ロベルト・シューマンは19世紀ドイツの作曲家で批評家(1810年ー1856)。ドイツのロマン派の代表的作曲家の一人として知られる。代表作には、「トロイメライ」や「ピアノ協奏曲」などがある。
シューマンの生涯
シューマンはドイツのツウィッカウで書籍業の家庭に生まれた。幼い頃から独学でピアノを弾き始め、作曲もした。だが、10代なかばで父が没したため、家族の意向で法律家の道を志すことになった。
シューマンはライプツィヒ大学やハイデルベルク大学で法学を学んだ。同時に、音楽への愛好は深まっていった。音楽に造詣の深いティポーの教授のすすめで、シューマンはピアニストのヴィークに師事することになった。
作曲家や評論家としての活躍
だが、シューマンはピアノの練習を過度に繰り返したため、指を痛めてしまった。そのため、ピアニストの道を諦めた。かわりに、作曲や音楽評論に打ち込んでいった。
1834年、シューマンは『音楽新時報』を創刊し、自ら主筆として音楽評論を活発に行い始めた。さらに、『子供の情景』など、彼の代表曲となるピアノ曲を制作していった。
この頃には、シューマンは師匠ヴィークの愛娘クララに恋愛感情を抱き始めたようだ。だが、ヴィークはそれを認めなかった。シューマンとクララは様々な手段を用いて父を説得し、1840年に結婚に至った。
その頃から、シューマンはピアノ曲から歌曲の制作に移行していった。1841年は交響曲の年と呼ばれるほど、交響曲を集中的に制作した。1842年は第一次室内楽の年で、1843年はオラトリオの年になった。
シューマンの肖像

その頃、ライプツィヒ音楽院が新設された。フェリックス・メンデルスゾーンが音楽院長をつとめ、シューマンは作曲などで教鞭をとった。だが、1844年から、シューマンは重い精神病を患うようになった。そこで、それまでの仕事をやめ、ドレスデンに移った。
病状は徐々に回復した。そこで、シューマンはデュッセルドルフに移り、同市の音楽監督になった。そこで作曲などを行った。また、その頃には、若きブラームスと親交を深めた。だが、1854年から重度の精神病が再発し、精神病院に収容された。1856年、没した。
シューマンの代表曲「トロイメライ」
ユニバーサル・ミュージック・ジャパンがYoutube公式チャンネルにてお送りする「トロイメライ」
シューマンの代表曲「ピアノ協奏曲」
HRシンフォニー・オーケストラがYoutube公式チャンネルにてお送りする「ピアノ協奏曲」
おすすめ参考文献
ウード・ラオホフライシュ『ローベルト・シューマン : 引き裂かれた精神』井上節子訳, 音楽之友社, 1995








