ワーテルローの戦いは1815年に、フランス皇帝のナポレオンと、プロイセンなどの連合軍の戦い。後者が勝利し、ナポレオン戦争が終りを迎え、ヨーロッパ史の一つの節目となった。
ワーテルローの戦いの背景
1789年、フランス革命が起こった。その後、周辺国がフランス革命を失敗させようとして、軍隊を送った。この動乱の中で、ナポレオン1世が台頭し、皇帝となった。ナポレオンは勝利を重ねていった。だが、1814年、冬のロシア遠征に失敗し、敗北した。拿捕されて、エルバ島に追放された。だが、エルバ島をひそかに抜け出し、1815年3月にパリに舞い戻ってきた。そして、再び実権を握るようになった。
ナポレオンがパリに戻ってきたことを知り、イギリスやオーストリア、ドイツやロシアは同盟を組んで、ナポレオン軍と戦うことを決めた。
連合軍の兵力は80万人に達する見込みだった。これにたいし、ナポレオンがすぐに召集できたのは17万人ほどだった。ナポレオンはオーストリアとロシアの本格的な参戦にはまだ時間がかかると考えたそこで、同年4月末、現ベルギーのワーテルロー攻略を決定した。
ワーテルローの戦い:ナポレオン戦争の終わり
同年6月、ナポレオンは12万人の兵を率いて、ワーテルローへ進軍した。連合軍側は、ウェリントン率いるイギリス・オランダ軍と、ドイツ軍であり、総勢20万人だった。6月18日、戦いが始まった。ナポレオンは連合軍と激しい交戦を繰り広げたが、4万人ほどの大きな損失をうみ、撤退した。ワーテルローの戦いはこの戦いを指す。
ワーテルローの戦い

その後、ナポレオンはパリに戻り、戦力増強を議会に訴えたが、拒否された。その後、政情の変化により、逮捕され、セントヘレナ島に流された。かくして、ナポレオンの命運は尽き、23年間続いたナポレオン戦争は終わった。
ワーテルローの戦いの再現の映像
ナショナル・ジオグラフィックのユーチューブ公式チャンネルがお送りするワーテルローの戦いの再現映像
☆ワーテルローの戦いのヨーロッパ旅行・観光地:ベルギーのワーテルロー
ワーテルローの戦いに関する歴史情緒溢れる観光地としては、やはりワーテルローがおすすめだ。ワーテルローはベルギーの首都ブリュッセルから10キロほど南東にある。
ワーテルロー市には、この戦いに関する博物館や史跡が設けられている。この戦いについており詳しく知りたいなら、ウェリントン博物館がうってつけだ。当時の武器などの史料も見ることができる。モン・サン・ジャン農園の博物館では、この戦争での負傷兵への医療活動にかんする展示をみることができる。戦場となったウーグモン農園もまた有料で訪れることができる。
おすすめ参考文献
ジョン・キーガン『戦場の素顔 : アジャンクール、ワーテルロー、ソンム川の戦い』高橋均訳, 中央公論新社, 2018








