ヴィルヘルム・リヒャルト・ワーグナーは19世紀に活躍したドイツの音楽家や劇作家(1813ー1883)。ロマン派オペラの代表的人物として知られる。代表作には、『ニーベルングの指環』や『トリスタンとイゾルデ』などがある。ちなみに、フランツ・リストの娘と結婚した。
ワーグナーの出自と初期
ワーグナーはドイツのライプツィヒで公務員の家庭に生まれた。幼い頃は文学や演劇に没頭した。ベートーヴェンの音楽が転機となって、音楽家を志し、18歳でライプツィヒ大学に入った。早くから楽才を示し、作曲も行った。
音楽家としての活躍
1833年から、ワーグナーは主に指揮者として各地を放浪し始めた。ウュルツブルクに移り、その市立歌劇場で合唱指揮者をつとめた。1834年、マクデブルクに移り、歌劇団の指揮者となった。その後も、ケーニヒスベルク歌劇場やリガ歌劇場で指揮者をつとめた。また、歌劇の制作も行った。
1839年、ワーグナーはパリに移った。自作の歌劇を音楽の都パリで自演して成功しようと志したが、うまくいかなかった。困窮しながらも、ワーグナーは『ファウスト序曲』や『さまよえるオランダ人』などを制作した。また、著述も行っており、小説『ベートーヴェンまいり』などを著した。
1842年、ワーグナーはドレスデンに移った。同地の宮廷歌劇場で、歌劇『リエンツィ』や『さまよえるオランダ人』を初演し、大成功を収めた。これで、生活も安定した。さらに、代表作として知られる『タンホイザー』も完成させた。
1848年、フランスで二月革命が起こった。その衝撃が周辺国にも伝わった。ドレスデンにも伝わり、ワーグナーはその革命運動に参加した。そのため、逮捕されそうになり、スイスに亡命した。
1849年、ワーグナーはチューリヒで活動を再開した。芸術批評として、『芸術と革命』や『未来の芸術作品』などを公刊した。代表作『ニーベルングの指環』の制作を開始した。この時期、ショーペンハウアーの『意志と表象としての世界』から大きな影響を受けた。
1857年、マティルデ・ウェーゼンドンク夫人と恋に落ちたが、悲劇的な終わりを迎えた。ここから、『トリスタンとイゾルデ』の着想がえられた。その後も、ヴェネツィアやルツェルン、パリなどを転々とした。パリでは、『タンホイザー』の上演が失敗した。この試みは詩人ボードレールの音楽批評の対象になった。
1864年、バイエルン王ルートヴィヒ2世の招きで、ワーグナーはミュンヘンに移った。ルートヴィヒは彼を財政支援し、音楽活動に専念させた。『トリスタンとイゾルデ』などが初演された。また、かねてから世話になっていたフランツ・リストの娘コジマと結婚した。
ルートヴィヒの支援により、ワーグナーは念願だった祝祭劇場をバイロイトで完成させた。1876年、その杮落で、『ニーベルングの指環』四部作を初演した。その後も『パルジファル』を制作し、初演した。1883年、ヴェネツィアで没した。
リヒャルト・ワーグナーの肖像

ワーグナーの代表曲「ニーベルングの指環」
ワーナー・クラシックスがYoutube公式チャンネルにてお送りする「ニーベルングの指環」
ワーグナーの代表作「トリスタンとイゾルデ」
HRシンフォニー・オーケストラがYoutube公式チャンネルにてお送りする「トリスタンとイゾルデ」
ワーグナーの代表的な作品
『ベートーヴェンまいり』(1840)
『タンホイザー』 (1845)
『芸術と革命』(1849)
『未来の芸術作品』(1849)
『ニーベルンゲンの指輪』 (1852ー76)
『トリスタンとイゾルデ』 (1857ー59)
『指揮について』(1869)
『パルジファル』 (1882)
おすすめ参考文献
広瀬大介『ワーグナー : トリスタンとイゾルデ』音楽之友社, 2022
