岩波茂雄は大正から昭和の実業家(1881―1946)。岩波書店の創始者。神田の神保町に古書店として岩波書店を開き、これを出版社として育て上げた。戦前から、先見の明をもって、岩波文庫や岩波新書などのシリーズを刊行し始め、岩波文化を築いた。なお、これからみていくように、岩波が古書店から出版業へ本格的に参入したきっかけは、あの文豪の名作を出版したことだった。
岩波茂雄(いわなみしげお)の生涯
岩波茂雄は長野県で生まれた。中学の頃、日本主義の思想家の杉浦重剛(すぎうらしげたけ)に影響を受けた。そこで、東京に移り、日本中学校に入った。その後、第一高等学校に入ったが、中退した。東京帝国大学の哲学科選科に入り、卒業した。神田女学校の教師になったが、まもなく辞職した。
出版業への参画:夏目漱石との出会い
1913年、岩波は東京の神田の神保町で古書店の岩波書店を開いた。この頃、作家として活躍していた夏目漱石と知り合った。1914年、漱石の『こころ』を岩波書店で出版した。これを契機に、本格的に出版業を開始した。1915年には、哲学者の西田幾多郎らの協力で、『哲学叢書(そうしょ)』を公刊した。同年、漱石の『道草』も出版した。漱石の死後には、1917年から『漱石全集』の刊行を開始した。
この頃、日本の大正時代は教養主義のブームが起こっていた。岩波はこの波に乗りながら、1921年には学術誌『思想』を創刊した。
岩波文化の形成:日本の出版業への貢献
1927年、岩波は「岩波文庫」シリーズを始めた。これはドイツのレクラム文庫をモデルにしており、安価で良質な文庫シリーズとなった。東洋と西洋の様々な古典を日本で普及させ、日本人の知的な底上げを図った。さらに、目下の現実的問題に取り組むために、1938年に「岩波新書」シリーズを開始した。ほかにも、文学から自然科学まで広範囲にわたって書籍を出版していった。かくして、いわゆる岩波文化を形成した。
だが、1930年代後半以降、日本での出版業界は冬の季節を迎えた。第二次世界大戦の足音が聞こえる頃、政府は厳格な言論統制を行い、出版の自由を抑圧した。例えば、1939年には、津田左右吉(つだそうきち)の日本古典研究が右翼の攻撃を受けて発禁処分となった。その関連で、岩波も訴えられた。だが、免訴になった。
戦後、1946年、岩波はそれまでの功績を認められ、文化勲章をえた。また、雑誌『世界』を創刊した。同年、岩波は没した。
岩波茂雄の肖像写真

出典:国立国会図書館「近代日本人の肖像」 (https://www.ndl.go.jp/portrait/)
岩波茂雄の『岩波文庫論』の朗読の動画(画像をクリックすると始まります)
岩波文化の中核を占める岩波文庫についての論
岩波茂雄と縁のある人物
●夏目漱石:岩波が本格的に出版業に参入するきっかけをつくった。岩波と出会った時期にはすでに様々な名作を夜に送り出しており、漱石の晩年だった。
おすすめ参考文献と青空文庫
村上一郎『岩波茂雄と出版文化 : 近代日本の教養主義』講談社, 2013
※岩波茂雄の著作は無料で青空文庫で読めます(https://www.aozora.gr.jp/index_pages/person1119.html)

