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ルイス・ビーベス:スペインの人文主義者

 フアン・ルイス・ビーベスは16世紀スペインの哲学者(1492ー1540 )。当時のスペイン・ルネサンスの代表的人物の一人として知られる。エラスムスやトマス・モアらと交流を持った。当時の哲学や教育の批判のみならず、教育や救貧政策、心理学などで貢献した。早い時期の女性教育の推進者として知られる。だが、その内容はこの記事に示す通りのものだった・・・・。

ビーベス(Juan Luis Vives)の生涯

 ビーベスはスペインのバレンシアでユダヤ人家庭のもとに生まれた。彼が誕生した時期のスペインは、ユダヤ人にたいして厳しい対策を行った。すなわち、1492年、当時のスペイン女王イサベルなどはユダヤ人にたいして、キリスト教に改宗するか、あるいは国外追放かの二択を迫った。その結果、多くのユダヤ人はスペインを去った。

 だが、問題はそれで終わらなかった。キリスト教への改宗を選んだユダヤ人の中には、外ではキリスト教徒として振る舞い、自宅などではユダヤ教の実践を継続する人々もいた。それも一因となって、新規改宗者への厳しい取り締まりが続いた。この時期、スペインの異端審問制度の主なターゲットはこれらのユダヤからの改宗者(コンベルソ)だった。

 ビーベスの家庭もコンベルソに属した。コンベルソへの厳しい対策や差別そして異端審問を避けるべく、ビーベスは17歳のときにスペインを離れた。これ以降、ビーベスは残りの生涯を国外で過ごすことになる。なお、彼の父は偽装改宗者として1524年にスペインで火刑に処された。

 人文学者として:エラスムスとの交流

 1509年から、ビーベスはフランスに移り、パリで人文学を学んだ。1512年、パリを離れ、現在のベルギーのブルッヘに移った。ビーベスはブルッヘを故郷と感じるようになる。そこでは、フランドル人のクロイのウィリアムの家庭教師となった。著名な人文学者エラスムスと交流をもった。

 1517年、ビーベスはルーベンに移った。ルーベン大学の人文学の教授に任命された。著述活動も行い、哲学や人間の性質について論じた。また、スコラ哲学への痛烈な批判を展開した。ビーベスは次第に名声をえていった。

 1522年、ビーベスはエラスムスの以来でアウグスティヌスの『神の国』の註解を公刊した。これをイギリス国王ヘンリー8世に献呈した。そこで、1523年、ヘンリーに招かれて、イギリスに移った。そこでは、イギリスの著名な人文学者のモアとも交流をもった。

 イギリスへ:女性教育論

 ビーベスはオックスフォード大学で哲学教授もつとめた。また、ヘンリー8世の宮廷に出入りし、娘の家庭教師を任された。その関連で、1524年、『キリスト教女性の教育について』を公刊した。 

 そこでは、ビーベスは中世以来の女性観を示している。西欧中世では、女性嫌いの伝統がみられた。たとえば、当時はワンセックス・モデルが受け入れられていた。すなわち、人間の身体は本来同一であると考えられた。同一の身体が完全な仕方で形成されれば男性となり、不完全な仕方で形成されてしまうと女性になると考えられた。そのため、女性は男性の出来損ないとして理解された。
 あるいは、中世医学の体液説のもとで,女性は怠惰で不機嫌、粘着質で妄想気味だと説明された。理性が弱く感覚的であり、不誠実で気まぐれであり、外部の影響を受けやすい。聖書でイヴが楽園でヘビの誘惑に負けたようにである。

 さらに、イヴはアダムを誘惑して唆した。その結果、アダムとイヴそして人類は楽園を追い出された、と。このように、中世ヨーロッパには女性への嫌悪と蔑視の伝統が存在した。

 ビーベスの女性観もその延長線上にある。ビーベスによれば、女性は本来的に視野が狭く、男性の保護を必要とする。若い娘たちは純潔が最重要であるので、両親は娘の純潔を守るために、屋内に囲い込むべきである。娘を家事に精通させるべきである。

 当時流行していた世俗の恋愛歌にもダンスにも触れさせてはならない。当時のネーデルラントで見られるようになった恋愛結婚や、性愛ゆえの結婚もまた断罪される。寡黙に家庭に献身する女性こそ女性教育の目標とされた。

 同年、『知恵への入門』を公刊し、これが広く読まれた。

 1526年、ビーベスは『貧民の支援について』を公刊した。本書は、貧民対策をめぐるヨーロッパの制度が大きく変わろうとする時代に公刊された。ビーベス自身も本書によってこの変化に貢献することになるビーベスは本書をブルッヘ市に献呈した。

 1528年、ビーベスはヘンリー8世の怒りを買った。この時期、ヘンリー8世は王女との間に男子の後継者が生まれなかったので、離婚を検討していた。ビーベスは離婚に反対したため、ヘンリーの怒りを買った。そのため、自宅軟禁の罰をくだされた。ちなみに、同一の問題が一因となって、トマス・モアもまた処刑されることになる。

 晩年の著述活動

 ビーベスは短期間で釈放された。ビーベスは再びネーデルラントに移った。そこから著述活動に打ち込んだ。1531年には主著『規律について』を世に送り出した。ビーベスは当時の教育について痛烈な批判を展開したうえで、自身の子供や女性の教育の理論を展開した。また、ビーベスが躾(規律)に関心があったように、近世の社会の規律化の推進者という側面も指摘されている。

 1538年、ビーベスは『魂と生命について』を公刊した。これは魂あるいは心にかんする独自の思索を展開している。本書ゆえに、ビーベスは近代心理学の父だと評されることもある。

 たとえば、感情にかんする詳細な分析が注目されている。ビーベスの理論はスコラ主義やアリストテレス主義への批判そして心理学にかんして特に後代に影響をもつことにある。

ビーベスの肖像画

ルイス・ビーベス 利用条件はウェブサイトで確認

ビーベスの主な著作

『知恵入門』 (1524)
『規律について』(1531)
『魂と生命について』(1538)

おすすめ参考文献

前野みち子『恋愛結婚の成立 』名古屋大学出版会, 2006

アンヘル・ゴメス『ルイス・ビーベス : 哲学者の責務 』木下登訳, 全国書籍出版, 1994

Charles Fantazzi, A companion to Juan Luis Vives, Brill, 2008

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