『アマディス・デ・ガウラ』:時代を動かした騎士道物語

 『アマディス・デ・ガウラ』は1508年にスペイン人のモンタルボが古典版を完成させた騎士道物語の代表的作品。中世と近世では、騎士道物語は大流行していたジャンルであった。本書はセルバンテスの『ドン・キホーテ』に登場するほど大成功を治めた。以下では、その背景や影響も説明する。当時の貴重な表紙も見ることができる。

『アマディス・デ・ガウラ』(Amadís de Gaula)の誕生

 『アマディス・デ・ガウラ』は騎士道物語の代表的な作品の一つである。1350年頃、スペインで書かれた。この最古の版はフランスのアーサー王物語に対抗するかたちで書かれたものである。中世ヨーロッパの騎士道物語はイギリスのアーサー王物語かローマの古典的な物語あるいはフランスのカロリング朝物語の英雄を主人公として扱っていた。

 『アマディス・デ・ガウラ』の最古の版は、若い騎士と英国の王女オリアナの恋物語を描いている。これはアマディスが死に、オリアナが自殺することで幕を閉じる悲劇である。

 『アマディス・デ・ガウラ』がヨーロッパのベストセラーとなるのは16世紀に入ってからである。15世紀末から、スペイン貴族のガルシ・ロドリゲス・デ・モンタルボがこの中世の物語に手を加え始めた。

 1508年、モンタルボ版の『アマディス・デ・ガウラ』を公刊し、これが大成功をおさめた。そのため、『アマディス・デ・ガウラ』はモンタルボ版がいわば標準版とみなされている。

 広範な影響力

 モンタルボ版は150年間でスペインにおいて18版を重ねた。スペインでは別の5人の作家が『アマディス・デ・ガウラ』の続編を公刊した。さらに、モンタルボ版はフランス語やイタリア語、ポルトガル語、英語やオランダ語、ヘブライ語で公刊された。本書の登場人物やエピソードなどは広く大衆に認知された。

 『アマディス・デ・ガウラ』は広く影響を与えた。たとえば、騎士道物語の特徴として、礼儀正しいことや儀礼を重んじること、騎士としての名誉を重視することなどが挙げられる。

 『アマディス・デ・ガウラ』のアマディスは特に理想化された主人公であった。そのため、本書は騎士道だけではなく、宮廷での振る舞いや手紙の書き方などで手本とされるようになった。恋文でのペンネームにも利用された。

 さらに、本書は騎士道精神を鼓吹したため、各地での馬上槍試合などを活発にした。ほかにも、演劇の領域にも入っていった。たとえば、早くも1530年代には、その一部が悲喜劇としてポルトガル王ジョアン3世の前で演じられた。

 以上の大成功は15世紀後半のグーテンベルクの印刷革命に起因するといわれている。この印刷革命によって、短期間での大量印刷が可能になった。実際に、この時期には、たとえばサラゴサにはドイツ系の印刷業者が活動していた。スペインの他の地域でも、初期の活版印刷業者が活動していた。彼らの出版物の中には騎士道物語の著作が含まれていた。

レコンキスタ

 さらに、本書の大成功はスペインのレコンキスタの完了と大航海時代という時代背景にも後押しされた。レコンキスタは再征服を意味する。これは8世紀にイベリア半島にイスラム勢力が進出したのをきっかけとする。

 イスラム勢力に追い出されたスペイ人たちがこれらのイスラム勢力をイベリア半島から追い出そうとする運動がレコンキスタである。これは断続的に行われた。

 12世紀あたりまでに、レコンキスタは一定の成果がえられた。イスラム教徒の最後の都市は、アルハンブラ宮殿で有名な南部のグラナダだった。1492年、スペインがグラナダ攻略に成功し、レコンキスタを完了させた。レコンキスタの参加者は十字軍精神によって鼓舞されていた。神のための騎士を自認する彼らの騎士道物語の愛読者だった。

大航海時代

 同時期に、15世紀初頭から、ヨーロッパは大航海時代に突入した。まずスペインとポルトガルがアフリカ大陸を南下していった。15世紀末、ポルトガルはヴァスコ・ダ・ガマがアフリカ南端の喜望峰を周って念願のインドに到達した。

 1492年、レコンキスタが完了した後、スペインはコロンブスがアフリカから西へ移動してアメリカを「発見」した。その後、スペイン人はアメリカの探検と征服そして植民地化を大々的に開始した。

 レコンキスタとスペイン征服は様々な点で共通性や連続性がみられた。たとえば、その参加者である。レコンキスタの兵士はグラナダ陥落によって、レコンキスタという仕事を失った。彼らは傭兵のようなものだったので、次の働き口を探した。

 グラナダ陥落から間もなく、アメリカの探検と征服という「仕事」が生まれた。そのため、レコンキスタからアメリカの征服へと移動していった。この連続性もあって、アメリカ征服には十字軍精神がみられた。そのため、アメリカへの征服・植民者の精神に『アマディス・デ・ガウラ』は一致し、これに影響を与えた。

 新たな征服地に本書と縁のある名前がつけられることもあった。また、彼らは自身を騎士道物語の主人公に重ね合わせ、未知なるアメリカ大陸の探検に出かけた。ユニコーンなどの伝説上の生物などを追い求めて、アマゾンの深い森林などを踏破していったのである。

 批判とその後

 しかし、16世紀においても『アマディス・デ・ガウラ』は批判を受けていた。そもそも、高貴な女性を助けるために竜を倒すような騎士道物語のジャンル自体が空想的でくだらないという批判を一部から受けていた(ただし、騎士道物語を空想とみなすのが一般的だったというわけはない)。あるいは、ルネサンスの影響を受ける中で、中世的な物語の要素が臨場感を欠くともいわれた。

 スペインでは、16世紀後半には、騎士道物語は人気が下がっていった。セルバンテスの『ドン・キホーテ』では、もはや時代遅れの嘲笑の対象として扱われるようになった。その際に、『アマディス・デ・ガウラ』は騎士道物語の代表的作品として言及された。フランスでは、馬上槍試合でフランス王アンリ2世が死んだため、人気が下がっていった。

 だが、17世紀以降も、『アマディス・デ・ガウラ』の人気が完全に消えたわけではなかった。たとえば、フランスのルイ14世の時代では、演劇作品となった。だが、本作は騎士道物語とともに、文学では評価が低いか無視されることが多かった。

 アマディス・デ・ガウラと縁のある人物

セルバンテス:スペインで騎士道物語の流行のピークを超えた後に、セルバンテスが『ドン・キホーテ』を生み出した。主人公のドン・キホーテ自身が騎士道物語に没頭しており、そこから新しい冒険が始まる。本書が『アマディアス・デ・ガウラ』に新たな生命を与えた。

『アマディス・デ・ガウラ』の表紙

アマディス・デ・ガウラ 利用条件はウェブサイトで確認

おすすめ参考文献

ガルシ・ロドリゲス・デ・モンタルボ『アマディス・デ・ガウラ』岩根圀和訳, 彩流社, 2019

Triplette, Stacey. Chivalry, Reading, and Women’s Culture in Early Modern Spain: From Amadís de Gaula to Don Quixote. Amsterdam University Press, 2018.

Marian Rothstein, Reading in the Renaissance : Amadis de Gaule and the lessons of memory, University of Delaware Press, 1999

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