『八十日間世界一周』は19世紀フランスの作家ジュール・ヴェルヌの小説である。1873年に公刊された。この記事では、あらすいを紹介する(結末までのネタバレあり)。
ヴェルヌは19世紀の発明ブームを背景にしたSF小説の先駆者として知られる。この作品には日本も経由地として登場している。開国して間もない日本のイメージがフランス人にどう伝わっていたかもみてとれる。
『八十日間世界一周』(Le Tour du monde en quatre-vingt jours)のあらすじ
主人公はイギリスの立派な紳士フィリアス・フォッグである。フォッグは時間に厳格な人間であり、あたかも正確な機械時計のように行動する。たとえば、午前9時37分に髭を剃り、午前9時40分に着替え、午前11時30分に家を出るというような分刻みのスケジュールを毎日こなしている。
フォッグは独身であり、多くの財産がある。普段は昼にリフォーム・クラブという社交クラブで友人と過ごす。だが、寡黙なため、彼がどのような人物で何を考えているか知る人は少ない。
フォッグのもとには、新しくフランス人のジャン・パスパルトゥが使用人としてやってくる。パスパルトゥはそれまでサーカスの団員や体育教師などの経歴をもつ男である。フォッグの機械的な生活スタイルをみてとり、好印象をもつ。
フォッグはいつものようにリフォーム・クラブにいき、友人とカードゲームに興じる。そこに、紳士を装った強盗がイングランド銀行から5万5千ポンドを盗んだというニュースが入ってくる。このニュースがこの物語の壮大な旅のきっかけとなる。
友人の一人が、世界はとても広いので、犯人が隠れる場所はいくらでもあるという。これにたいし、フォッグは反論する。たしかに、世界はかつては広かった。だが、今や世界中で交通手段が発達している。
よって、80日で世界一周が可能になったほどだ、と。友人たちは、それが可能かもしれないが、実現可能性は低いという。予期せぬ遅延も生じるだろうから、と。
ここで、フォッグは大胆な賭けに出る。フォッグは80日間で世界一周すると宣言する。そのために、財産の半分の2万ポンドを賭けよう、と。彼らはフォッグの賭けに応じる。80日後の12月21日午後8時45分までにフォッグがその部屋に戻ってくることが成功の条件だと決まる。この賭けはニュースとして広まる。
フォッグはパスパルトゥーをつれて、早速出発する。その頃、ロンドン市警のフィックス刑事は、フォッグの賭けの話を聞いて、フォッグが上述の強盗の真犯人だと断言する。これが世間に広まる。その結果、フォッグの逮捕には懸賞金がでる。フィックスはフォッグを逮捕すべく、出発することになる。
フォッグとパスパルトゥーは残りの財産の2万ポンドをもって、いざ出発する。列車に乗り込み、ロンドンからエジプトのスエズに向かう。そこから蒸気船でポンペイに向かう。
ポンペイから蒸気機関車でカルカッタに向かう。だが、線路の一部が未完成だと知らされる。仕方なく、フォッグたちは象を購入し、インドの森を通過することにする。
フォッグらは森を通るときに、思いがけない事態に遭遇する。ヒンドゥー教徒の僧侶たちがイギリス人女性のアウダを宗教儀式で生贄にしようとしていたのだ。フォッグらはアウダを助けようとする。失敗を乗り越え、パスパルトゥーの活躍でどうにか助けるのに成功する。アウダはフォッグらに同行することになる。
この間も、刑事フィックスは一行を尾行し続けている。現地人などと交渉し、彼らの移動を邪魔しようとしていた。
一行はヒンズー教の寺院に立ち寄る。パスパルトゥーが靴を履いたまま中に入っていく。これは宗教慣習に反することであり、罪だとされた。フィックスはこれをチャンスと考える。ヒンズー教徒に、パスパルトゥの代わりにフォグを処罰させようと画策する。だが、フォッグは保釈金を支払うことで、この危機を脱する。
フォッグらは蒸気船でシンガポールを経由して香港に着く。フォッグらがこの地域から移動する前に、フィックスはフォッグへの逮捕状を確保したかった。そのため、フォッグらの出発を遅らせようとする。
フォッグらの次の目的地は日本の横浜である。フォッグらの出発を遅らせるために、フィックスはパスパルトゥーに自分の身分と尾行してきた目的を明かす。そして協力を求める。だが、パスパルトゥーはフォッグが犯罪者であることを否定する。
横浜行きの船が予定より早く出発することになる。パスパルトゥーはそのことを知る。フィックスはパスパルトゥーがフォッグにそれを伝えないよう妨害するのに成功する。パスパルトゥーはフォッグに船のスケジュール変更を知らせないまま、その船に乗ってしまう。パスパルトゥーだけが先に横浜に着く。
フォッグとアウダは仕方なく、香港行きの船に乗る。その後、横浜行きの船をどうにか探し出そうとする。
ヴェルヌの紹介する当時の横浜
ここで、ヴェルヌが当時の横浜をどうヨーロッパに伝えたかを詳しくみてみよう。その前に、本書に載っていない情報だが、当時の日本の状況について補足説明をしよう。
アメリカのペリーが日本に到来したのは1853年である。1854年に日米和親条約が結ばれ、日本は「開国」した。1858年には日米修好通商条約が結ばれ、貿易が開始されることになる。その際の取り決めで、1859年に横浜が開港されることになる。当時、横浜はさびれた漁村だった。だが、貿易としとして一気に発展していく。
オランダやイギリス、フランスとロシアも同様の条約を日本と結ぶ。その結果、これらのヨーロッパの国々が横浜で貿易を始める。ヨーロッパ風の街並みが形成される。ヨーロッパ文化も導入される。サーカス団が到来したり、発明されたばかりの気球が飛ばされたりする。ヴェルヌの本書は、横浜が開港されてだいたい15年ほど後である。
1870年頃の横浜の浮世絵(ただし、本書の挿絵などではない)
ヴェルヌは本書で横浜についてこう説明する。横浜は太平洋航路の重要な寄港地である。北米、中国、日本、太平洋を結ぶ郵便・旅客サービスに従事するすべての汽船が寄港する太平洋上の重要な港である。
横浜は、日本の第二の首都である。かつて皇帝(天皇)が住んでいた京都のライバルとなる都市である。
横浜の町並みはまったくヨーロッパのようだった。その街路や街路、広場、波止場、倉庫がまさにヨーロッパ風だった。インドのカルカッタのように、アメリカ人、イギリス人、中国人、オランダ人などがいた。
横浜の日本人の区画には、仏閣がある。杉の見事な並木道、仏僧や儒教の信奉者たちがいる。まるでどこかの屏風から切り取ったかのような小さな人たち。町中には兵士や警察もいる。日本では、兵士という職業は尊敬される。多くの人達で横浜は賑わっている。
ヴェルヌは草履などの日本人の服装にも触れる。日本人は着物や帯をエレガントに着こなす。これは現在のパリジェンヌが日本人から借用していると思われる(補足として、17世紀には日本の着物の一部がヨーロッパのファッションに取り込まれていた)。
店先には、金銀細工の品が並ぶ。茶屋では、酒という米でできたアルコールが飲める。アヘンではなく上質のタバコを吸える。
ヴェルヌは日本の植物や動物も紹介する。桜や雀、鳩など。鶴は長寿と幸福の象徴として知られている、と。
日本では、肉を食べるのに不便する。豚や羊の肉は売られていない。牛は農業のためにのみ飼われているので、殺してはならない。日本では、魚や鶏肉などが食べられている。
パスパルトゥーはこのような横浜を練り歩いた。彼はフォッグと離れ離れになって、一人で横浜に継いた。無一文であり、空腹だった。金を稼ごうとした。アメリカのサーカス団が宣伝しているのを見かけた。パスパルトゥーはかつてサーカスで働いていた。これだ、と思った。パスパルトゥーはアメリカに自力で移動しようと思っていたからだ。道化師として雇われることになる。
横浜での公演に参加する。ヨーロッパ人や日本人、中国人らがみにきた。この一団では、日本人の芸達者な軽業師なども活躍した。ヴェルヌはその曲芸を細かく説明している。彼らの動きは驚異的なものである。最後には、人間ピラミッドをつくった。パスパルトゥーは天狗の面をつけて、その最下部の土台となった。
だが、パスパルトゥーのせいで、このピラミッドは崩れてしまう。この頃、フォッグたちがようやく横浜につく。パスパルトゥーがサーカス団長に責められているところを、救い出す。
アメリカへ
蒸気船で太平洋を横断し、アメリカ合衆国の西海岸のサンフランシスコにつく。フィックスもついてくる。
フォッグらはサンフランシスコからニューヨークに向けて、大陸横断の列車に乗る。だが、この大移動も困難を伴った。線路を横切るバッファローの群れが障害になったり、吊り橋が崩壊しそうになったりした。さらに、アメリカの先住民がパスパルトゥーを誘拐する。フォッグははアメリカ兵の助けを借りて、どうにかパスパルトゥーを救出する。
季節は冬だった。そこから、フォッグらはソリに乗って大雪原を移動する。ニューヨーク行きの列車に乗る。
フォッグはイギリス行きの目当ての船がすでに出発してしまったことに気づく。仕方なく、フランスのボルドー行きの船に乗る。だが、もはや残り時間が少ない。このままだと間に合わない。そこで、フォッグは船員を買収して、船をイギリスのリバプールに向かわせる。だが燃料不足などにより、船はアイルランドに到着する。そこからリバプールにいき、さらに列車でロンドンに向かう。
フォッグらはロンドンにつく。フィックスは霊能強盗事件の真犯人が見つかっていたことを知る。これまでの行動をフォッグに詫びる。
賭けの条件は12月21日の規定の時間までにロンドンのリフォーム・クラブの部屋に行くことだった。フォッグらが時間を確認すると、もはやその時間を超過していた。フォッグらは落胆する。
翌日、フォッグはショックで自室に閉じこもる。みかねたアウダがフォッグを励ます。フォッグに、愛していると伝える。フォッグはもはや自分が賭けに負けて貧しくなってしまった。それでも、アウダはフォッグを愛しており、妻になりたいという。フフォッグは嬉しさで涙を流し、アウダとの結婚を決める。結婚式のために、パスパルトゥーを牧師のもとへ派遣する。
パスパルトゥーは牧師と話すうちに、大きな誤解に気づく。彼らは今日が12月22日だと思い込んでいたが、12月21日だった。というのも、彼らは日本からアメリカに移動した際に日付変更線を通過した後も、日付を1日分修正するのを怠っていたためだ。
フォッグはそれを知り、喜んでリフォーム・クラブに駆けつける。賭けに勝利する。フォッグはのちにアウダと結婚する。
おすすめ参考文献
ヴェルヌ『八十日間世界一周』高野 優訳, 光文社, 2009
※ヴェルヌの生涯と作品は次の記事を参照
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