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グスタフ・マーラー

 グスタフ・マーラーは19世紀後半からオーストリアなどで活躍した音楽家(1860ー1911)。作曲家のみならず指揮者としても活躍した。ロマン派の代表的人物の一人として知られる。代表曲には、「巨人」や「復活」などがある。

目次

マーラーの出自と初期

 マーラーは当時オーストリア領だったボヘミアのカリシュトで、ユダヤ人の職人の家庭に生まれた。幼少期から楽才を示し、音楽を学び始めた。1870、10歳の頃に、初めてのピアノ・リサイタルを行った。

 その後、マーラーはプラハに移った。1875年に、ウィーン音楽院に入学した。1878年には、そこを首席で卒業した。1880年、20歳の頃に、最初の大作『嘆きの歌』を世に送り出した。

指揮者や作曲家としての活躍

 1880年から、マーラーは指揮者としても頭角を現し始めた。チェコやスイス、ドイツやハンガリーなどの歌劇場で指揮棒を振った。1891年には、ハンブルクの市立歌劇場の首席指揮者に就任した。1897年、ウィーンに移った。そこでは、ウィーン・フィルハーモニーやウィーン宮廷歌劇場で首席指揮者をつとめ、名声を確立した。特に、モーツァルトワーグナーの楽曲の指揮で人気を博した。

マーラーの肖像画

グスタフ・マーラー 利用条件はウェブサイトにて

 その頃になると、マーラーは作曲家としても大作を次々と生み出していった。交響曲の第一番から第三番をこの時期に完成させた。

晩年

 マーラーはその後も指揮と作曲を続けた。だが、1907年、マーラーは反ユダヤ主義勢力に排斥を受けた。他の不幸も重なったため、ウィーンを去り、ニューヨークに移った。そこでは、ニューヨーク・フィルハーモニーやメトロポリタン歌劇場の指揮者をつとめた。

 この晩年の時期に、交響曲第9番や第10番などを制作した。1911年、病気で倒れ、ウィーンでの療養中に没した。

マーラーの代表曲『交響曲第一番』

ベルリン・フィルハーモニーがYoutube公式チャンネルにてお送りする「交響曲第一番」

マーラーの代表曲『交響曲第九番』

ベルリン・フィルハーモニーがYoutube公式チャンネルにてお送りする「交響曲第九番」

マーラーの主な作品・楽曲

『嘆きの歌』(1880年)
『交響曲第1番・巨人』(1888年)
『交響曲第2番・復活』(1894年)
『交響曲第3番』(1896年)
『少年の魔法の角笛』(1896年)
『交響曲第4番』(1901年)
『亡き子をしのぶ歌』(1901年−1904年)
『交響曲第5番』(1902年)
『交響曲第6番』(1904年)
『交響曲第7番』(1905年)
『交響曲第8番』(1906年)
『大地の歌』(1908年)
『交響曲第9番』(1910年)

おすすめ参考文献

倉林靖『マーラーとクリムト、民族楽派から20世紀まで』芸術現代社, 2019

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