『源氏物語』は紫式部の代表作であり、日本文学の代表作として世界的にも広く知られている。この記事では、あらすじや有名な場面を、400年前の美麗な画像とともに、紹介する。以下で示す画像はいずれも有名な場面を描いたものである。
1帖 桐壺(きりつぼ)
光源氏は桐壺帝の第2皇子であり、母は「桐壺更衣」(きりつぼのこうい)である。母はとても美しかったため、桐壺帝の寵愛を一心に受けていた。源氏もまた玉のように美しい子であり、「光の君」と呼ばれた。
だが、桐壺更衣は桐壺帝の他の妻たちの激しい嫌がらせと嫉妬ゆえに、病にかかり、まもなく没してしまった。
桐壺帝は光の君を天皇家にとどめるのではなく、臣下の身分に下降させることを決めた。というのも、占いにより、光の君がいずれ皇位についたなら、国乱が起こってしまうと予言されたためだ。
また、彼の母方の後ろ盾がないことも一因だった。そのため、光の君は源氏の姓が与えられ、天皇家の臣下となった。かくして、光源氏と呼ばれるようになる。
桐壺帝は「藤壺」(ふじつぼ)を宮中に迎え入れた。藤壺は桐壺更衣に似た美人だった。光源氏は母の面影を藤壺に見出し、継母となった藤壺に慕うようになる。
光源氏は元服した。そこで、早速、左大臣の娘の葵の上(あおいのうえ)と結婚した。葵の上が年上であり、プライドが高く、なかなか光源氏を受け入れようとはしなかった。源氏は桐壷のことを思慕しながら、さらに別の女性とも関係をもつようになる。
2帖 帚木(ははきぎ)
源氏には、頭の中将(とうのちゅうじょう)という親友がいた。彼は葵の上の兄である。
ある夜のこと、彼らは女性談義に花を咲かせていた。頭の中将はプライドの高い女流の女性よりも、風流な中流の女性のほうがよいと語る。
さらに、かつて契りを結び子供までできた中流の女性について話した。源氏はその女性の話に興味を惹かれた。この女性談義は有名な場面である。
翌日、源氏はとある家で空蝉という女性を見かけ、恋心をいだいた。空蝉はその家の妻だった。だが、源氏は抑えきれず、その寝所に忍び入り、一夜を過ごした。
3帖 空蝉(うつせみ)
空蝉はもはや源氏に会おうとはしなかった。源氏は無理やり会おうとした。空蝉の邸宅を訪ね、空蝉と継娘が碁を打つ姿にみとれた。
その夜、源氏は再び空蝉の部屋に忍びこむ。だが、空蝉はその部屋から逃げた。その部屋には継娘が眠っていた。仕方なく、源氏は継娘と一夜を過ごした。
4帖 夕顔 (ゆうがお)
結局、空蝉は夫とともに新たな任地に旅立ったので、源氏はもはや会うことができなくなった。
その頃、源氏は六条御息所(ろくじょうのみやすどころ)という女性のもとにも通っていた。六条御息所は高貴な生まれであり、プライドの高い女性だった。そのため、源氏は彼女との交際に倦むようになっていた。
ある日、源氏は六条御息所のもとに通う途中、たまたま夕顔という女性を見かけた。源氏は夕顔に惹かれ、ともに一夜を過ごそうとした。夕顔を訪れるシーンも有名な場面だ。
だが、夕顔は化物につかれて死んでしまった。この夕顔こそ、かつて頭の中将と契りを結んだ中流の女性だと、事後的に知った。
5帖 若紫 (わかむらさき)
源氏は北山を訪れた際に、藤壺に似た美少女を見かけた。紫の上である。紫の上は藤壺の姪だった。母はすでに没しており、祖母に育てられていた。
源氏は紫の上といっしょに住みたいと思った。そこで、彼女を引き取りたいといったが、幼すぎるため、祖母に断られた。
帰京した源氏は藤壺のことを忘れがたく、密会した。二人はついに一線を超え、男女の関係に至ってしまう。藤壺は源氏の子を身ごもった。
ほどなくして、紫の上の祖母が没した。紫の上は父に引き取られる運びとなった。
それを知り、源氏は紫の上をいそいで連れ出し、自宅でともに暮らすようになった。この可憐な少女を自分の好むように育てていった。
6帖 末摘花(すえつむはな)
同時に、源氏の女性遍歴は続いた。常陸宮(ひたちのみや)の娘の噂を聞き、頭中将と競ってその愛を勝ち取ろうとし、成功した。
だが、彼女は源氏には特に取り柄のない、つまらない女性に感じられた。その姿を見て、さらに幻滅した。鼻が異常に長く、鼻先が赤い女性だった。
その鼻が末摘花に似ていたので、彼女はそう呼ばれる。源氏は末摘花のもとから遠ざかった。
7帖 紅葉賀(もみじのが)
藤壺は光源氏の子供を身ごもった。だが、この禁断の関係は二人だけの秘密となっており、周囲には当面知られることがなかった。桐壺帝もそれを知らなかった。
この子供の懐妊を祝して、桐壺帝は壮大な祝宴を開いた。源氏と頭中将は見事な舞を披露し、周囲の称賛をえた。
その後、藤壺はこの子を出産した。この子供は桐壺帝と藤壺の子供だと思われ、そのような子供として育てられる。のちに「冷泉帝」(れいぜいてい)となる。
だが、この子供が源氏にそっくりなのをみて、桐壺は気が気でなかった。源氏もまた、後ろめたさと罪深さを感じるようになった。
8帖 花宴(はなのえん)
ある日、源氏は宮中での花の宴に出席した。酔ったまま、宮中を散歩していたところで、朧月夜(おぼろづきよ)という女性と出会い、一夜を過ごした。
朧月夜は右大臣の娘であった。この右大臣は源氏の政敵だった。しかも、朧月夜は源氏の兄の春宮に嫁ぐことが決まっていた。この過ちは後で大きく響くことになる。
9帖 葵 (あおい)
天皇の代替わりが起こった。桐壺帝から朱雀帝の時代に移った。朱雀帝は源氏の腹違いの兄である。
この頃、葵の上が源氏との子供を身ごもった。葵の上は祭りの見物にでかけた。上述の六条御息所と鉢合わせになった。
お互いの従者が対立し、六条御息所の牛車が壊される結果となった。気高い六条御息所はこれを辱めとみなし、葵の上に恨みを抱いた。
葵の上は源氏との子供を生んだ。夕霧である。だが、葵の上は六条御息所の生霊に呪い殺されてしまう。源氏は葵の上のことを悲しみ、喪に服した。喪があけると、紫の上を事実上の正妻として迎えた。
10帖 賢木(さかき)
六条御息所は源氏との関係に思い悩んだ結果、ついに伊勢へ下った。その頃、桐壺帝が没した。藤壺は源氏との距離をとるべく、出家した。
宮廷は次第に、源氏の兄の朱雀帝の外戚である右大臣の派閥が権力を握るようになる。源氏は左大臣の派閥に属したので、劣勢に陥っていく。父という後ろ盾がすでに没しているのも、劣勢に拍車をかけた。
それまで勢いに乗っていた源氏だったが、その勢いに陰りがみえてきたのである。さらに、ここで決定的なスキャンダルが露見した。
上述のように、源氏は右大臣の娘の朧月夜と関係をもっていた。この関係はその後も続いていた。だが、ついに右大臣にこの関係が露見してしまったのだ。右大臣は当然ながら激怒した。源氏はいよいよ立場を危うくした。
11帖 花散里(はなちるさと)
そのような中で、源氏は苦しい立場に置かれた。ある日、かつて桐壺帝に仕えていた女性を訪れることがあった。その女性は妹の花散里と住んでいた。源氏は姉妹との語らいにひとときの休息をえた。
12帖 須磨(すま)
だが、ついに大きな転機が訪れた。源氏は右大臣の勢力によって蹴落とされ、宮廷での足場を失ったのだ。源氏は須磨への隠棲を余儀なくされた。これまでの驕りの結果だったといえるかもしれない。
須磨での生活はわびしいものだった。辺鄙な田舎に流された源氏を訪れる者はなかった。源氏を見舞いに行けば、右大臣に目をつけられてしまう恐れがあった。
だが、頭の中将だけは須磨に見舞いにきた。源氏は旧友の訪問を嬉しく思った。その後、須磨を暴風雨が襲った。
13帖 明石(あかし)
その頃、明石から、入道が源氏を迎えに来た。そうするようにという夢のお告げが明石の入道にあったという。
入道はもともと朝廷のもとで高い身分の人物だった。源氏を明石の自邸に招き、自身の娘の明石の上(あかしのうえ)と結婚させた。明石の上は源氏の子を身ごもった。
その後、源氏は朱雀帝によって都に呼び戻された。源氏のいなかった期間に、右大臣が没していた。様々な問題が起こっていた。朱雀帝は源氏への処置が原因だったと推測し、宮廷に呼び戻したのである。源氏は権大納言の職につく。
14帖 澪標(みおつくし)
朱雀帝が譲位し、冷泉帝が即位した。上述のように、源氏と藤壺の子である。だが、この事実は世間には知れ渡っていない。冷泉帝もまた、この事実を知らない。
そのため、世間的には、源氏は冷泉帝の兄であった。源氏は藤壺と良好な関係を維持した。このような状況のもとで、左大臣派の源氏や頭中将は昇進していき、栄華を極めていく。
その一方、家庭では紫の上が正妻としてふるまっていた。源氏の愛を受けていた。だが、跡継ぎが誕生していなかった。そのようなタイミングで、紫の上は、明石の君との間に源氏の子供が生まれたことを知り、当惑する。
同じ頃、六条御息所が伊勢から帰京した。娘を源氏に託して、没した。退位した朱雀帝はその娘を欲しがった。
15帖 蓬生(よもぎう)
源氏は末摘花のことを忘れたままだった。鼻が長く、先の赤い女性である。ある日、たまたまその家の前を通りかかった。
末摘花はその間に窮乏し、使用人もほとんどが彼女のもとを去っていた。そのため、家はもはや荒れ果てていた。
末摘花は他の頼れる人がおらず、荒れ果てた家で埋もれながら、源氏が再び会いに来るのをずっと待っていた。源氏は末摘花をたまたま訪れた。そして、そのことを知り、感動して、末摘花の生活も引き受けることを決めた。
16帖 関屋(せきや)
その後、空蝉が夫の任期満了に伴い、帰京した。源氏はその一行と出会い、交流をもった。夫が亡くなり、空蝉は出家した。
17帖 絵合(えあわせ)
その後、源氏は六条御息所の娘を冷泉帝の后に推薦し、その后の一人にするのに成功した。梅坪の女御(うめつぼのにょうご)あるいは秋好中宮である。
冷泉帝と梅坪の女御は絵を好み、仲睦まじくなっていった。頭中将はすでに娘を冷泉帝の后にしていたが、これを見て、焦りを感じた。
頭の中将と源氏は冷泉帝の関心を勝ち取るべく、それぞれ優れた絵をもちよった。両者の絵はどちらも冷泉帝の気に入ったが、源氏側が勝利した。特に、源氏が須磨流しの頃に描いた絵が冷泉帝の気に入った。
18帖 松風(まつかぜ)
源氏は30代に入った頃、自身の権勢に見合った豪華な邸宅を造営した。そこに、これまで関係してきた女性たちを招き、一緒に暮らそうと計画する。
まず、花散里をここに呼び寄せた。明石の上とその娘も呼んだ。だが、彼女たちは身分の違いを考慮して、辞退した。
19帖 薄雲(うすぐも)
源氏は明石の上の娘を引き取り、紫の上とともに育てることになる。紫の上は当初、この計画を聞いて動揺した。だが、実際の子育てによって、子供が愛おしくなり、自身も成長していく。
この頃、藤壺が没した。源氏は悲嘆に暮れた。その頃、ついに冷泉帝は自身の出生の秘密を知る。冷泉帝はこれまでの源氏への処遇を非礼としてわび、天皇の地位を実父の源氏に譲ろうとした。だが、源氏はこれを固辞した。
とはいえ、藤壺という母が亡くなったので、冷泉帝は源氏という父への依存度が高まった。源氏は太政大臣となり、政治的にはピークに達っすることになる。
20帖 朝顔(あさがお)
源氏はかねてより、いとこの朝顔に恋心をいだいていた。その思いを断ち切れないままだった。だが、朝顔は源氏の女性関係を知っていたため、源氏の思いに応えなかった。
ある夜、藤壺の幽霊が源氏の夢にでてくる。冷泉帝の出生の秘密が、よって二人の過ちが世間に知られたことについて、恨み言をいう。源氏は藤壺の供養を行った。
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おすすめ参考文献
小澤洋子『『源氏物語』忘れ得ぬ初恋と懸隔の恋 : 朝顔の姫君と夕顔の女君』新典社, 2020
上原作和編『紫の上』勉誠出版, 2005
秋山虔監『柏木 : 恋に惑溺した男、そのなれの果て』朝日新聞出版, 2012