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ルノワール:彩りを自在に操る絵筆

 オーギュスト・ルノワールはフランスの画家(1841ー1919)。印象派の代表的人物として知られる。代表作には、「ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏」などがある。だが、これからみていくように、後期にはイタリア・ルネサンス美術などの影響を受けて、印象派の殻を破り、独自の路線を進むことになる。ルノワールの絵画の画像とともにみていこう。

ルノワール(Auguste Renoir)の生涯

 オーギュスト・ルノワールはフランスのリモージュで、職人の家に生まれた。一家はパリに移った。10代なかばから、ルノワールは夜間の絵画教室に通った。同時に、陶器や家具などの絵付け工房で見習いとして働いた。

 画家としての成長

 1862年、ルノワールは画家を志すようになり、美術学校に入った。アングルの弟子のシャルル・グレールに師事した。この若い時期に、幸運にも、ルノワールは優れた若い画家たちと出会った。たとえば、フランスの写実主義を牽引していくクールベである。

 さらに、美術学校では若きモネやシスレー、フレデリック・バジールとともに学んだ。ルノワールは「カフェ・ゲルボアの集い」に参加するようになり、セザンヌらとも知己となった。この頃は、ルノワールはロマン主義の巨匠のウジェーヌ・ドラクロワなど、フランスの優れた画家たちに憧れを抱いた。

 これらの交流のもとで、ルノワールは画家として成長していった。マネが『草上の昼食』などで新しい芸術の潮流を生み出し始めたのも追い風となった。ルノワールは1868年のサロンで作品が認められ、一定の成功を収めた。

 印象派の画家として

 この時期、モネを中心として、印象派の画家集団が形成されていった。当時の画壇を支配していたサロンに対抗する形で、モネらは1874年に印象派の最初の個展を開いた。ルノワールはこれに参加し、『踊り子』などを出展した。だが、印象派は大半の美術批評家に嘲笑され、苦しい出発となった。

この時期の作品

 それでも、ルノワールは印象派の個展に出品を続けた。第三回目の個展に出された『ムーラン・ド・ラ・ギャレット』がよく知られている。ルノワールはとくに肖像画などの人物を描いた。次第に、作家のエミール・ゾラなどが印象派の作品を養護するようになった。

 1876年、ルノワールはモンマルトルにアトリエを築いた。そこでカフェや庭園、室内などを描いた。また、この時期にジョルジュ・シャルパンティエの華麗なサロンに出入りするようになった。シャルパンティエの一家を描いた肖像画などが好評を博した。

 1879年には、ルノワールは18再年下のアリーヌと出会い、恋をした。1885年には長男が生まれた。彼らは1890年に正式に結婚した。アリーヌや子どもたちはルノワールの絵画のモデルとなった。

ルノワールの肖像画


ルノワール 利用条件はウェブサイトにて

 印象派の殻を破って:後期のルノワール

 1881年頃から、ルノワールは従来の印象派の技法を脱却し、次第に次の段階に移っていく。この10年間ほど続く悪戦苦闘の時期は「酸っぱく描く時期」として知られる。1881年、ルノワールはイタリア旅行をした。ヴェネツィアやフィレンツェ、ローマやミラノなどを訪れた。その際に、ラファエロなどの影響を受けたことが新しい刺激となった。

 1882年、ルノワールは印象派の第7回の個展に出品した。だが、彼自身はこの頃に壁に突き当たったと感じた。新たな作風を求めて、悪戦苦闘の時期が続いた。

ルノワールの二人の少女 利用条件はウェブサイトで確認
この時期の作品、二人の少女

 虹色の時期

 1890年頃から、ルノワールは薄い色あいで重ね塗りする技法を開発していった。この時期は「虹色の時期」と呼ばれている。『眠る浴女』(1897)などがよく知られている。この頃には画家としての地位を確立しており、作品がフランス政府などに買い上げられた。

ルノワールのピアノに臨む二人の少女 利用条件はウェブサイトで確認
この時期の作品、ピアノに臨む二人の少女j。フランス政府の要望で制作された

 晩年

 その後、20世紀初頭には、南仏のカーニュ・シュル・メールに移った。神経痛に悩まされながらも、神話にかんする絵や肖像画、静物画を描いた。彫刻も制作した。1919年に没した。

この時期の作品。洗濯をしている女性

 ちなみに、ルノワールの3人の息子は映画業界で活躍した。ピエール・ルノワールは俳優に、ジャン・ルノワールは映画監督に、 クロード・ルノワールはプロデューサーとなった。

こういう面白い解説もあります

美術の評論家で人気の山田五郎さんがYoutube公式チャンネルにてお送りするルノワール絵画の解説

ルノワールと縁のある人物

クロード・モネ:印象派のリーダーであり、その名前の由来をつくった人物。ルノワールの若い頃からの友人でもある。モネもまたなかなか世間に認められず、悪戦苦闘した。その先にみたものとは・・・・。

 ルノワールの代表的な作品


『ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏場』(1876)
『シャルパンティエ夫人と子供たち』(1878)
『浴女たち』(1918ー19)

おすすめ参考文献

安井裕雄『ルノワールの犬と猫 : 印象派の動物たち』講談社, 2016
島田紀夫『印象派の挑戦 : モネ、ルノワール、ドガたちの友情と闘い』小学館, 2009

Colin B. Bailey, Renoir, impressionism, and full-length painting, Yale University Press, 2012

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