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サラディン:エルサレムの奪還

 サラディンは12世紀の中東の英雄(1137ー1193)。アイユープ朝の創始者。エルサレムをキリスト教徒から奪還した英雄として認知されている。だが、これからみていくように、イスラム教のためにキリスト教と断固として戦った聖戦士ではなかった。では、何者であったか。

サラディン(Saladin)の生涯

 サラディンは現イラクのティクリートで軍人の家庭に生まれた。父はザンギー朝に仕えた。サラディン自身もザンギー朝に仕えることになった。

 アイユーブ朝の創設

 11世紀末、教皇ウルバヌス2世は聖都エルサレムをイスラム教徒から奪還すべく、第一次十字軍を提唱した。これが成功し、エルサレムはキリスト教徒の支配下に置かれた。1099年、エルサレム王国が樹立された。

 1164年、サラディンはザンギー朝のもとで、エジプト遠征へと派遣された。エジプトはファーティマ朝の支配下にあった。だが、ファーティマ朝は上述の第一次十字軍などにより、衰退していた。

 サラディンはエジプトに拠点を築いていった。この勢力争いに、エルサレム王国軍も加わった。1167年、サラディンはエルサレム王国軍の撃破に成功した。1169年、サラディンはエジプトでの軍司令官や宰相に就任し、実権を握った。

 1171年、サラディンはファーティマ朝を廃して、アイユーブ朝を創設した。それまで公認されていたシーア派を廃止し、スンニ派を公認した。さらに、1174年、本国だったシリアのダマスカスに入り、エジプトにシリアの一部を併合した。

 エルサレムの奪還

 サラディンはジハードのために、エルサレムの奪回を目指した。1187年、ヒッティーンの戦いで十字軍を撃破し、エルサレムの奪回に成功した。周辺地域の征服も行った。

 リチャード1世との戦い

 エルサレム陥落はヨーロッパに大きな衝撃を与えた。そこで、第二次十字軍が提唱された。だが、これは成功しなかった。
 第三次十字軍が提唱され、エルサレムへ向かって出発した。イギリス王リチャード1世らがこれに参加した。

 サラディンとリチャード1世の戦いはイスラム教の聖戦士と西洋キリスト教の聖戦士の聖なる戦いとして長らく理解されてきた。あたかも、2つの世界的な宗教の正面衝突であり、あるいは2つの世界や文明の正面衝突であるかのように。
 しかし、実際の両者の戦いはそのような単純な二項対立ではなかった。では、どのようなものだったか。

 当時、サラディンはレパントへの進出を目論んでいた。リチャード1世はこれを阻止した。さらに、リチャードはエルサレムの奪回とシリアとエジプトへの進軍を目論んだ。
 リチャードはエルサレムを征服するのに全力を尽くした。これにたいし、サラディンはリチャードを打ち倒すのではなく、エルサレムを守りきろうとした。そのために、消耗戦を選んだ。

 リチャードはサラディンの軍を苦しめたが、攻めあぐねていた。サラディンは消耗戦を継続しながら、交渉の扉を常に開き続けた。実際の戦闘では、騎士道精神に基づいて、ヨーロッパ人の兵士に寛大さを示すこともあった。
 さらに、弟をリチャードへの使節として派遣し、ラクダや氷、果物やテントなどを贈与した。リチャードはこれらを歓迎し、お返しの品を贈った。使節や贈答品がお互いの間を行き来した。
 両者は戦いながらもこのような交流を維持した。最終的に、1192年、両者は和約の締結に至った。

 この条約により、エルサレム王国はトリポリやアンティオキアなどの領地を失ったままだが、海岸沿いの都市に存続することになった。キリスト教徒はエルサレムの聖墳墓教会などのキリスト教関係地への訪問を許された。かくして、第三次十字軍の脅威は消え去った。

 1193年、サラディンは病没した。上述のように、イスラム教スンニ派のための武勲により、アラビア語で「サラーフ・ウッディーン」と呼ばれるようになった。これは信教の誉れという意味である。サラディンはヨーロッパでの呼び名である。

 サラディンのイメージ形成

 サラディンの没後、この両者の戦術の違いに応じて、サラディンのイメージが形成されることになる。
 同時代のアラビア語圏の年代記や伝記などでは、サラディンは聖なる戦士として描かれた。イスラム教のために戦いに励む姿が描かれる一方で、ヨーロッパ人の捕虜への慈悲や寛大さも強調された。

 中世西欧の文献では、サラディンは全く相容れない敵として描かれたのではなかった。むしろ、キリスト教徒にたいしても寛大さや博愛を示す騎士道精神の体現者として描かれた。サラディンは西欧キリスト教と中近東イスラム教の対立よりも融和のイメージをもたれた。

 しかし、現代においては、サラディンのイメージは文明や宗教の衝突や対立という文脈で利用されている。あるいは、脱植民地化の時期には、ヨーロッパの植民地主義への抵抗やそのためのアラブ全体の団結のシンボルとして利用されてきた。

サラディンの肖像画

おすすめ参考文献

松田俊道『サラディン : イェルサレム奪回』山川出版社, 2015

佐藤次高『イスラームの「英雄」サラディン : 十字軍と戦った男 』講談社, 2011

Anthony Bale(ed.), The Cambridge companion to the literature of the Crusades, Cambridge University Press, 2019

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