レルマ公爵:スペイン黄金時代の寵臣

 レルマ公爵はスペインの政治家(1553ー1625)。フェリペ3世の信頼を勝ち取り、宰相に任じられ、17世紀初頭にスペインの実権を握った。イギリスやオランダとの和平・休戦条約締結や、モリスコ追放など行った。さらに、これからみていくように、当時の日本からはるばる太平洋を越えて到来してきたあの使節に応対した。

レルマ公(Duque de Lerma)の生涯

 (のちの)レルマ公はスペインのセビーリャで貴族の家庭に生まれた。本名はフランシスコ・ゴメス・デ・サンドバル・イ・ロハス。叔父のセビーリャ大司教のもとで教育を受けた。レルマ公は宮廷で成功するよう一族で期待され、教育された。

 その叔父の力添えで、レルマ公はスペイン王フェリペ2世に宮廷への出入りを認められた。

 フェリペ3世の宰相へ

 レルマ公は王太子フェリペの好意を得ようと画策した。他の宮廷人も同様だった。王太子はまだ少年であり、そのご機嫌取りの競争が繰り広げられた。
 レルマ公はこの競争に勝ち、王太子フェリペの信頼を得た。他の宮廷人たちはフェリペ2世に働きかけて、レルマ公をどうにか宮廷から追放しようと画策した。だが、失敗した。

 1598年、フェリペ2世が没した。王太子フェリペがフェリペ3世としてスペイン王に即位した。フェリペ3世はフェリペ2世と異なり、あまり自ら統治を行うつもりがなかった。
 フェリペ3世はレルマ公を宰相に選び、実権を委ねた。さらに、1599年、彼にレルマ公爵の身分を与えた。

 レルマ公の政策

 レルマ公はスペイン政治で実権を握った。彼の政策としては、主に二点が知られている。対外的な平和政策と、国内でのムスリム追放である

イギリスとの和平

 対外的には、まず、1604年にイギリスとの戦争を終わらせた。フェリペ2世の時代、スペインはイギリスと戦争を行っていた。1588年のアルマダの海戦が有名であろう。
 だが、状況が次第に変わっていった。上述のように、1598年にはフェリペ2世が没した。1603年には、イギリス女王エリザベス1世が没した。
 スペインは多方面に同時に戦争を行っていたので、戦費の負担が重くのしかかっていた。そこで、1604年、レルマ公はイギリスとロンドン条約を締結し、戦争を終わらせた。

オランダとの休戦条約

 次に、レルマ公はオランダとの戦争もひとまず終わらせた。オランダを含むネーデルラントでは、1568年から、主君のフェリペ2世にたいして反乱を開始した。
 反乱者がネーデルラント北部へ、すなわちオランダに移るようになった。オランダは16世紀末から、独立を目指し始めた。その頃には、戦局が膠着していった。

 17世紀初頭になって、両者が平和条約締結の話し合いを始めた。だが、オランダの宗教などをめぐり、平和条約の条件で折り合うのに成功しなかった。そのため、結局、1609年、12年間の休戦条約が結ばれた。
 両者の戦争はひとまず止んだ。これによって、オランダが事実として独立したといわれることもある。だが、オランダとの戦争は1621年から再開されることになる。

モリスコ追放

 ちょうどその頃、レルマ公は国内でモリスコの追放を本格化した。モリスコはキリスト教に改宗したムーア人である。

 15世紀末以降、スペインでは国内のユダヤ人とムーア人をキリスト教に強制的に改宗させるか追放してきた。
 だが、彼らは改宗させられたのちに、私邸などで旧来の宗教を実践することがあった。彼らの偽装改宗が一因となって、スペイン政府は彼らを異端審問にかけたり追放したりする方策をとってきた。
 また、彼らはスペインの強敵のオスマン帝国と結びついており、スペイン王の臣民として信頼できないと言われることもあった。レルマ公もその流れに属して、モリスコを追放した。

 この追放は、オランダとの休戦条約締結に反対する者たちの不満や怒りの矛先をモリスコにそらすという戦略だったと指摘されることもある。すなわち、モリスコはある種のスケープゴートにされたことになる。

 失脚へ

 レルマ公は実権をにぎって統治を行うかたわら、莫大な財産を蓄えていった。大貴族と同等の収入をえるようになった。スペイン王権の要職を近親者や仲間に配分した。えこひいきの恩顧政治を行っていると批判されることもあった。
 だが、フェリペ3世の信頼を勝ち得ていたので、レルマの政権はなかなか揺らがなかった。

 だが、のちのオリバレス公などがレルマ公と政争を開始した。レルマ公は次第に劣勢に置かれた。それでも、1618年、外交折衝によって教皇パウルス5世から枢機卿に任命された。
 1618年、フェリペ3世が没した。レルマ公は後ろ盾を失い、まもなく、宰相を解任された。バリャドリードに隠居を余儀なくされたが、かつての政敵たちからの追撃を受け続けた。1625年に没した。

 ちなみに、仙台伊達藩の支倉常長率いる慶長遣欧使節がローマに向かう際に、1615年、スペインでフェリペ3世と謁見した。その際に、レルマ公が対応していた。

レルマ公の肖像画

レルマ公 利用条件はウェブサイトにて

おすすめ参考文献

川成洋『スペイン通史』丸善出版、2020

Patrick Williams, The great favourite : the Duke of Lerma and the court and government of Philip III of Spain, 1598-1621, Manchester University Press, 2010

Antonio Feros, Kingship and favoritism in the Spain of Philip III, 1598-1621, Cambridge University Press, 2006

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