この「発見」はヨーロッパに大きな衝撃を与えました。南北アメリカ大陸やカリブ諸島では、ヨーロッパに生息していない未知の動物や植物が数多く存在していました。
ヨーロッパ人はこれらを目の当たりにし、従来の常識や伝統的な知識の多くが通用しないことを知りました。大きな知的衝撃を受けたのです。
中世ヨーロッパの伝統的な考えはルネサンスによって様々な刺激を受けて、変化していきました。そ上で、大航海時代の新しい経験や知識によって、さらにゆらぎ、大きく変わっていきます。
モンテーニュは新世界アメリカの新たな知見を吸収しながら、『エセー』を執筆しました。
『エセー』の特徴
以上のように、モンテーニュが生きたのは、ヨーロッパの伝統的な考えが大きく動揺したり、新しい考えと従来の考えが対立しては戦争へと発展するような時代でした。
そのような中で、モンテーニュはどのような思索を生み出したのでしょうか。具体的な内容はここでは述べません。その特徴だけ述べましょう。
時代が大きく変動していく中にあって、モンテーニュは絶対的で正しい考えというものを追求しようとはしませんでした。むしろ、そのような考えが存在することを疑いました。
いつどこでも通用する絶対的知識。そのような知識の代わりに、モンテーニュは様々な視点をたえず移動して、自分自身の考えを練磨していきました。
様々な常識的で一般的な考えを渡り歩くだけでなく、例外や特殊なケースにも心を開きました。論じたトピックも広く、政治などのかたいテーマだけでなく、日常的なものも扱っています。
モンテーニュは自分が何を知っているのか、どういう考えを持っているのかを吟味し続けました。自ら生み出した考えを別の視点で再度吟味していきます。そこで出てきた結論が、自分以外の他者に必然的に通用するとは考えません。
モンテーニュは、いまここで生み出された自分の考えの特殊さを自覚しつづけます。『エセー』を通して、自己認識と思索を深め続けていきます。もちろん、このような試みは自分の殻に閉じこもることではありません。複数の視点を積極的に採用したように。
従来の知的枠組みが大きく揺らぎ、複数の新たな知的潮流が現れては、相互に対立して、血なまぐさい争いに発展することもある。そのような中にあって、モンテーニュは複数の視点を渡り歩きながら、自分自身の考えがどのようなものなのかを探求していきました。その結果、『エセー』は示唆に富むユニークな本になりました。
読者がモンテーニュの考えをどう受け取り、解釈するかは自由です。むしろ、モンテーニュはそのような自由を読者にたいして意図的に与えました。
実に多様な知的枠組みが存在し、目まぐるしく変わっていく現代。この時代にあって、あなたは本書からなにを受け取り、どのように消化していきますか。
最後に、『エセー』の言葉をいくつか紹介します。興味が湧いた方は、ぜひ本書を読んでみましょう。
『エセー』の名言
「私は自分自身をよりよく表現するためにのみ、他者の言葉を引用する」
「たしかに、人間はひどく狂っている。人間は虫さえ造れないのに、いくつもの神々をうみだそうとしている」
「忘れたいという願望ほど、物事を記憶に強く刻み込むものはない」
「ソクラテスにかんして最も注目すべきことはなにか。それは、彼が老年において音楽と踊りのために時間を見つけ、それをよい時間だと考えたことである」
「私たちは他者の学識を使えば、学問が身につくだろう。だが、私たちが賢くなるための唯一の方法は、私たち自身の知恵を用いることである」
「私たちが全然知らないこと以上に、固く信じられているものはない」
おすすめ参考文献
モンテーニュ『エセー』宮下 志朗訳, 白水社, 2005