ゴッホ:オランダの鬼才

 フィンセント・ファン・ゴッホはオランダの画家(1853ー1890)。ポスト印象派の代表的人物の一人として知られる。リアリズムや印象派そしてゴーギャンらの影響を受けて、独自の作風を発展させていった。代表作の画像つきで説明する。

ゴッホ(Vincent van Gogh)の生涯:宗教の影響

 ゴッホはオランダ南部のフロート・ツンデルトで牧師の家庭に生まれた。幼少期には美術に関心を抱いたものの、すぐに画家を志したわけではなかった。ティルブルフの中等学校に通った。
 その後、ゴッホはまず画商の職をえた。フランスの美術商グーピル社のハーグ支店に勤めた。1873年にはロンドン支店へ、1875年にはパリ支店に移った。
 パリ生活において、ゴッホは宗教学者エルネスト・ルナンの有名な『イエスの生涯』に大きな影響を受けた。本書はイエス・キリストを神ではなく人間として捉え論じた作品であり、当時大きな反響をうんでいた。本書の影響もあって、ゴッホは美術から宗教に関心が移り、1786年に画商をやめた。
 そこで、ゴッホは父と同じく、牧師の道を志した。父はこれを支援した。ゴッホはブリュッセルの伝道者学校で学んだ。また、ワロン地区のボリナージュで鉱山労働者にたいして宣教活動を行った。だが任務を十分にこなせなかったため、その宣教師としての資格は更新されなかった。

 かくして、ゴッホは牧師の道からも離れた。両親からも見放された。だが、キリスト教の信仰はゴッホに最後までインスピレーションを与え続けることになる。

 画家としての始まり:リアリズム

 1880年、ゴッホは弟テオの支援をえながら、ついに画家になることを決めた。画家はテオがゴッホに提案していた職業の一つだった。テオはゴッホの芸術活動をずっと支え続けることになる。なお、ゴッホは1890年に没するので、画家の期間は10年程度しかない。
 画家の勉強としては、ベルギーの自宅での独学やハーグでのデッサンの勉強を行った。その頃には、イギリスの版画や、フランスの作家ゾラの著作、そしてフランスの農民画家ジャン=フランソワ・ミレーの影響を受けた。
 1883年、両親が住んでいたベルギーの村に引っ越した。そこでミレーのような農民の風俗画を描くようになった。その一つとして、この時期の代表作『じゃがいもを食べる人たち』(1885)が知られている。

『じゃがいもを食べる人たち』

ゴッホの『じゃがいもを食べる人たち』 利用条件はウェブサイトで確認

 それまで、農民をモチーフとする絵画は、農民を牧歌的生活の象徴として描いてきた。これにたいして、ゴッホは当時の農民の生活をリアルに描いた。大地の中で暮らす質朴な農民たちの質素な暮らしを、大地の色で描いた。この暗い色調は当時のオランダ絵画の潮流に合わせたものだった。
 この作品から、当時の暮らしぶりや食生活をうかがうこともできる(実際、オランダの食文化の貧しさの象徴としてこの作品が引き合いに出されることがある)。そのため、ゴッホの画風はリアリズムと評されている。

 パリ時代:印象派やゴーギャンとの出会い

 1885年、父が没した。ゴッホはアントワープに移った。美術学校に通い、1886年に卒業した。
 1886年、ゴッホは心機一転、パリへ旅立った。パリでは、コルモンに師事した。その際に、ロートレックやゴーギャン、ベルナールたちと交流をもつようになった。この交流により、ゴッホはフランス近代絵画の技法を習得するようになった。

 たとえば印象派や、これに影響を与えていた浮世絵が、ゴッホの絵画にも大きな影響を与えた。ゴッホは200点ほどの油彩画を1888年までに制作した。
 この時期に、ゴッホは南洋の熱帯地域に憧れを抱き始めた。小説『ロティの結婚』に描かれたタヒチなどに関心を抱きはじめた。南方のアトリエを構築するという計画に思いを巡らすようになった。

ゴッホの自画像

ゴッホ 利用条件はウェブサイトで確認

 アルルの時代:『ひまわり』

 だが、ゴッホはパリでの生活が合わず、疲弊した。そのため、ゴッホは新天地を目指した。印象派を超えるような芸術家たちの理想郷となる場所を構築すべく、プロヴァンス地方のアルルに移住した。
 この時期に、ゴッホの絵画の独創性は飛躍的に高まった。代表作としては、『ひまわり』や『アルルの寝室』などが知られる。『ひまわり』は連作であり、花瓶に入ったひまわりの静物画は7点が現存している。
 ゴッホの画才は同僚たちによって認められた。ゴッホも自身の画家としてのキャリアに明るい展望をもった。

『アルルの寝室』

『アルルの寝室』 利用条件はウェブサイトで確認

 なお、『アルルの寝室』はこれと同様の絵画が複数存在する。ゴッホが母親に同じような作品を送ったりしたためである。

 黄色い家でのゴーギャンとの共同生活:ゴッホの耳を切り落としたのは?

 ゴーギャンはテオの支援を受けてゴッホの誘いに応じて、アルルで共同生活を開始した。1888年10月下旬から12月下旬までアルルの「黄色い家」で共に過ごしたのである。最終的には、二人の関係が悪化していき、ゴッホが発作を起こし、自らの耳を切り落とした。

 二人の共同生活は長らくの間、神話化して伝えられてきた。すなわち、二人は袂を分かって闘う天才であり、悲劇的な結末と死後の正当化というお馴染みの物語となってきた。 だが、実際はより複雑であり、修正された部分もある。より詳しくみてみよう。
 ゴッホとゴーギャンは新たなスタイルを模索して、ともに絵を描き、論じあった。10月には、二人は互いの肖像画を交換した。ゴッホは日本人の仏僧に扮した。ゴーギャンはユゴーの『レ・ミゼラブル』の主人公ジャン・バルジャンに扮した。 ほかにも、同一モデルのデッサンを行い、美術館に行った。
 ゴッホはゴーギャンのスタイルを実験的に取り入れてた。上述のように、ゴッホは経験に根ざしたリアリズムの作風を取り入れていた。これにたいし、ゴーギャンは記憶と想像力をもとにして描いた。ゴッホはこの手法を取り込み、『小説を読む人』などを描いた。ゴッホはこの新たな作風の作品を「抽象画」だと自ら評した。
 結局、ゴッホはこの手法を放棄した。他の手法を試しながら、新たなスタイルの探求を続けた。その後も、両者はひきつづき相互の芸術家としての発展において刺激を与えあった。

 ゴーギャンはゴッホの『ひまわり』や『星降る夜』の制作のきっかけにもなった。両者ともに、タチヒのようなアトリエの制作に関心を抱き、これについても話し合った。
 しかし、両者の関係は険悪になっていった。12月、ついにゴッホが発作を起こした。だが、ゴッホの耳を切り落としたのは実はゴッホではなく、ゴーギャンだったと近年の研究ではいわれている。ゴーギャンはゴッホへの傷害事件を起こしたのであり、この点でゴッホにかばわれていたのである。

 療養しながらの活動:『星月夜』

  ゴッホは療養生活に入った。1889年には、一時自宅に戻ったが、サン・レミの病院に移った。療養を行いながら、絵画を制作した。この時期の代表作には、『黄色い麦畑と糸杉』(1889)や『星月夜』(1889)などがある。
 ゴッホはゴーギャンとの関係を断ち切ったわけではなかった。反対に、手紙でやりとりを続けた。ゴーギャンはゴッホにとって英雄であリ続けた。

この時期の作品

最晩年

 1890年、オーベル・シュル・オワーズに移った。療養しながら、『カラスのいる麦畑』などを描いた。だが、ゴッホの病気は悪化していった。ゴッホの作品は徐々に世間から好意的な評価を獲得し始めていた。だが、同年7月、ゴッホはピストル自殺を試み、まもなく没した。

 弟のテオも間もなく没した。テオの妻がゴッホの作品の普及につとめることになる。ゴッホは生涯で2000点ほどの作品を残した。

 ゴッホの特徴

 ゴッホの芸術には二つの側面が指摘されている。一つは論理的なものや真理を重視する姿勢である。もう一つはキリスト教の信仰心である。ただし、奇蹟のような超越的なものよりも、目に見える現実の中に神性を位置づける傾向が支配的であった。

 ゴッホがこれらの特徴にたどり着いたのは、上述のルナンやフランスの歴史家ミシュレ、イギリスの哲学者カーライルなどの影響によるものだった。
 ゴッホは「芸術は信仰である」という。世俗化の進む現代において、絵画の芸術が現代の新しい福音になりうると考えた。 天才的な芸術家がこの信仰の永遠の真理をその時代に適した仕方で形作り、世界にたいして示す。ゴッホはこのようなカーライル的な英雄になろうという野心をもった。キリストのような預言者かつ芸術家になろうとしたのだった。

ゴッホと縁のある場所:フランスのアルル

 アルルはフランス南部に位置している。南仏の穏やかな気候で明るい景色が楽しめる古都だ。

 上述のように、ゴッホはアルルに滞在し、画家の理想郷をつくりあげようとした。アルル滞在中に、代表作の『ひまわり』などの静物画や、『アルルの跳ね橋』などのアルル周辺の風景画を制作していった。

 よって、ゴッホの作品を理解したい人は、ぜひ訪れたい場所の一つといえる。実際に訪れるのが困難であっても、映像でどのような場所なのかだいたい確認する価値はあるだろう。

現在のアルルの風景の動画(クリックすると始まります)

 ゴッホと縁のある人物

ゴーギャン:ゴッホのパリ時代からの友人。ゴーギャンなどの前衛派の画家がパリ生活から外部に新天地を求めていたタイミングで、ゴッホがそれをプロヴァンスのアルルに見つけ出した。二人の生活は上述のように破綻してしまった。だが、ゴーギャンはその後、新天地を発見するのに成功し、独自の世界を描きあげることになる。

ゴッホの代表的な作品

『じゃがいもを食べる人々』 (1885)
『ひまわり』 (1888)
『アルルのはね橋』(1888)
『星月夜』(1889)

おすすめ参考文献

木村泰司『ゴッホとゴーギャン : 近代絵画の軌跡』筑摩書房, 2019

小林英樹『 先駆者ゴッホ : 印象派を超えて現代へ』みすず書房, 2017

Steven Naifeh and Gregory White Smith, Van Gogh : the life, Random House, 2011

Douglas W. Druick, Van Gogh and Gauguin : the studio of the south, Thames & Hudson, 2001

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