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夏目漱石の「私の個人主義」の要約:権力者こそ守るべきマナーとはなにか

 この記事では、夏目漱石の「私の個人主義」を要約しながら紹介する。

 1914年、夏目は東京の学習院で「私の個人主義」の題目で講演を行った。漱石はこの時期には、松山や熊本での教師生活を終え、イギリス留学を経験し、『坊っちゃん』や『 吾輩は猫である』そして『それから』などの名作を世に送り出していた。
 すでに傑出した文化人となっていた漱石は1910年代に社会批評も行うようになった。「私の個人主義」はその代表的なものの一つである。

 この講演は二部で構成されている。前半は夏目自身の半生を振り返りながら、個性の発展が重要だと論じる。後半は他人の個性の発展をいかに尊重しなければならないかを論じ、自身の個人主義の内実を明らかにしている。

講演の内容

前半: 夏目漱石の半生とその教訓

 まず前半では、夏目は大学時代を思い返した。大学では英文学を学んだ。というより、学ぼうとした。だが実際には英語の勉強をしたり、著名なイギリス作家の生没年を覚えさせられたりであって、英文学を学んだとはいえなかった。

 夏目は英文学とはなにか、あるいはそもそも文学とは何かを理解しようとした。その時代、大学図書館にも適した書物はなかった。その結果、「とにかく三年勉強して、ついに文学は解らずじまいだった」。ただただ煩悶だけが残った。

 教師生活

 夏目は大学卒業後、高等師範学校から打診を受けて、教師となった。教師になりたかったわけではなく、成り行きでなってしまった。当初から、自分自身では教育者の適性がないと思っていた。実際、その仕事は窮屈に感じられた。

 1年後、夏目は松山中学校に移った。『坊っちゃん』の舞台である。この小説に実在の人物がいるとするならば、「赤シャツ」が夏目自身に該当することになるという。1年後、夏目は熊本の高校に移った。
 熊本で、夏目は長く勤めていた。教師の仕事は問題なくこなすことができた。しかし、心の中は空虚さを感じていた。不愉快で煮えきらない漠然としたものがまとわりついていた。相変わらず、教師の仕事には興味をもてなかった。

 だから、自分の本領が見つかれば、いつでもそこに飛び移ってやろうと思っていた。だが、その本領が見つかりそうもなかった。五里霧中だった。自分の行くべき道が全く見えなかった。そのため、陰鬱な日々を送った。

 イギリス留学へ:しかし・・・

 その頃、文部省からイギリス留学の打診がきた。夏目は当初、これを断ろうと思った。何の目的もなしに留学に行っても、国家の役に立てそうもないと思ったからだった。だが、教頭の勧めで、留学に行くことにした。

 やはり、留学先でも、やるべきことが見つからない。だが、国費での留学なので、なにかを成し遂げなければならないと感じた。だが、ロンドン中を歩いたって、それが見つかりそうにない。いくら本を読んでも、うまくいきそうにない。そもそも、何のために本を読むのかさえ分からなくなってきた。

 気づきをえる:人生の転機

 この時、夏目はこれまでの日本の学問の状況と自分自身の問題に気づいた。それは他人の意見を、特に西洋人の意見を理解も吟味もせずに受け売りにすることである。特に、明治時代前半は西洋人の意見といえば盲従の対象だった。

 だから、大学では著名な西洋人の意見ともなれば、自分自身がそれを納得しようとしまいと関係なく鵜呑みにして、それを受け売りにしていた。他人のものを自分の説であるかのごとく吹聴していた。全くもって他人本位であり、他人に完全に依存していた。そのようなことを続けたとしても、自分自身は根のない浮草でしかなかった。
 夏目はそこから考えを改めた。文学とは何であるかを、根本的に自力で考え出さなければならない。他人本位でなく自己本位でなければならない。西洋人ぶる必要はない。

 西洋人と考えが対立したら、妥協するのではない。その対立の原因が何かを考えればよい。かくして、自己本位をモットーに選んだ。自然と、それまでの不安や重苦しさは消え去った。

 夏目の半生からでてくる教訓

 以上の経験をもとに、夏目はこう勧める。もしかつての夏目と同じように自分自身の行くべき道が見つからずに煩悶しているならば、どんな犠牲を払ってでも、しっかりそれが見つかるまで突き進むべきである。

 それは国家や家族のためというより、「あなたがた自身の幸福のために、それが絶対に必要じゃないかと思う」。その道を発見できれば、生涯、安心と自信を握り続けることができる。

後半: エリートの子どもたちへ

 ここから、夏目は講演の後半に入る。後半は学習院だからこその内容だと夏目は言う。学習院はもともと公家の教育機関であり、華族の学校だった。特に、当時の学習院の学生は社会的地位が高かった。

 そのため、学習院に「上流社会の子弟ばかりが集まっているとすれば、今後あなたがたに附随してくるもののうちで第一番に挙げなければならないのは権力であります。換言すると、あなた方が世間へ出れば、貧民が世の中に立った時よりも余計権力が使えるという事なのです」。後半は特にそのような学生に向けた内容となる。

 自身の個性の発展

 前半では、各自が自身の道を突き進むべきと論じられた。そうすることで、幸福と安心が得られるためである。ではなぜ幸福と安心が得られるかといえば、それは各人の個性に合った道だからである。その道を進んでいくことで、個性を発展させることができる。夏目は当時のヨーロッパのリベラリズムと概ね同様の理論を展開する。

 他者の個性を尊重すること

 権力と金の力は他人の個性を押しつぶす道具になりかねない。夏目によれば、権力は自身の個性を他人に無理やり押し付ける道具になりうる。さらに、金力は自分自身の個性を拡張するために他人を誘惑する道具になりうる。そのため、権力も金力もこの点で「非常に危険なのです」。
 他人の個性もまた尊重しなければならない。その理由を夏目はこう説明する。なぜなら、自身が自分の個性を発展できるよう他人に許容してもらうならば、自分自身でも「他人に対してもその個性を認めて、彼らの傾向を尊重するのが理の当然になって来る」からである。これは必要であり、正しく、公平にかなう。

 もっとも、他人がどんなことをしようとも好き勝手にやらせなければならないということではない。たとえば、法律違反の行いは当然罰せられる。だが、そのような正義や法律などの問題に関わらない場合には、自分が他人から自由を得ている限り、同程度の自由を他人に与えなければならない。

 他者の個性の発展を邪魔しないこと:権力とカネ

 社会的地位の高い者こそ他人の個性の発展を妨害しないよう注意しなければならない。聴衆が社会的地位の高い学生たちであるので、夏目はこの点に力点を置く。社会的地位が高い者ば、より多くの権力と金力をもつ。

 他人の個性の発展を強制的にあるいは誘惑によって妨げる道具を多くもつことになる。とはいえ、彼らは権力と金力を全く自由に使用してもよいわけではない。
 なぜか。権力にかんしては、ここで、夏目は西洋の伝統的な法理論に関連してこう述べる。すなわち、権力や権利は義務を伴うからである。義務をまっとうしなければ、権力や権利を持つ資格がない。
 金力については、夏目は独自の観察を交えて、理由を説明している。金銭は何にでも交換できる。本や家、食べ物など、なんでも買う手段になれる。「人間の精神を買う手段」にもなることができる。金をバラ撒くことで、有徳な人間の道徳心を買い占める。金力はその魂を堕落させる道具にもなりうる。

 これは恐ろしく、不都合なことである。だが、「実際その通りに金が活動する以上は致し方がない」。有徳な人間も金力の誘惑に流されてしまう。では、どうすればよいか。

 「金を所有している人が、相当の徳義心をもって、それを道義上害のないように使いこなすよりほかに、人心の腐敗を防ぐ道はなくなってしまう」。金力を持つ者が自己を律するほかない。

ここまでのまとめ

 後半の論旨を、夏目は次の三点にまとめる。「第一に自己の個性の発展を仕遂げようと思うならば、同時に他人の個性も尊重しなければならないという事。第二に自己の所有している権力を使用しようと思うならば、それに附随している義務というものを心得なければならないという事。第三に自己の金力を示そうと願うなら、それに伴なう責任を重んじなければならないという事」。

 優れた人格による支配の必要性

 社会的に高い地位にありながら、これら三点を全うできるようになるには、人格の成長が必要とされる。夏目はこう述べる。

 「いやしくも倫理的に、ある程度の修養を積んだ人でなければ、個性を発展する価値もなし、権力を使う価値もなし、また金力を使う価値もないという事になるのです。それをもう一遍云い換えると、この三者を自由に享け楽しむためには、その三つのものの背後にあるべき人格の支配を受ける必要が起って来るというのです」。

 なぜか。「もし人格のないものがむやみに個性を発展しようとすると、他を妨害する、権力を用いようとすると、濫用に流れる、金力を使おうとすれば、社会の腐敗をもたらす」からだ。

 ここで権力や金力の濫用だけでなく、個性の暴走についても批判しているのが興味深い。夏目は各人が自身の道を突き進んで個性を発展させた結果、他人を自身の道や個性に引っ張り込むことも問題視しているのだ。権

 力と金力と個性。「この三つのものは、あなたがたが将来において最も接近しやすいものであるから、あなたがたはどうしても人格のある立派な人間になっておかなくてはいけないだろうと思います」。

イギリスの例

 ここで、夏目はイギリスの例に言及する。夏目は当時のイギリスについて、「あれほど自由でそうしてあれほど秩序の行き届いた国は恐らく世界中にないでしょう」という。もっとも、夏目はイギリスに盲従しているわけではない。どちらかといえば嫌いだとさえいう。

 それでも、自由と秩序にかんしては「日本などはとうてい比較にもなりません」というくらい、社会に馴染んでいる。なぜそうなっているかといえば、「自分の自由を愛するとともに他の自由を尊敬するように、小供の時分から社会的教育をちゃんと受けている」からである。そのような義務心を伴った自由が尊重されている。

 夏目の個人主義とは

 夏目は以上を踏まえた個人主義を推奨する。自身にとっては、自由は個性の発展に必要であり、個性の発展が幸福において非常に重要である。他人にたいしては、同様の自由を認める。

 権力や金力で他人の自由を奪わない。あるいは、自分たちの権力や金力のために徒党を組んで他人の自由を抑圧しない。奪い抑圧するならば、そこから個性の破壊と不幸が生じてしまう。

国家主義との関係

 最後に、夏目は自身の個人主義が国家主義と対立しないものと説明する。個人に認められる自由の量は国家が安全か否かに応じて増減する。すなわち、「国家が危くなれば個人の自由が狭められ、国家が泰平の時には個人の自由が膨脹して来る」。

 夏目はこれが自然であり事実だという。国家が危うくなれば個人の自由を切り詰めて国家のことを考えるものだ、と。両者は敵対関係にあるのではなく、国家の状況に応じて、自然とバランスがとられる関係にある。

出典:国立国会図書館「近代日本人の肖像」 (https://www.ndl.go.jp/portrait/)

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 「私の個人主義」の原文は青空文庫にある。

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