シャー‐ジャハーンは17世紀のムガル帝国の第5代皇帝(1592ー1666)。在位は1628ー1658年。
シャー・ジャハーンの出自と初期
ジャハーンは現パキスタン北東のラホールで、ムガル帝国の皇帝ジャハーンギルとラージプート王女マンマティの三男として生まれた。
アフマドナガル王国との戦いで功績をあげた。その際に、父からシャー・ジャハーンという称号を得た。これは世界の王という意味である。
1622年には、父にたいして、反乱を起こした。だが、失敗に終わり、1625年に父と和解した。兄弟間の後継者争いに勝利した。
ムガル帝国の皇帝として
1627年、父が没した。1628年、ジャハーンはムガル帝国の第5代皇帝に即位した。
ジャハーンはインド半島でのムガル帝国の支配を強めた。アフマドナガルを併合し、ゴルコンダとヴィジャヤプラに朝貢させた。さらに、ペルシアのカンダハールをめぐって、イランのサファビー朝と戦った。当初はカンダハールやバルフなどの獲得に成功した。彼の晩年にはこれらの都市を奪われることになった。
ムガル帝国の黄金時代:タージマハルなどのイスラム建築
ムガル帝国の歴史の中で、ジャハーンの時代は比較的戦争が少なかった。イスラム宮廷文化が花開き、アクバル帝の時期のような黄金時代を迎えた。
ジャハーンが皇帝に即位した頃、首都はインドのアグラあった。この地で、ジャハーンはタージマハルなどを建造させた。これは愛妃ムムターズ・マハルの霊廟である。
1648年、ジャハーンは帝国の首都をインドのデリーに移した。そこでも壮麗なモスクのジャーマー・マスジドなどを建造させた。宝石を収集し、豪華な宝石コレクションをつくりあげた。他にも、芸術や文学も発展した。文学では、ジャハーンは理想的な君主として描かれることになる。
シャー・ジャハーンの肖像画

だが、それらの壮麗な建造物の建築費や上述の戦費は帝国の財政を圧迫した。1657年、ジャハーンは病に倒れた。息子たちの後継者争いが激しくなった。1658年、アウラングゼーブが勝利し、自ら皇帝であると宣言した。彼はジャハーンを幽閉した。ジャハーンは1666年に没した。
☆シャー・ジャハーンのインド旅行・観光地:タージマハル
シャー・ジャハーンに関する歴史情緒溢れる観光地としては、やはりタージ・マハルがおすすめだ。
世界文化遺産にも登録されている。完成までに20年以上を要したインド・イスラム文化の結晶をぜひとも死ぬまでには見ておきたい。
ラグジュアリー・トラベルエクスパートさんがYoutubeチャンネルにてお送りする現在のタージ・マハルの風景
おすすめ参考文献
S・スブラフマニヤム『接続された歴史 : インドとヨーロッパ』三田昌彦, 太田信宏訳, 名古屋大学出版会, 2009








