ジョージ・ワシントン:アメリカ初代大統領

 ジョージ・ワシントンは初代アメリカ合衆国大統領(1732 ー1799)。アメリカ植民地がイギリスから独立しようとした1775 ー83 年の独立戦争では、植民地側の司令官として活躍した。独立後、初代大統領に就任した。建国の父とも呼ばれる。これからみていくように、この建国初期の頃にすでに、後にアメリカ全体を震撼させるあの問題が起こり始めていた。

ワシントン(George Washington)の生涯

 ワシントンはイギリスの北米植民地だったヴァージニアのウェストモーランド郡で、大農場主の家に生まれた。10代なかばで測量官になった。

 1754年から、イギリスは北米植民地でフランスや先住民との連合軍と戦争した。その際には、ワシントンはイギリス側の民兵として参加した。その後、1759年から、ヴァージニア議会の議員に選出された。

 私生活では、没した兄の大農場を相続した。さらに、富裕な未亡人と結婚して大規模農園経営に勤しんだ。
 しかし、この経営はイギリス政府の政策によって、壁にぶつかった。というのも、ワシントンはアメリカ西部の土地投機などを目論んでいたが、イギリス政府はケベック法などによってそれらを阻止したためだった。それゆえ、ワシントンはイギリス政府にたいして反感を強めていった。

 アメリカ独立戦争へ:総司令官としての活躍

 ボストン茶会事件などをへて、アメリカ植民地ではイギリス政府への反発がいよいよ高まっていった。ついに、1774年、イギリスと対決すべく、アメリカ植民地では大陸会議が結成された。
 1775年、イギリスとの戦闘が開始された。アメリカ独立戦争の始まりである。同年、第2回大陸会議において、ワシントンは植民地軍の総司令官に選ばれた。

 当時、イギリスの軍隊はヨーロッパ随一の強さだった。それにたいして、アメリカ植民地の兵士は素人上がりだった。それゆえ、当面はワシントンの敗北が続いた。

 転機となったのは、フランスとの同盟成立だった。フランスはヨーロッパの大国としてイギリスとしばしば敵対関係にあった。1778年、即位して間もないルイ16世のもと、フランスはアメリカ植民地の支援を決めた。なお、この決定はフランスの運命に大きな影響を与えることになる。


 フランスの援軍によって、勝利の光が見えてきた。例えば、のちにフランス革命で活躍するラ・ファイエットがワシントンのもとで活躍した。1781年のヨークタウンでの戦闘によって、イギリスとの戦闘はほぼ終結した。

 1783年、アメリカ植民地が独立戦争に勝利し、アメリカ合衆国として独立した。ワシントンは総司令官の任務を終えて、農場経営に戻った。
 1787年、フィラデルフィアの合衆国憲法制定会議が開かれたさいに、ワシントンは議長をつとめた。

 アメリカの初代大統領

 1789年、ワシントンはアメリカの初代大統領に選出された。大統領としては、建国されたばかりのアメリカの安定と確立のために尽力した。
 まずなにより、独立戦争の際に生じた莫大な債務の問題に取り組む必要があった。アメリカの国家政府が国と州の債務を引き受け、償還する計画がたてられた。

 さらに、新生アメリカで強力な国家制度を構築しようとした。実際に、数多くの重要な諸制度が設立されていった。司法制度や税制度、特許制度、民兵制度、合衆国銀行、郵便局などである。また、国勢調査の実施も決められた。ワシントンはジョン・アダムズやハミルトンらとともにこれらに取り組んだ。

建国初期の諸問題

 しかし、すべてが順調だったわけではない。たとえば、債務返済は対立の種にもなった。南部の諸州は自分たちの債務の大部分をすでに返済していたからである。そのため、アメリカの国家がすべての州の債務返済を請け負うのにたいして不満をいだいた。

 さらに、この時期にはすでに奴隷制をめぐる対立が生じ始めていた。周知のように、奴隷制をめぐる対立は19世紀のアメリカの南北戦争の主な原因となる。
 だが、ワシントンの時代にもすでに、宗教団体などによる奴隷制廃止の訴えがみられた。南部諸州がこれに強く反対した。奴隷制廃止を進めるならば、南部諸州が反乱を起こして独立することになるとさえ彼らは訴えた。

 結局、上述の債務返済の問題もあったため、ワシントンは奴隷制の問題を棚上げにすることを決めた。また、1791年、ウイスキーへの課税の法律が制定されると、西部で反乱が生じた。

大統領の二期目

 1792年、ワシントンは大統領選挙で圧勝した。大統領の2期目を開始した。この時期、フランス革命が大きな問題となった。
 フランスが国内で革命を進める中で、周辺国はこれを阻止するために干渉戦争を始めた。このフランスとどのような関係を築くかが論点となった。
 アメリカでは、親仏の共和主義と親英の連邦主義の2つのグループが登場して急速に広まり、対立した。ワシントンは中立を維持しようと試みた。

 また、ワシントンはイギリスやスペインなどからアメリカ合衆国の独立を正式に承認してもらうよう交渉を進めた。スペインとは1795年に条約を結んだ。
 イギリスとの交渉により、イギリスはアメリカの領土から撤退することになった。そのかわりに、アメリカは革命以前のイギリスによる西インド貿易に再び加わり、イギリス商人への債務を支払うことになった。

 晩年

 1796年、任期の満了とともに、政界を引退した。最晩年は農場経営に戻った。1799年、病死した。ワシントンはアメリカ建国期の英雄として認知されるようになる。
 ワシントンが大統領を二期でやめたので、その後のアメリカ大統領は人気があっても二期でやめる慣習となった。

ワシントンと縁のある人物

アダムズ:ワシントン大統領のもとで副大統領をつとめた人物。ワシントンが三期目の大統領選挙への出馬をやめた際に、アダムズが出馬した。その結果は・・・。ワシントンの肖像画

ジョージ・ワシントン 利用条件はウェブサイトで確認

おすすめ参考文献

中野勝郎『ワシントン : 共和国の最初の大統領』山川出版社, 2022

西川秀和『建国の父ジョージ・ワシントン』悠書館, 2019

Paula Baker and Donald T. Critchlow(ed.), The Oxford handbook of American political history, Oxford University Press, 2020

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