北大路魯山人は明治から昭和の書家で陶芸家、美食家(1883―1959)。はじめは書で名を挙げた。早くから食通として活動し、会員制の料亭を開いた。陶芸にも打ち込み、料理そのものだけでなく、食器などの演出にもこだわった。晩年には芸術家として国際的にも評価されるようになった。
北大路魯山人(きたおおじろさんじん)の生涯
北大路魯山人は京都で上賀茂(かみがも)神社の社家に生まれた。本名は房次郎である。誕生した時点で父は亡く、幼少期は養父母の家庭を転々とした。
書家として
1904年、北大路は東京に移った。書の作品で受賞し、書家として身を立てることになった。1910年代に入り、篆刻(てんこく)でも才能を開花させた。
美食の追求:食の総合プロデュースへ
その頃、北大路は食への好みも旺盛であり、京都や金沢においしい料理を求めて訪れ、料理の研究もした。北大路は陶芸も始めた。1919年には古美術商となった。1920年には会員制の「美食倶楽部」を設立した。
1925年、東京に会員制の高級料亭「星岡茶寮(ほしがおかさりょう)」をオープンし、その顧問と料理長になった。1927年、神奈川県北鎌倉に「星岡窯」をつくり、優れた料理を一層引き立てるための食器をつくるために、陶芸に一層力を入れた。食や陶芸などについて多くの随筆を著した。かくして、美食家として名を高めていった。1936年、星岡茶寮から去った。陶芸のほかに、日本画などにも打ち込んだ。料理研究も続けた。
戦後の活躍
第二次世界大戦後、魯山人の作品は海外から高い評価を得るようになった。1954年にはアメリカで個展を開いた。魯山人の陶芸は桃山時代の日本や、中国と朝鮮のものを基礎としていた。
北大路魯山人の『握り寿司の名人』の朗読(画像クリックで始まります)
魯山人が寿司について大いに語ります
『鰻の話』の朗読
魯山人のウナギ論
北大路魯山人の肖像写真
出典:国立国会図書館「近代日本人の肖像」 (https://www.ndl.go.jp/portrait/)
おすすめ参考文献と青空文庫
白崎秀雄『北大路魯山人』筑摩書房、2013
※北大路魯山人の作品は無料で青空文庫で読めます(https://www.aozora.gr.jp/index_pages/person1403.html)