ナントはフランスのブルターニュ地方(北西部)の主要都市です。ブルターニュ公爵の城があり、ここで世界史的に有名なナントの勅令が出されました。これはフランスの熾烈な宗教戦争を終わらせるものでしたので、ナントは歴史的に決定的な役割を果たしてきたといえます。また、産業や商業で発展してきた街であり、いまでもこの地域を支える活気のある都市です。
この記事では、ナントのおすすめ観光スポットを厳選して紹介します。ナントの観光の魅力をより深く知りたい、旅行の体験をより面白く豊かなものにしたい。そういった方々に、この記事は最適です。というのも、ナントの豊かな歴史との関係でそれらの観光スポットを紹介するためです。
ちなみに、以下のページでナントの歴史をざっと説明しています。それを踏まえたうえで旅行の魅力を知りたい場合は、先にそれを読むことをおすすめします。
ナントのおすすめ観光スポット5選
ブルターニュ公爵城(Château des Ducs de Bretagne)
ブルターニュ公爵城の前身は古代ローマ時代の城壁のあった場所に、13世紀に建てられました。しかし、1460年代、ブルターニュ公フランソワ2世がその前身の城を取り壊し、新たにブルターニュ公爵城を建設しました。
これは当時のブルターニュ公とフランス王の対立を背景としており、要塞として建てられたものです。同時に、ブルターニュ公の居城でもありました。そのため、防衛のための実用性と、公爵城としての壮麗さを兼ね備えることになります。様々な城や、有名な グラン・ロジとグラン・グヴェルヌマンの建物が建造されました。
1488年、フランソワ2世が没します。娘のアンヌはフランス王と結婚しました。ブルターニュ公爵城にあった礼拝堂で結婚式が挙げられました。その後も、アンヌのもとで、公爵城の装飾が進められます。
グラン・ロジの建物のドーマー窓などがこの時代のものです。アンヌの結婚により、ブルターニュ公国がフランス王国の一部に組みこれましたので、この公爵城もフランス王家のものになりました。
16世紀前半、フランス王フランソワ1世はルネサンスの装飾や建物を公爵城に追加しました。フランソワはイタリアからダヴィンチを迎え入れるなど、フランスへのルネサンス文化の導入に貢献した人物です。
16世紀後半、フランスは宗教戦争に突入しました。世界史的な出来事として知られる宗教戦争です。ブルターニュ公爵城はカトリック同盟のメルクール公が支配していました。歴史セクションで説明するように、1598年にはそれまで対立していた国王アンリ4世についに屈服しました。
同年4月、ブルターニュ公爵城で有名なナントの勅令がアンリ4世によって署名されます。かくして、公爵城はフランス宗教戦争を終結させた歴史的な場となりました。ここがブルターニュ公爵城の歴史的なピークといえるでしょう。
17世紀に入っても、ブルターニュ公爵城は王家が時々訪れる重要な場所の一つでした。しかし、次第に用途は宮廷の場から他のものに変わっていきます。中世や近世のヨーロッパでは、城は貴族などの要人の牢獄として使用されることがありました。
ブルターニュ公爵城も同様の用途にあてられました。とはいえ、17世紀後半にはまだルイ14世の滞在地に選ばれるなど、重要性を保持ししていました。古典主義的な装飾なども加えられました。
18世紀以降、公爵城はもはや宮廷ではなく兵舎や牢獄などとして利用されます。18世紀末、フランス革命が起こりました。革命軍はフランス王権の痕跡を消し去ろうとして、様々な記念碑や建築物を破壊しました。
ブルターニュ公爵城もフランス王権の遺物とみなされ、破壊されそうになりました。上述の礼拝堂などは破壊されましたが、公爵城の大部分は破壊を免れました。
その後、公爵城は歴史建造物に指定され、修復されていきました。博物館がここに置かれました。20世紀末に本格的な修復や内部の改装が行われました。現在は城の内部にナント歴史博物館が置かれています。
ナント歴史博物館
ナント歴史博物館では、その名の通り、ナントの歴史に関する展示がみられます。ナントの勅令やナントでの大西洋(奴隷)貿易、ナントの工業化や二度の世界大戦などについて深く知ることができます。ナントは長らくフランスの主要都市の一つでした。そのため、ナントの歴史や文化を知ることでフランスの歴史や文化にも精通することができます。
ナント美術館(Musée d’arts de Nantes)
ナント美術館は19世紀初頭、当時の文化政策の一環で整備された美術館の一つとして誕生しました。
主な展示品は絵画やグラフィックアートです。16世紀イタリアのヴェネチア派や、17世紀ベルギー・バロック美術のルーベンスのような古典的作品があります。19世紀フランスでは、ロマン主義のドラクロワや新古典主義のアングル、写実主義のクールベ、印象派のモネなどの作品が鑑賞できます。また、現代アートにも力を入れており、その所蔵作品数は膨大です。
ナント美術館の紹介動画(画像をクリックすると始まります)
ジュール・ヴェルヌ美術館(Musée Jules Verne)
ジュール・ヴェルヌは19世紀フランスの作家です。
ヴェルヌは産業革命と発明ブームの時代を生きました。蒸気機関車や電信、蓄音機などが次々と発明され、社会や文明に目に見える変化を引き起こしていきました。それらに触発され、ヴェルヌは『海底二万里』や『80日間地球一周』などの代表作を生み出しました。
その内容から、SF小説の父として知られています。SF小説が好きな方なら、ぜひとも訪れたい場所です。また、政治体制が共和政から帝政そして王政へと目まぐるしく変わる当時のフランスについて理解を深めるのにも適した場所です。
ヴェルヌについて、詳しくは「ジュール・ヴェルヌ」の記事を参照。
メゾンデゾム・エ・テクニーク博物館(Maison des hommes et des techniques)
ナントは工業や貿易で発展した都市でもあります。かつての奴隷貿易としての負の側面などは上述の歴史博物館で知ることができます。むしろナントの力強い産業や貿易の発展の側面が知りたい場合には、この博物館がおすすめです。
かつての造船所の敷地内に建設された博物館です。ナントの産業発展に寄与した人々とその発展の過程をつぶさに追うことができます。
サンピエール・エ・サンポール大聖堂(Cathédrale Saint-Pierre et Saint-Paul)
この大聖堂は12使徒の聖ペテロと聖パウロに捧げられた大聖堂で、ナントの主要な教会です。もともとは、6世紀頃、ここに大聖堂が建てられました。しかし、これはノルマン人にナントが支配された9世紀に荒廃しました。その後、12世紀に入り、この大聖堂は再建されました。
15世紀、ブルターニュ公国が権勢を振るっていた頃に、現在の大聖堂の建物が着工されました。ゴシック様式の大聖堂として、17世紀に一通り完成しました。内部には、最後のブルターニュ公フランソワ2世と妻マルグリット・ド・フォワの壮麗な墓があります。
18世紀末のフランス革命では、革命軍は支配地域の教会を閉鎖し、別の用途に転用しました。この大聖堂も同様であり、科学実験や天体観測などのために利用されました。革命の嵐が過ぎ去った後、再び教会として利用されました。
ニ度の世界大戦を耐え抜き、20世紀後半に修復を行いました。21世紀の火災により、再び修復を行っています。
現代の大聖堂の動画(画像をクリックすると始まります)
フランスの都市の歴史と観光
☆リヨン:フランス第3の都市。フランス南東に位置し、絹織物産業や貿易で発展してきました。スイスやイタリアなどと近いため、それらの国との深い交流から様々な影響を受けてきました。世界中の織物作品を集めた稀有な博物館があります。
☆マルセイユ:フランス第2の都市。2500年前からアフリカ西岸や北欧などと貿易を始めた地中海貿易の主要都市です。現在では工業や金融などの面も発展し、フランスを支えています。海外からの移民を長らく受け入れてきたため、フランスでありながらアフリカなどの異国情緒を感じさせる独自の魅力を備えています。
おすすめ参考文献
藤井真理『フランス・インド会社と黒人奴隷貿易 』九州大学出版会, 2001
阿河雄二郎『近世フランス王権と周辺世界 : 王国と帝国のあいだ』刀水書房, 2021
Olivier Pétré-Grenouilleau, Nantes, Palantines, 2003