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ティントレット

ティントレットは16世紀に活躍したイタリアの画家(1518 ー1594 年)、イタリア・ルネサンス美術の代表的な画家の一人であり、ヴェネチア派の主要な画家の一人。代表作には「最期の晩餐」などがある。

目次

ティントレットの出自と初期

 ティントレットはイタリアのヴェネツィアで職人の家庭に生まれた。本名はヤコポ・ロブスティである。父が染物屋(ティントレ)であったので、ティントレットと呼ばれるようになった。

 ティントレットの生涯については未詳である。若い頃に、ヴェネツィア派の巨匠ティツィアーノに師事した。だが、ティツィアーノがティントレットの画才に嫉妬して、すぐに見放したようだ。1539年頃には、ティントレットは画家として独立した。

 その後、1545年頃、ティントレットはローマに旅に出た。そこでミケランジェロやマニエリスムの影響を受けた。翌年ヴェネツィアに戻った。また、1527年のローマ劫掠により、ローマの画家の一部がヴェネツィアに移ってきていた。ティントレットらのヴェネツィアの画家は彼らの影響も受けただろう。

画家としての活躍:『天国』や『最後の晩餐』

 1548年、ティントレットはヴェネツィアの聖マルコ信心会のために『キリスト教徒の奴隷を救う聖マルコ』を描いた。これは一部で批判も惹起したが、おおむね成功した。

 ヴェネツィアは聖マルコと特別な関係にあった。当初、聖マルコの遺骸がエジプトに埋葬されていた。だが、ヴェネツィア人がこれを盗んだか買い取り、ヴェネツィアに移した。この遺骸を埋葬したのが、ヴェネツィアの主要な大聖堂のサン・マルコ大聖堂である。聖マルコはヴェネツィアの守護聖人となった。都市国家ヴェネツィアのシンボルは聖マルコのそれ(翼の生えたライオン)である。

 1562年以降も、ティントレットは聖マルコ信心会のために聖マルコにかんする絵画を制作した。ほかにも、三位一体信心会などのために絵画を制作した。オルト聖母教会では、コンタリーニ家の私設礼拝堂の装飾を担当した。そのようにして、名声を高めていった。

 さらに、1564年から1587年にかけて、ティントレットは聖ロッコ信心会のために、信心会の本館の壁や天井の画を数多描いた。これは現在、美術館というかたちで公開されている。

 1577年、ドゥカーレ宮殿が火災により大きな被害を受けた。このヴェネツィア政治の中心的な建物の再建に際して、ティントレットは多くの絵画を担当した。とくに、大評議場の『天国』は世界最大の油絵として知られる。ヴェネツィアの貴族たちは『天国』のキリストや聖人たちを見上げながら、祖国の政治を討議していたことになる。

ティントレットの肖像画

ティントレット 利用条件はウェブサイトにて

 最晩年には、ティントレットはサン・ジョルジョ・マジョーレ聖堂のために『最後の晩餐』などを制作した。

☆ティントレットのイタリア旅行・観光地:ヴェネツィアのドゥカーレ宮殿

 ティントレットに関する歴史情緒溢れる観光地としては、ヴェネツィアのドゥカーレ宮殿がおすすめだ。そもそも、ドゥカーレ宮殿はかつてのヴェネツィア共和国の大統領の公邸だった。この建物自体は9世紀に建てられた。現在のような形になったのは、14世紀頃からだった。

 大統領の公邸でありながら、上述の大評議場ではヴェネツィアの貴族たちが議論し、政策を決めていた。この議場の一角に大統領らの座席が配されている。ティントレットの『天国』はその背面の壁に飾られている。在りし日のヴェネツィア共和国の栄華と誇りを追想するのに適した場所だ。

ウォークヴァースさんがYoutubeチャンネルにてお送りする現在のドゥカーレ宮殿の風景

ティントレットの主な作品

『囚人を救い出す聖マルコ』 (1548)
『天国』(1588−90)
『最後の晩餐』(1592−94)

おすすめ参考文献

遠山公一編『祭壇画の解体学 : サッセッタからティントレットへ』ありな書房, 2011

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