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ヨハネス・ケプラー:地動説への推進力

 ヨハネス・ケプラーはドイツの天文学者(1571ー1630 ) 。コペルニクスの地動説が提唱され議論されている時期に、天体の運行にかんするケプラーの法則を提唱したことで知られる。天体はみな一様の円運動をするという2000年以上の伝統的な考えを覆し、地動説の確立に大きく貢献した。科学革命に貢献した科学者の一人として知られる。

ケプラー(Johannes Kepler)の生涯

 

 ケプラーはドイツのウュルテンベルク公領で貧しい家庭に生まれた。だが早くから学才を開花させた。そのため、ケプラーは公爵の奨学金を得るのに成功した。チュービンゲンに移って牧師の道を志した。

 1589年、チュービンゲン大学に入学し、神学を学んだ。新プラトン主義哲学にも関心を抱いた。
 新プラトン主義は15世紀後半からイタリア・ルネサンスのもとでヨーロッパに本格的に普及していった新しい思潮である。ケプラーが神学を学び牧師を目指していた点はのちに重要になる。

 天文学への関心:コペルニクスの地動説

 ケプラーが神学の勉強を進めていた頃、数学教授のメストリンがケプラーに天文学の世界へ導くことになる。メストリンは天文学者でもあった。特に、コペルニクスの宇宙論を肯定的に受け入れていた。
 メストリンはコペルニクスの主著『天球の回転について』をケプラーに貸出し、その内容についてケプラーに解説も行った。

 この時期、コペルニクスの地動説は次第にヨーロッパで知られるようになっていた。だが、カトリック教会から明確に異端視されたわけではなかった。

 ケプラーはコペルニクスの天文学に魅了され、天文学に強い関心を抱くようになった。コペルニクスの地動説が伝統的なプトレマイオス的天動説よりも正しいと確信を抱くようになった。そのための様々な証拠集めや推論を開始した。

神学と天文学の結びつき

 ただし、ケプラーの神学的な関心、あるいはキリスト教的な関心が消え去ったわけではなかった。むしろ、彼の神学と天文学は結びついていた。というのも、当時の常識的な見方と同様に、ケプラーは宇宙を神の被造物として捉えていたためである。

 1594年、ケプラーはチュービンゲン大学を卒業した。グラーツの高等学校で数学教師になった。同時に、天文学の知識を利用して、暦の作成も行った。

 プラハへ:ブラーエとの共同研究

 この頃、ドイツでの宗教改革による宗派対立が悪化していた。よって、ケプラーは別の場所に移りたいと考えていた。
 その頃に、プラハで活動していた天文学者ブラーエがケプラーを自身のところへ招いた。ブラーエは神聖ローマ皇帝ルドルフ2世に庇護され、天文学の研究を続けていた。特に、天体観測の優れたデータ収集者だった。
 1600年、ケプラーはこの招きに応じて、プラハに移った。ルドルフに仕え、ブラーエの助手となった。ブラーエはまもなく没した。ケプラーは彼の長年の研究成果を引き継いだ。

  新星の発見

 ケプラーは研究を続けた。1604年には、新星を発見した。これは伝統的なプトレマイオスの天文学への反証とみなされた。なぜか。
 伝統的なプトレマイオス理論において、天空の世界と月下の地上世界(地球)は明確に区別された。 それぞれの世界にたいしてそれぞれ異なる自然法則が通用すると考えられた。
 天空の世界では同一の秩序と規則のみが存在すると考えられた。毎年同じ時間帯に夜空を見上げれば、いつも同じ星座が同じような仕方で現れたためである。
 そのため、天空の世界では、何も誕生したり滅んだりすることはないと考えられた。これにたいし、月より下の地上世界は普遍的な秩序が存在せず、生滅の世界だと考えられた。
 だが、1604年に偶然、新星が地球からほぼ肉眼で確認できる仕方で夜空に現れたのである。天空の世界に星が生じた。この新星の出現はケプラーの研究を活気づけた。

 ケプラーの法則:ケプラーの主な功績

 
 ケプラーはブラーエから、ブラーエの観測データを利用して、火星の運動についてより正確なモデルを開発するよう依頼された。
 1609年、ブラーエの死後、ケプラーはその研究の成果を『新天文学』という書物で発表した。本書において、ケプラーが天文学で初めて惑星の「軌道」という概念を用いた。
 さらに、本書において、いわゆる「ケプラーの法則」の第一法則と第二法則を発表した。ケプラーはまず第二法則から発見し、第一法則に至ったようだ。
 ただし、本書では、火星についてのみこれらの法則を示した。その後になって、これらの法則が火星以外のすべての惑星にも適用できることを示すことになる。

 第一・第二法則

 第一法則は、太陽系の惑星の軌道が太陽を中心の一つとする楕円であることを示すものである。それまで、2000年にわたって、惑星の軌道は通常の円だと考えられていた。ケプラーはこの常識を覆したのである。
 第二法則は、惑星の運動に関するものである。伝統的な理論では、惑星の運動はみな一様であると考えられた。すべての惑星は円を描くように移動するのみならず、その移動速度も同じだと考えられていた。

 だが、この公理には無理があるとも思われていた。これにたいし、ケプラーは惑星の移動速度が異なることを率直に認め、その運動の理論化を第二法則で行った。より具体的には、火星は太陽に近いほど速く動き、遠ざかるほど遅く動くことを示した。

第三法則

 1619年、ケプラーは『世界の調和』を公刊した。そこにおいて、第三法則を発表した。これは調和法則とも呼ばれる。
 伝統的な理論では、すべての惑星は同じ速度で完全な円運動をする。惑星が実際にこのように運動するならば、このような天文学モデルはきわめて安定的であるように思われる。そのため、夜空の星の毎年変わらない動きに合致するように思われる。
 だが、ケプラーの理論の場合、太陽系のシステムは不安定であり、いずれ崩壊するようなものなのではないかという危惧が見られた。ケプラーの場合、惑星は通常の円ではなく楕円に動くとされる。

 しかも、惑星の運動はそれぞれの速さなどもそれぞれ異なる。ということは、いくつかの惑星はいつかなにがのタイミングでこの太陽系からそのまま離脱してしまうのではないか。

 ケプラーの描いたこの天空世界はそのようないつか崩壊してしまうような不安定なものなのか。これにたいし、ケプラーはこの(太陽系の)天空世界のモデルが安定的な調和した世界のモデルであることを第三法則で論証した。
 これらの法則を通して、ケプラーはコペルニクスの地動説を確立した。一般的に、地動説にかんしてはガリレオが注目されがちである。カトリック教会での異端裁判のエピソードなどが原因であろう。
 だが、地動説の天文学モデルの確立については、ケプラーのほうが重要だった。

 天文学の応用

 1626年には、いわゆる『ルドルフ表』を公刊した。これはケプラーの法則に基づいて惑星の位置を予測するものである。大航海時代で定着した遠洋航海では、このような天文学の知見が重宝された。そのため、『ルドルフ表』はケプラー天文学の実践的応用の産物だった。

 天文学と神学の結びつき:科学革命の一側面

 上述のように、ケプラーにとって天文学は神学と結びついていた。この点はいわゆる科学革命の性質を理解する上で重要であるので、より詳しく見ていこう。
 ケプラーは自身の法則の発見という仕事を神自身の働きとして描いている。ケプラーによれば、神はケプラーにこの世界の神の秘密を解き明かすという重要な役目を与えた。
 神はこの神秘の解明という宗教的使命を行うようケプラーに霊感を与えた。そのようにして、ケプラーを神の偉大なる摂理に参加させた。
 神の摂理の一例がブラーエとの協力である。ケプラーは自身の天文学の仕事を遂行するうえで、ブラーエの研究成果が不可欠だと考えていた。だが、ブラーエはその頃まだプラハに移っていなかった。

 そのため、ケプラーは交流や協力が難しいと感じていた。ところが、ブラーエが突然プラハに移ってくることになった。そのおかげで、研究上の協力が可能となった。ケプラーはこのような偶然の産物を神の特別な配慮のおかげだと解釈した。
 このように、ケプラーは偉大なる摂理の一環で神の神秘の発見という崇高な役目を与えられたと自認した。
 ケプラーの考えでは、古代から、神は同様の役目を一握りの人々に委ねてきた。古典古代のピタゴラスやプラトン、ユークリッド、そしてプトレマイオスなどである。
 だが、古代では、天文学理論を実証するための優良なデータを計測するのが困難だった。そのため、いくつかの小さな誤りが生じた。ケプラーは自身やコペルニクスそしてガリレオがこの誤りを適切に修正するという小さな仕事をしているにすぎないと述べる。
 それでも、ケプラーなどの卓越した天文学者は神によって選ばれた特別な存在だとされる。単なる学者ではない。神の最高の聖職者でもある。その聖典はなんらかの書物ではなく、自然そのものである。

 神によって与えられた霊感ないし啓示に基づいて、自然という書物に隠された神の秘密を読み解き、人類に示す。
 そのため、ケプラーの天文学理論は彼自身の案出したものではない。神がケプラーのペンを通してこの世界の神秘を人類に明らかにしているのだ、と。科学革命のなかで、いかに天文学と神学が結びついていたかが見て取れる。

 ケプラーと縁のある人物や事物

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https://rekishi-to-monogatari.net/scientific-revolution

ケプラーの肖像画

ヨハネス・ケプラー 利用条件はウェブサイトで確認

 ケプラーの主な著作・作品

『宇宙の神秘』(1596)
『新星論』(1606)
『新天文学』(1609)
『屈折光学』(1611)
『彗星論』(1618)
『宇宙の調和』(1619)
『コペルニクス天文学概要』(1621)
『対数の理論』(1624)
『ルドルフ表』(1626)

おすすめ参考文献

ヨハネス・ケプラー『新天文学 : 楕円軌道の発見』岸本良彦訳, 工作舎, 2013

Gerhild Scholz Williams(ed.), Knowledge, science, and literature in early modern Germany, University of North Carolina Press, 1996

Wolfgang Osterhage, Johannes Kepler : the order of things, Springer, 2020

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