イギリスの哲学者ジョン・ロックの『統治二論』(Two Treatises of Government)はロックの政治哲学にかんする主著として知られる。以下では、本書の基本的性格と意義や影響を説明する。
背景
17世紀のイギリスでは、ピューリタン革命や名誉革命のような大きな出来事が起こっていた。同期のヨーロッパでも、宗教的な理由などによる反乱や戦争が頻発していた。
そのような中で、一方では、反乱や戦争を正当化するような理論が多く登場した。これはカトリックとプロテスタントの双方が提示したものであり、抵抗権論や暴君征伐論などと呼ばれる。宗教や政治にかんする圧政や暴政に対抗するという理論である。
他方で、このような反乱を抑え込み、君主への絶対服従を説く理論も多く登場した。主権論や王権神授説などである。
ロックはこのような反乱と戦争の頻発した時代において、名誉革命が起こっていた1689年に、本書を公刊した。
『統治二論』:目的と性格
上述のような時代状況にかんして、ロックは主に二つの問題を見出していた。一つはイギリスなどで政府が暴政や圧政を行っていた点である。もう一つはイギリスのピューリタン革命などのように、近世には宗教などを原因とした内戦や内乱が頻繁に起こっていたことである。
そのため、ロックは本書で名誉革命の正当化を念頭に置きながら、暴政と内乱を抑止するような政治理論を提示しようとする。
本書の大枠として、主に、政治権力の定義とその起源、政治権力が人民の同意によって政府へと条件付きで委託されること、政府による政治権力の行使が法と革命によって制限される方法が論じられている。そこでは社会契約説が論じられ、人民主権理論が展開されている。順番にみていこう。
政治権力の定義:三権分立とモンテスキュー
ロックの理論では、政治権力は3つの部分から構成される。立法権、執行権(行政権)、連合権(対外的権利)である。三権のなかで、立法権が最も優位にたつ。連合権は植民地や他国との関係に関する権利であり、戦争や平和に関する権利などである。
一般的な三権分立の考えでは、立法、執行(行政)、司法の三権である。だが、ロックの場合、司法権は立法権(立法府)におおむね含まれている。18世紀にモンテスキューが司法権の独立を強調することによって、このような三権分立を提示することになる。司法権の独立がロックとの主な違いといえる。
誰が政治権力を持つべきか。ここで、ロックは当時よくみられた理論と同様の方法で論じる。すなわち、政治権力を本来のあるいは自然な形態にさかのぼって考察する。そこから、そこから現在の三権分立の政治権力に至り、その性質や限界を論じていく。この過程で、いわゆる社会契約説が登場する。
政治権力の起源
ロックは政治権力の本来のあり方を考察するために、自然状態での人間のあり方を説明する。というのも、国家でみられる政治権力は、もともと、自然状態において各個人が所有していただからである。
自然状態とは
自然状態とは、人間が自然本性上、本来このような状態に置かれているはずだと想定された状態や境遇である。よって、推論や思考実験の産物である。社会契約論の場合、自然状態は実際的には国家が設立される前の状態を指す。
自然状態が国家のない状態として提示されるということは、国家が人為的に創られたものであることを意味する(この点で、人間の自然本性を政治的動物とみなしたアリストテレス哲学と異なる)。人はなぜわざわざ国家を設立したのだろうか。その目的が分かれば、国家や国家権力の性質と限界も理解されることになる。
ロックの理論では、人々は自然状態において、すでに社会を形成していた(17世紀のイギリスの北米植民地が接触を保っていた、先住民の部落社会などが念頭にあるかもしれない)。
この社会では、国家の法律は存在しなかったが、自然法が存在した。自然法は人間の自然本性に基づく法律であり、あらゆる人間を対象にしたルールである。たとえば、「善をなし悪を避けよ」や「窃盗や殺人は禁止」などのルールである。
自然状態と政治権力
ここで重要なのは、人間が自然状態において、自然法の適切な執行や違反への刑罰のための政治権力を持っていたという点である。各人は国家以前の状態でも、この政治権力をもって自己統治を行う。
この自由に関して、各人は平等である。このような議論は、のちに、国家の政治権力の性質や限界、そしてロックの有名な革命権につながっていく。
自然法は政治権力の目的として社会の安全を命じる。同時に、この全体の安全と両立する限りにおいて、政治権力は各構成員の安全も目的とする。この目的は自然状態でも国家の状態でも同じである。
政治権力は特に各人の所有の安全を守り規制する。この所有は各人の生命・自由・財産である。この所有をめぐって、各人は対立を起こしやすいためである。
自然状態での争いと裁判
自然法に違反した者にたいしては、自然状態においても、社会での裁判が行われる。違反者がこの裁判を無視するような場合、違反者にたいして戦争する権利が生じる。あるいは、そもそも裁判が可能でないケースでも、同様である。
この戦争は単なる武力行使ではない。不従順な違反者を武力によって裁く行為である。違反者が正当な条件で和解を申し出るまで、この戦いは続く。
この戦争の権利がのちの革命権につながる。革命が「天への訴え」と表現されるのは、中世のフェーデ(問題を解決するために裁判のかわりに行われた私的戦い)のように、戦いがこの裁きという側面を含むからである。
自然状態において、人間の社会や制度はより複雑なものへと発展していく。 人口の増加や農耕技術の発達、土地の広範な利用や労働の分業、貨幣の導入や商業の発展が起こる。
その結果、社会の対立なども複雑になっていき、安全の確保が難しくなってくる。この問題をよりよく解決するために、人々はついに国家の状態へ社会契約によって移行する。
社会契約へ
各人は所有の安全のために、互いに社会契約を結ぶ。積極的で明示的な同意という仕方で、各人は国家を形成し、その一員となり、国家の多数派の決定に義務付けられることになる。
多数派は、立法権を特定の者に委ねる。 この立法権が行政権と同様に多数派の手に残れば、完全な民主主義となる。少数のエリートに委ねられれば、寡頭政となる。立法府は、法律の執行や外国との外交などを行わせるために、政治権力を行政府に委託する。
この契約において、各人は自然状態でもっていた二種類の力を新たな政府に委託する。一つは労働の力であり、自身と人類の安全のために自身が適切と考えたことをする力である。
もう一つは政治権力である。よって、政府は各人の労働や財産を規制し、各人の代わりに、犯罪にたいしては裁判を行う。各人はこれらに関する安全のために、この公益のために、国家を設立したといえる。よって、この目的が政府の行動の良し悪しを判断する基準となる。
政治権力は委託されただけであること
ロックの社会契約のポイントの一つは、政治権力が政府や立法府にたいして特定の目的のために委託されたにすぎないことである。人民は政治権力を政府に委ねる。この権力が委託した目的と条件の通りに行使される限り、人民は服従に同意する。
逆に、政府は人民に対して、条件に従って権力を行使する義務を負う。条件が明らかに無視されたり、反対されたりするたびに、その委託は必然的に失効する。その結果、政治権力はそれを与えた者の手に戻る。 よって、政府が委託の条件に反した場合、政府を解任または変更する最高権力は人民の手に残り続ける。
委託の条件に反した政府や立法府のケース
では、実際に政府が委託の条件に反したら、どうなるか。人民は政府との間で問題が生じた場合、まず立法府に訴える。立法権が行政権よりも上位にあるからである。だが、それでも問題が解決されないこともある。
その場合、ロックの有名な革命権が登場する。特に、事態が悪化した状態では、政府と立法府はもはや正統性を失っている。それにもかかわらず、力づくで人民を服従させようとしている。そのため、政府と立法府は人民に対して戦争状態にある。そのため、政府や立法府に委任されていた政治権力は人民の手元に戻ってくる。
自然状態の場合と同様に、人民はこの政治権力を自ら行使できる。たとえば、自ら新たな政府と立法府を選び出すこともできる。さらに、かつての政府などにたいして行使することができる。上述のように、自然法は各自の安全を命じる。そのため、人民は政府などを罰するために武器を取ることができる。
革命の権利
ロックにおいて特徴的なのは、このような革命権を各個人がもつことである。特定の団体や結社ではなく、各人が革命を実行してよい。上述の戦争の権利で述べたように、このような自力救済のための武力行使は天への訴えと呼ばれる。すなわち、神の裁判への訴えであり、神に裁いてもらうのである。
ロックにおいて、革命は人民が政府や立法府を支配するための一手段と考えられている。武力対立を助長しているわけではない。政府が暴政に陥ってしまうことを防ぐ方法として、ロックは人民が政府を統治するよう訴えている。その手段のなかでも、最終手段が革命なのである。
名誉革命の正当化との関連でみてみよう。自然法が命じる安全は自己の安全というより人類の安全である。もし自然法が自己の安全や保存だけを命じるなら、他人が不正に攻撃されたとしても、他人を守ることができない。
しかし、ロックの理論では、自然法は人類の安全を命じる。よって、他人を保護することが自然法のもとで可能となる。この点は、名誉革命のように、抑圧された宗教的少数派を革命によって支援することを正当化するロジックである。
人民主権論と反乱
冒頭で述べたように、ロックの理論は暴政を防ぐだけでなく、近世の特徴だった内乱を防ぐことも目的としていた。だが、ロックのような人民主権論は、特に人民に革命権を認めるのは、内乱の助長につながるのではないか。ロックもそのような批判を考慮していた。ロックは様々な仕方でこの批判に反論している。
ロックの理論のほうが人民は反乱を起こしにくいと論じられる。ロックからすれば、どのような国家でも、人々は抑圧されれば反乱を起こすものである。それでも、公正な裁判所や議会に訴えることができるなら、反乱よりもこれらに訴えるはずだ。よって、
絶対主義体制よりも、ロックの理論の体制のほうが反乱を回避できる。
さらに、革命理論自体が反乱を抑止すると論じられる。ロックの考えでは、上述のように、政府の抑圧や暴政が反乱の原因である。よって、政府の抑圧や暴政をなくせばよい。
そのためには、人民が革命の権利をもつことを認めた方がよい。人民による革命の脅威が政府の暴政や抑圧の抑止力となるからである。したがって、ロックの理論はむしろ反乱を起きにくくする。
ほかにも、ロックはそもそも人民が反乱を起こしにくいという。人々は実際には、わずかな機会には反乱を起こさない。抑圧が多数派に広がるような場合にのみ反乱を起こす。
なぜなら、反乱を起こしても勝利しなければ失敗だからである。さらに、々は一般に現状に慣れ親しんでいるので、ささいな権力乱用を容認するものでもある。よって、反乱は稀である。
ホッブズとの違い
以上のように、ロックは自身の政治哲学を展開した。各人は自然状態で政治権力をもち、各人と人類の安全のためにこれを行使していた。自然状態でも社会を形成し、その一員となった。自然状態でもそれなりに平和だった。
だが、社会が発展するにつれて、生命・自由・財産の安全を確保するのが難しくなってきた。そこで、各人は社会契約を結んで、国家を設立した。政治権力などを、それらの安全のために、新たに誕生した政府と立法府に委ねた。
よって、政府と立法府はこれらの目的に反しない限りで、彼らの政治権力を行使して、統治活動を行える。だが、その委託の条件に反した場合には、正当性を失う。裁判などによっても、政府などの問題が是正されないなら、各人は最終手段として革命を起こす権利も持つ。
ここで、社会契約論で有名なホッブズとロックを比較しよう。時代順でいえば、ホッブズのほうが先であり、ロックが後である。そのため、ロックの理論は、部分的にはホッブズ理論を乗り越えるためにつくられている。
ホッブズの社会契約論
ホッブズは次のように論じた。自然状態において、各人は生まれつき自由である。すなわち、自然的自由と自然権を持つ。だが、自然状態では、各人は互いに競い、対立し合う。万人の万人による戦争の状態にある。
そのため、各人は誰も命などの安全を確保することができない。そこで、各人は安全を得るために、社会契約を結ぶ。国家が誕生し、主権者が現れる。各人は社会契約によって自然的自由をすべて、主権者に完全に譲渡する。
よって、各人は国家のもとでは、主権者のあらゆる命令(法律)に従うよう義務付けられている。自身の生命に反する法律には従う義務がない。それでも、抵抗や革命は許されない。逃亡ぐらいしか許されていない。
両者の比較
では、重要なところだけ比較しよう。ホッブズとロックの理論は途中まで似ているが、帰結が全く異なる。まず、どちらにおいても、各人が自然状態で自由である。さらに、各人が安全の確保を求めて、社会契約によって、国家を設立する。
その際に、自然状態でもっていた権力や自由を新たな政府や主権者にゆだねている。だが、帰結は異なる。ホッブズが絶対主義の正当化であるのにたいし、ロックはそのような絶対主義の抑圧への抵抗を正当化する。
この帰結の大きな違いの主な原因として、社会契約の条件が指摘できる。各人が自然的自由や権利を政府に譲渡する仕方である。ホッブズの場合、各人はその全ての自然的自由を政府に完全に譲渡する。
一度譲渡したならば、もはや取り戻すことができない。そのため、ホッブズの理論はスタート時点で人民主権的であるにもかかわらず、帰結においては絶対主義的なものとなっている。
これにたいし、ロックの理論では、各人は安全の目的のためにその自由や権力を委任するに過ぎない。取り返しのつかない完全な譲渡とは程遠い。なぜなら、このような完全な譲渡をしてしまうと、むしろ安全が確保されないからである。
上述のように、ロックは革命理論が政府の抑圧や暴政を抑止すると考えていた。そのため、完全な譲渡ではなく、あくまで特定の目的のための委任でなければならない。このように、社会契約の条件によって、両者の帰結は大きく異なるものになっている。
意義や影響
16−17世紀の理解
本書は様々な意義や影響をもつ西洋政治思想の古典中の古典である。まず、16−17世紀の近世の時代にかんしては、上述のように、宗教などに起因する反乱や戦争という大きな問題があった。この問題に取り組んだ人たちが、主権論のように、近現代へと続く大きな理論的発展をもたらした。
本書はこの本流に属す古典である。暴政と絶対主義、抵抗権と反乱など、当時の主要な問題を人民主権論と社会契約説のもとで解決しようとする。この時代の歴史や思想を理解する上で重要な著作である。
近代以降
しばしば論じられるように、本書は18世紀後半のアメリカ独立革命やフランス革命、さらに19世紀のラテン・アメリカの独立革命に大きな影響を与えた。
たとえば、アメリカ独立革命についてである。1775−83年に、当時の北米植民地が宗主国のイギリスにたいして独立革命を行った。この革命の最中、トマス・ジェファーソンが有名なアメリカ独立宣言を起草した。その際に、ロックなどの著作を参照していた。アメリカ独立後のアメリカ合衆国憲法にもロックの影響がみられる。
さらに、本書はラテン・アメリカの独立革命にも影響を与えた。19世紀前半から、ラテン・アメリカの諸地域は宗主国のスペインやポルトガルからの独立革命を本格的に開始した。その際に、たとえば、シモン・ボリバルのような指導者はロックやルソーなどの思想に影響を受けた。
アメリカ独立革命の成功はラテン・アメリカの植民地に勇気を与えていた。これはアメリカ北部の大陸の植民地がヨーロッパの宗主国たるイギリスから独立を勝ち取ったことを意味する。
ラテン・アメリカの独立革命では、アメリカ中部と南部の大陸の植民地がヨーロッパの宗主国たるスペインやポルトガルから独立を勝ち取ろうとした。よって、アメリカ独立革命に刺激を受けた。ロックはアメリカ独立革命の思想的な推進役となっていたので、このような間接的な仕方でも、中南米の独立革命に貢献した。
また、伝統的な理解では、西洋はイギリスの市民革命(ピューリタン革命と名誉革命)、アメリカの独立革命、フランス革命などを歴て、近代に至った。この近代化を理論的に推進した主な人物の一人として、ロックは重要視されてきた。現代のリベラリズムの源泉の一つとしても知られている。
おすすめ参考文献
加藤節『ジョン・ロック : 神と人間との間』岩波書店, 2018
著者は長年にわたってロックの政治思想を研究してきたベテランの専門家である。上掲の岩波文庫版の『統治二論』の和訳者でもある。
『統治二論』だけでなく、ロックの生涯や思想を初学者向けに分かりやすく書いた新書である。新書のような入門書はベテランの専門家にこそ執筆してもらいたいところである。だが、実際は必ずしもそうなってはいない。よって、『ジョン・ロック : 神と人間との間』は幸運なケースである。2018年公刊であり、比較的新しい著作であるので、一層おすすめだ。
田中浩『ロック』清水書院, 2015
こちらもベテランの専門家による新書である。清水書院の「人と思想」シリーズの一冊である。こちらでも、『統治二論』だけでなく、ロックの生涯や思想を和分かりやすく説明している。
ロックの生涯と思想については、「ジョン・ロック」の記事を参照。