リヨン旅行の魅力とは?歴史をふまえて深く紹介

 リヨンはフランス第三の都市です。歴史情緒の豊かな街であるとともに、フランスを経済的に支えてきた主要都市でもあります。街の歴史地区は世界遺産に登録されています。伝統工芸の絹織物はまさにリヨンの歴史を支えてきたものです。そのため、リヨンには絹織物などの工芸美術品にかんする卓越した博物館などがあります。

 以下では、リヨンのおすすめ観光スポットを厳選して紹介します。リヨンの観光の魅力をより深く知りたい、旅行の体験をより面白く豊かなものにしたい。そういった方々に、この記事は最適です。というのも、リヨンの豊かな歴史との関係でそれらの観光スポットを紹介するためです。

19世紀のリヨン

 なお、リヨンの通史については、こちらの記事で紹介しています。さきにそれを知りたい方は、そちらからお読みください。

リヨンの観光スポット6選【2024年版】

 リヨン装飾芸術美術館(Musée Lyonnais des Arts Décoratifs)と織物歴史博物館(Musée Historique des Tissus)

 これら二つの博物館はリヨン商工会議所が運営するもので、相互に密接に結びついています。どちらの博物館もリヨンが織物産業で発展してきたという歴史的経緯に由来しています。

 15世紀なかばから、リヨンは本格的に織物産業を発展させていきます。その後長らく、フランスあるいはヨーロッパでも屈指の織物産業の都市となりました。たとえば、18世紀には、ラ・サールなどの織物職人が芸術的価値の高い織物作品を制作しています。

ラ・サールの作品(ただし、別の博物館が所蔵)

 19世紀には、リヨン出身のジャカールによってジャカード織機が発明されます。これによって、リヨンは再び織物産業で繁栄の時代を築きます。しかし、19世紀なかばのロンドン万博では、リヨンの織物製品は望んだような高い評価を得られませんでした。

 そのため、リヨン商工会議所はリヨン職人の技術革新や教育のために、古今東西の優れた織物製品を収集することにしたのです。このコレクションは様々な作品の購入や寄贈などによって豊かになり、今日の博物館へとつながっていきました。

出典:Mécanique Jacquard, Bibliothèque municipale de Lyon | Numelyo, P0546 S 3207

 今日の織物博物館のコレクションは、世界でもトップクラスの質と量を誇っています。上述のような歴史的背景をもったリヨンだからこそといえるでしょう。また、優れた織物製品には優れたデザインが不可欠です。

 装飾芸術美術館では優れたデザインの食器や家具などを鑑賞できます。二つの博物館は隣接しています。リヨンの伝統工芸と世界の優れた工芸作品を鑑賞するのにうってつけの場所です。

 サン・ジャン大聖堂(Cathédrale Saint-Jean)

 サン・ジャン大聖堂はリヨンの教会の中でも中心的な役割を果たしてきた教会です。建設は12世紀後半に始まりました。ロマネスク様式とゴシック様式を組み合わせたものです。教会の建設が進む中、 1245年と 1274年には、カトリック教会のリヨン公会議の会場として利用されました。

 14世紀、教皇庁の本拠地がローマからアヴィニョンに移った後、教皇ヨハネ22世の戴冠式がこの大聖堂で催されました。それほど、中世カトリック教会の重要な場として機能しました。大聖堂の建物は15世紀後半にようやく一通り完成しました。ファサードでは、聖書の諸場面を表す装飾がほどこされました。

 しかし、16世紀後半、サン・ジャン大聖堂はフランス宗教戦争の影響を受けます。プロテスタント軍がリヨンに攻め込み、諸教会の聖像や建物に大きな被害をもたらしました。

 16世紀末、この宗教戦争はフランス王アンリ4世によるナントの勅令でようやく終わりました。アンリ4世は周辺国との関係を安定化させるために、トスカーナのマリー・ド・メディシスと結婚します。1600年、この結婚を記念したミサがサン・ジャン大聖堂で催されました。

17世紀のサン・ジャン大聖堂

17世紀のサン・ジャン大聖堂 利用条件はウェブサイトで確認

 18世紀末のフランス革命でも、サン・ジャン大聖堂は一定の被害を受けました。それでも修復と復元を経て、現在の姿を保持しています。最も古いバラのステンドグラスは12世紀のもので、これらの被害を免れてきました。

 また、大聖堂には、14世紀に製造された天文時計が備え付けられています。この種の時計としては、フランスでも最古のものです。一日に四回、聖母の受胎告知にかんするショーが繰り広げられます。

 現在のサン・ジャン大聖堂(画像をクリックすると始まります)

 リヨン美術館(Musée des Beaux-Arts de Lyon)

 リヨン美術館にはリヨンの芸術家の作品のみならず、世界各国の優れた作品が展示されています。絵画では、フランスのドラクロワやクールベ、印象派やマネとゴーギャン、ヴェネチア派のティントレットやヴェロネーゼ、ドイツのクラーナハ、ベルギーのルーベンス、スペインのスルバランなどです。

 彫刻作品や記念硬貨、古代エジプトの発掘品など、コレクションは幅広いです。日本の江戸時代の茶器もあります。きっとなにかしら興味を惹く作品に出会えるでしょう。

 この美術館自体は1801年に誕生したもので、当時のフランスの文化政策の一環で設立されました。美術館の建物はかつての教会や修道院であり、由緒あるものです。

リヨン美術館の紹介動画

 ベルクール広場(Place Bellecour)

 ベルクール広場はリヨンの中心に位置する広場です。この広場の名前の由来は、12世紀頃にこの付近がベッラ・クルティス(美しい庭園)と呼ばれていたことにあります。しかし、この時代には、この場所はまだ牧草地であり、公共空間としての広場ではありませんでした。その後も開かれた土地として別の用途に利用されました。

 転機となったのはルイ14世の時代です。17世紀後半、ルイ14世はフランス絶対王政を確立していきます。その一環として、自身の権威を貴族から民衆まですべてのフランス人に受け入れさせようとしました。1658年、彼はリヨンを訪れた際に、この開かれた土地に自身の騎馬像を設置しようと決めました。

 かくして、この土地は公共の広場として整備されていきます。広場は「ルイ大王広場」と名付けられ、その中心にはルイ14世の騎馬像が設置されました。広場の周囲には優れた建物が建てられ、広場にはファサードもつけられました。リヨンの様々な行事が行われる中心地となりました。

17世紀のベルクール広場

17世紀のベルクール広場 利用条件はウェブサイトで確認

 1789年、フランス革命が起こります。1792年にはフランス国王ルイ16世が革命派の議会によって処刑されました。翌年、このリヨンの広場からルイ14世の像が撤去されました。広場自体がこの混乱の時代に荒廃しました。

 しかし、ナポレオンが実権を握ると、この広場を再建しました。1814年の王政復古後、1825年にはルイ14世の像が新たにつくられ、設置されました。

 この時期、リヨンは経済的な繁栄を取り戻しました。都市の再開発が進んでいきます。その過程で、この広場は街の中心地となりました。

 19世紀後半、現在のベルクール広場という名前になりました。ただ単に地理的な中心にあるというだけでなく、これまでのように様々な行事の行われる街の中心の広場だといえます。310メートル☓200メートルの大きな広場です。ルイ14世の騎馬像以外にも、サンテクジュペリの像などもあります。

現在のベルクール広場(画像をクリックすると始まります)

 サン・ニジエ教会(Église Saint-Nizier)

 サン・ニジエ教会の起源については明確なことがわかっていません。古代ローマのキリスト教がリヨンで迫害された時代と関連付けられることもあります。他にも様々な伝承が存在します。

 しかし、歴史学的に明確なのは、少なくとも14世紀には現在のニジエ教会の建設が始まったということです。おそらくその頃には、この教会にはかつてのリヨン司教たちの墓があったようです。

 15世紀に入り、教会には鐘楼が建てられました。これは現在の北塔に該当します。教会内部の修復と増築が進んでいきます。しかし、16世紀なかば、リヨンの諸教会は大きな打撃を受けました。

 当時勃発したフランス宗教戦争により、プロテスタント軍がこれらの教会を襲い、略奪を行ったのです。嵐が去った後、サンニジエ教会の建設が再開されました。ファサードや南塔の建設が始まりました。

16世紀のサン・ニジエ教会

16世紀のサン・ニジエ教会 利用条件はウェブサイトで確認

 18世紀末、フランス革命が起こりました。革命軍と王党軍の戦いにより、ニジエ教会は大きな被害を受けました。革命軍がリヨンの諸教会を占拠しました。彼らは教会の建物を別の用途に転用しようとしました。しかし、19世紀初頭に、教会としての活動が再開されました。

 19世紀、サン・ニジエ教会は大規模な修復を行いました。同時に、聖具室などを増築します。ようやく南塔とファサードが完成し、ステンドグラスの窓がつけられました。サン・ニジエ教会は一通りの完成を迎えたのでした。このように、フランスの激動の時代の影響をまともに受けた歴史的空間だといえます。

 ガロ・ロマン文明博物館(Musée de la Civilisation Gallo-Romaine)

 「ガロ・ロマン」とは、(古代の)ガリア・ローマという意味です。紀元前40年頃、この博物館のある場所に古代ローマが植民都市リヨンを建設しました。そのため、この場所は都市リヨンの発祥の地です。

 当時、リヨンのあるフランスなどの地域はガリアと呼ばれていました。そのため、この博物館では古代ローマとガリアの考古学的な品々を展示しています。当時の彫刻や碑文、ブロンズ像や硬貨などが展示されています。

 この博物館に特徴的なのは、古代の遺跡が再建されていることです。もともと、この博物館の場所には劇場が建てられていました。これは中世には放棄され、ローマのコロッセオと同様に、採石場になってしまいます。とはいえ、この石はサン・ジャン大聖堂の建設に使われることにもなりましたが。

 20世紀に入り、リヨン市はこの場所の遺跡発掘を進め、劇場をかつての形のように再建したのです。そのため、リヨンの古代の姿を部分的にであれ追体験できます。また、この劇場では、古代に関するブックフェアやコンサートなども開催されています。パリ・オリンピックに合わせて、古代のオリンピアに関連する企画も行われます。

ガロ・ロマン博物館と劇場(画像をクリックすると始まります)

 フランスの都市の歴史と観光

マルセイユ:フランス第2の都市。2500年前からアフリカ西岸や北欧などと貿易を始めた地中海貿易の主要都市です。現在では工業や金融などの面も発展し、フランスを支えています。海外からの移民を長らく受け入れてきたため、フランスでありながらアフリカなどの異国情緒を感じさせる独自の魅力を備えています。

ナント:フランス北西部のブルターニュ地方の主要都市。ブルターニュ公爵の城があり、ここでは世界史で有名なナントの勅令が出されました。フランスの歴史にとって決

おすすめ参考文献

小山啓子『フランス・ルネサンス王政と都市社会 : リヨンを中心として』九州大学出版会, 2006

宮下志朗『本の都市リヨン 』晶文社, 1989

André Pelletier, Histoire de Lyon : des origines à nos jours, Editions lyonnaises d’art et d’histoire, 2007

André Latreille, Histoire de Lyon et du Lyonnais, Privat, 1988

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