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狩野探幽:江戸狩野派を興す

17世紀

 狩野探幽は江戸時代初期、17世紀の日本の画家(1602―1674)。狩野派の優れた画家の狩野永徳の孫。徳川家康や秀忠に気に入られ、幕府の御用絵師となり、城や寺社などで優れた作品を制作した。探幽独自の画風は江戸狩野様式と呼ばれ、後世に大きな影響を残した。水墨画の襖絵などに有名な作品が多い。

狩野探幽の生涯

 探幽は京都で画家の家庭に長男として生まれた。父は狩野孝信(たかのぶ)である。名を守信である。幼少から画才を開花させた。

 狩野派の絵師としての開花:幕府の御用絵師へ

 1611年、探幽は駿府で徳川家康に謁した。江戸に移り、徳川秀忠にも謁した。1614年、秀忠の面前で絵筆をふるったさいには、探幽は祖父で著名な絵師の狩野永徳の再来と称賛された。かくして、探幽は気に入られ、1617年には幕府の御用絵師に任じられた。ここから、探幽の栄達は本格化していく。

 1621年、探幽は江戸城鍛冶橋の門外に屋敷と所領200石を与えられた。1623年には、弟の安信に狩野の宗家を譲った。1626年、二条城行幸殿の障壁画を制作した。その後は徳川秀忠の霊廟などで絵筆をふるった。

この時期の作品

 絵師としての栄達

 1635年、このときから出家して探幽を号するようになる。1638年には法眼(ほうげん)に叙された。もちろん、絵師としても活動しており、1640年には日光東照宮に『東照宮縁起絵巻』を納めた。1641年、大徳寺本坊方丈の障壁画を制作した。1647年には、江戸城の障壁画を制作した。

この時期の作品

他にも大名屋敷や寺社などで制作を続けた。1662年には、法印に叙された。1666年、後水尾法皇寿像を制作し、「筆峯大居士」の印を拝受した。

 探幽は独自の画風を確立し、後世の狩野派に大きな影響を与えた。これは江戸狩野様式と呼ばれている。また、狩野派一門の序列仕組みも整備した。

狩野探幽の肖像画

狩野探幽 利用条件はウェブサイトにて

出典:国立国会図書館(https://dl.ndl.go.jp/pid/2606743)

 1672年に没した。墓は東京の池上本門寺にある。

 狩野探幽の代表作

二条城の二の丸御殿の障壁画
『鵜飼図屏風』
『四季花鳥図』襖絵
『東照宮縁起絵巻』
『竹林群虎図』襖絵

おすすめ参考文献

山下善也『狩野探幽・山雪 : 悉く新意を出し、狩野氏を一変す』ミネルヴァ書房, 2022

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