ジョアキーノ・ロッシーニは19世紀イタリアの作曲家(1792ー1868) 。19世紀前半のイタリア・オペラでの黄金時代を代表する人物の一人として知られる。数々のオペラ、特に喜劇のオペラの楽曲を生み出した。代表曲には「スターバト・マーテル」や「ウィリアム・テル」などがある。
ロッシーニの出自と初期
ロッシーニはイタリアのペザロで、音楽家の家庭に生まれた。幼少期より、両親から音楽を学んだ。
1804年ごろ、一家はボローニャに移った。その頃から、1806年、ロッシーニはボローニャの音楽院に入学した。1810年に卒業した。
オペラ作曲家としての成功
ロッシーニはすぐにオペラ作曲家として頭角を現し始めた。1812年、『幸福な思いちがい』がヴェネツィアで初演され成功した。さらに、『試金石』はミラノのスカラ座で上演され、これも成功した。その後も、ロッシーニは『セビーリャの理髪師』などのヒット作を生み続け、名声を高めていった。
ロッシーニは引く手あまたの作曲家となった。ローマやヴェネツィア、ナポリやミラノの歌劇場でオペラ楽曲を制作し続けた。
ロッシーニの国際的な活躍
1822年、ロッシーニはイタリアを飛び出して、音楽の都ウィーンを訪れた。そこでこれまで作ってきたオペラを上演した。これらも大きな成功を収めた。たとえば、当時ウィーンで活動していたシューベルトらに感銘を与えた。また、ロッシーニ自身はベートーヴェンの楽曲に感銘を受け、彼と交流をもった。
1823年には、フランス哲学者ヴォルテールの著作に基づくオペラ『セミラーミデ』をヴェネツィアで発表した
1824年、ロッシーニはパリに移った。パリのイタリア劇場の音楽部門の監督になった。それまで制作してきたオペラを上演した。さらに、ドイツの詩人シラーの作品に基づく『ギョーム・テル』を上演し、大成功した。
ロッシーニの肖像写真

だが、次第にオペラの流行に変化が生じ始めると、ロッシーニはオペラの作曲から離れるようになった。また、フランスが7月革命などの影響で政情不安になると、1836年、ボローニャに移った。そこでは音楽学校の校長をつとめた。だが、1855年以降はパリに定住した。晩年は宗教音楽などの制作を行った。1868年に没した。
ロッシーニの代表曲「ウィリアム・テル」
ベルリン・フィルハーモニーがYoutube公式チャンネルにてお送りする「ウィリアム・テル」
ロッシーニの代表曲「スターバト・マーテル」
パリ・フィルハーモニー・オーケストラがYoutube公式チャンネルにてお送りする「スターバト・マーテル」
ロッシーニの主な楽曲・作品
『幸福な思いちがい』(1812)
『試金石』(1812)
『ブルスキーノ氏』(1813)
『タンクレディ』(1813)
『アルジェのイタリア女』(1813)
『イギリス女王エリザベス』(1815)
『セビーリャの理髪師』(1816)
『オテロ』(1816)
『シンデレラ』(1817)
『湖上の美人』(1819)
『セミラーミデ』(1823)
『オリー伯爵』(1828)
『ギョーム・テル』(1829)
『スターバト・マーテル』(1842)
『小荘厳ミサ曲』(1863)
おすすめ参考文献
丸本隆 編『パリ・オペラ座とグランド・オペラ』森話社, 2022








