ユトレヒト条約は18世紀初頭に、スペイン継承戦争を終結させるために締結された一連の条約(1713ー1714)。
ユトレヒト条約の背景:スペイン継承戦争
17世紀末、スペイン国王カルロス2世には、直系の後継者がいなかった。そこで、彼は次のスペイン国王として、ルイ14世の孫にあたるフィリップを指名した。イギリスやオランダなどは、当時の列強国のフランスとスペインが結合することに危機感を抱いた。よって、この継承を阻止するために、それらの国が1701に戦争を開始した。1713年、この戦争を終わらせる一連の講和条約として、ユトレヒト条約が締結された。なお、ドイツはプロイセン以外、ラシュタット条約を別途結んだ。
ユトレヒト条約は、締結主体がスペインのものとフランスのものの二種類に大まかに分けられる。
ユトレヒト条約の内容(スペイン)
スペインとイギリスの条約では、スペインからイギリスへと、ジブラルタルとミノルカ島が割譲された。さらに、スペイン植民地へと30年間アフリカ人奴を独占的に供給する権利(アシエント)もイギリスに与えられた(ちなみに、その結果として、イギリスではウォルポールのもとでバブル経済が生じ、南海泡沫事件が生じることになる)。
スペインとサヴォイアの条約では、スペイン領のシチリアがサヴォイア公に与えられた。
スペインとオランダやポルトガルの和平が結ばれた。
ユトレヒト条約の内容(フランス)
フランスとサヴォイアの条約で、フランスはサヴォイア公爵をシチリア王として認めた。
フランスとオランダとの条約で、オランダはヘルダーラントの一部を併合するのを認められた。
フランスとポルトガルとの条約で、南米植民地での対立の解消が図られた。アマゾン川流域の領有権がポルトガルに認められた。
フランスとプロイセンとの条約では、フリードリヒ1世のプロイセンの王位が認めれた。さらに、ヘルダーラントの一部への彼の領有権が認められた。
イギリスとの条約では、イギリスの王位継承権争いの問題が解決された。英王にはアン女王が正式に認められた。さらに、ニューファンドランド島やハドソン湾などのフランスの北米植民地がイギリスに割譲された。
ユトレヒト条約の交渉会議の様子

画像はユトレヒト条約の当時のもの
ユトレヒト条約の意義
スペインの継承にかんしては、上述のフランスのブルボン朝のフィリップがスペイン王フェリペ5世として正式に即位することになった。かくして、ブルボン朝がボルボン朝としてスペインに入り込んだ。ただし、フェリペ5世はフランス王権を継承できないという条件がつけられた。よって、スペインとフランスの結合は防がれた。
この条約の最大の受益者はイギリスだった。スペインとフランスから多くの領地を得た。さらに、それぞれのアメリカ植民地の権益や領地もえた。かくして、ユトレヒト条約はイギリスの世界帝国形成への礎となった。
さらに、プロイセンが王国として認められるなどして、新たなヨーロッパ秩序が構築されることになった。
おすすめ参考文献
友清理士『スペイン継承戦争 : マールバラ公戦記とイギリス・ハノーヴァー朝誕生史』彩流社, 2007








