斎藤茂吉は大正から昭和の歌人で医者(1882―1953)。若くして代表作『赤光』を公刊し、一躍文名を高めた。精神科医として留学などしながら、短歌の制作を続け、『アララギ』の主要な歌人として活躍した。評論や研究も行い、『柿本人麿』で受賞した。 なお、以下では斎藤茂吉の肉声や肖像画も楽しめます。
斎藤茂吉(さいとうもきち)の生涯
斎藤茂吉は山形県で農家に生まれた。幼い頃から漢籍に親しんだ。1896年に東京に移り、開成中学で学んだ。1902年に第一高等学校に入った。この頃、正岡子規の『竹の里歌』に感銘を受け、短歌を製作して投稿するようになった。
東京帝国大学医科大学に進んだ。1906年、雑誌『馬酔木』に短歌を投稿し、これが採用された。そこで、正岡子規の弟子の伊藤左千夫に師事するようになった。1908年、短歌雑誌『アララギ』が創刊され、伊藤らが編集を担った。斎藤もこれに加わった。1910年、大学を卒業した。
歌人としての開花:『赤光』
斎藤は精神科を専門とした医師になり、東京の巣鴨病院に勤務した。同時に歌人としても活動し始めた。北原白秋(はくしゅう)などと交流をもった。
1913年、斎藤は代表作として知られる歌集『赤光(しゃっこう)』を公刊した。これが大きな反響を呼び、斎藤の文名を高めた。斎藤は自ら短歌をつくるだけでなく、短歌の研究や評論も行い、『短歌私鈔(ししょう)』などを公刊した。
1917年、斎藤は長崎に移り、長崎医学専門学校の教授となった。この頃、斎藤は短歌に関する研究を深め、1920年に『短歌に於ける写生の説』を公刊した。写実主義的な短歌を目指し、1921年には歌集『あらたま』を公刊した。
1921年から、斎藤は3年間、医学の留学としてヨーロッパに滞在した。主にウィーンとミュンヘンで研究をおこなった。ドナウ川やイーゼル川についての随筆を公刊している。また、ヨーロッパでの経験がのちに歌集『遠遊』などに結実した。
滞在中、斎藤はイタリア旅行をした。ナポリでポンペイ遺跡を訪れた後、ヴェスヴィオ火山をも訪れた。登山鉄道で登った。だが、悪天候だったため、あまり良く見物できなかった。残念に思いながら下山した。ゲーテもまたかつてヴェスヴィオ火山の調査で難儀していたのを思い出しながら、登山を終えた。
歌人としての活躍:アララギ派の中心へ
帰国して後、斎藤は1926年に『アララギ』を主宰者となった。斎藤はこのように歌人として活躍しながら、家業の医者も続けた。1927年には青山病院の院長となった。さらに、日本の古典研究に打ち込み、1934年から評論の『柿本人麿』を執筆し始めた。これが評価され、学士院賞をえた。また、1937年には芸術院の会員となった。
また、この時期には、辞書項目の執筆も行った。たとえば、民俗学者の折口信夫すなわち歌人の釈迢空の項目である。釈の歌については、こう評している。釈は万葉派だとみなすべきである。
だが、古今和歌集や新古今和歌集をも吸収している。あらに、国文学者や民俗学者としても優れているので、歌風はおのずから独自のものとなっている。人情の機微や人事の複雜を詠ずるのが特異である。
1930年代後半から、日本は戦争状態へと突入していった。斎藤は短歌によって戦意を発揚させようとした。だが,1945年に日本は敗北し、斎藤は失意に落ち込んだ。その思いを歌集『小園』で表した。
その後も、斎藤は短歌の制作を続けた。1949年には『白き山』を公刊した。1951年、文化勲章をえた。1953年に病没した。
『赤光』の短歌の一部を紹介
みなづき嵐
どんよりと空は曇りて居りたれば二たび空を見ざりけるかも
わが体にうつうつと汗にじみゐて今みな月の嵐ふきたれ
わがいのち芝居に似ると云はれたり云ひたるをとこ肥りゐるかも
みなづきの嵐のなかに顫ひつつ散るぬば玉の黒き花みゆ
狂院の煉瓦の角を見ゐしかばみなづきの嵐ふきゆきにけり
狂じや一人蚊帳よりいでてまぼしげに覆盆子食べたしといひにけらずや
ながながと廊下を来つついそがしき心湧きたりわれの心に
蚊帳のなかに蚊が二三疋ゐるらしき此寂しさを告げやらましを
ひもじさに百日を経たりこの心よるの女人を見るよりも悲し
日を吸ひてくろぐろと咲くダアリヤはわが目のもとに散らざりしかも
かなしさは日光のもとダアリヤの紅色ふかくくろぐろと咲く
うつうつと湿り重たくひさかたの天低くして動かざるかも
たたなはる曇りの下を狂人はわらひて行けり吾を離れて
ダアリヤは黒し笑ひて去りゆける狂人は終にかへり見ずけり
口ぶえ
このやうに何に頬骨たかきかや触りて見ればをんななれども
この夜をわれと寝る子のいやしさのゆゑ知らねども何か悲しき
目をあけてしぬのめごろと思ほえばのびのびと足をのばすなりけり
ひんがしはあけぼのならむほそほそと口笛ふきて行く童子あり
あかねさす朝明けゆゑにひなげしを積みし車に会ひたるならむ
神田の火事
これやこの昨日の夜の火に赤かりし跡どころなれけむり立ち見ゆ
天明けし焼跡どころ焼えかへる火中に音の聞えけるかも
亡ぶるものは悲しけれども目の前にかかれとてしも赤き火にほろぶ
たちのぼる灰塵のなかにくろ眼鏡白き眼鏡を売れりけるかも
和あゆみ眼鏡よろしと言あげてみづからの眼に眼鏡かけたり
「曼珠沙華」の朗読の動画
斎藤茂吉の肖像写真

出典:国立国会図書館「近代日本人の肖像」 (https://www.ndl.go.jp/portrait/)
斎藤茂吉と縁のある人物
☆伊藤左千夫:斎藤茂吉の短歌の師匠。伊藤左千夫の死後、少し相手から、斎藤が『アララギ』を率いることになった。伊藤自身は歌人としてでなく小説家としても有名な作品を世に送り出した。
斎藤茂吉の代表的な作品・著作
『赤光』(1913)
『短歌私鈔』(1916)
『短歌に於ける写生の説』(1920)
『あらたま』(1921)
『柿本人麿』(1934ー40)
『遠遊』(1947)
『小園』(1949)
『白き山』(1949)
『つきかげ』(1954)
斎藤茂吉の記録された肉声を無料で聞けます
斎藤茂吉の肉声を国立国会図書館のデジタルライブラリで聞くことができます。斎藤が自作の短歌を詠んでいます(https://rekion.dl.ndl.go.jp/pid/3571562)。
おすすめ参考文献と青空文庫
小泉博明『斎藤茂吉の人間誌』彩流社, 2022
※斎藤茂吉の作品は無料で青空文庫で読めます(https://www.aozora.gr.jp/index_pages/person1059.html)

