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乾隆帝

乾隆帝は中国の清朝の第6代皇帝 (1711ー1799)。在位は1735ー96年。乾隆帝の時代が文化的にも国力においても清朝のピークだった。中国の諸王朝の中でも、乾隆帝の時代に領地が最大となった。だが晩年はその隆盛にも陰りが見え始めた。

目次

乾隆帝の出自と初期

 乾隆帝は中国の北京で雍正帝の第四子として生まれた。幼い頃から、祖父の康煕帝に愛されていた。宮中で育てられ、皇帝への即位が予定された。

 当時の中国は清国であり、康煕帝の時代から顕著に発展していった。乾隆帝の時代に最盛期を迎えることになる。

皇帝として

 1735年、父の雍正帝が没した。乾隆帝は25歳にして、皇太子密建法に基づいて、皇帝に即位した。治世の初期には内政に力を入れ、支配の安定化を図った。

 その後、乾隆帝は遠征を10回行った。金川やジュンガル、ネパール、台湾、ビルマ、ベトナムなどに遠征を行い、周辺地域を平定して支配を安定化した。さらに、宗属関係を構築し、朝貢させた。ラオスやタイも朝貢を行うようになった。中国の歴代王朝の中で、版図が最大となった。

 さらに、乾隆帝は『四庫全書』や『明史』の編纂をも推進した。前者は康煕帝と雍正帝の時代から続く一大事業であり、乾隆帝が完成させた。

乾隆帝の肖像画

乾隆帝 利用条件はウェブサイトにて

 だが、乾隆帝の勢力にも陰りが見え始めた。10回の遠征の費用は莫大だった。また、乾隆帝は国内を10回以上も巡行し、その費用も財政に重くのしかかった。また、紫禁城や円明園の増改築費用もかさんだ。

 乾隆帝は在位60年を機に、皇帝の位を嘉慶に譲った。祖父の在位60年を超えるのをはばかったためである。自身は太上皇帝となり、実権を握り続けた。だが、この頃には清国の衰退は明らかであり、反乱が起こり始めていた。1799年に没した。

おすすめ参考文献

伊東貴之編『東アジアの王権と秩序 : 思想・宗教・儀礼を中心として』汲古書院, 2021

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