パスカル

 ブレーズ・パスカルはフランスの哲学者で数学者(1623ー1662 )。数学では、現代の確率論の基礎づけや気圧理論に貢献した。哲学では『 パンセ』が有名である。「人間は考える葦である」はパスカルの格言である。晩年は宗教思想に没頭した。当時のフランスでのヤンセニズムへの弾圧にたいし、ヤンセニズムの信奉者として立ち向かった。

パスカルの生涯

 ブレーズ・パスカル(Blaise Pascal)はフランスのクレルモン・フェランで学者の家庭に生まれた。母を早くに亡くし、一家はパリに移った。パスカルは幼少期から健康状態が悪かったため、過程で教育を受けた。

 父は数学者であったので、古典言語や数学を彼に学ばせた。神学や哲学はあまり学ばせなかった。その結果、パスカルは学才をとくに数学の分野で開花させた。16歳で『円錐曲線試論』を著し、早くも名声をえた。

 1640年、一家はルーアンに移った。父はその地で徴税官をつとめた。パスカルは父の職務に役立つよう計算機を発明した。1645年、パスカルはこれを宰相に献上し、名を高めた。

 宗教的回心

 1646年、パスカルは宗教的回心を経験した。この年、ポール・ロワイヤル修道院の影響を受けたためだった。この修道院は当時フランスに広まりつつあったヤンセニズム(ジャンセニスム )を採用し、その普及につとめていた。

 パスカルの父が大怪我をした際に、ヤンセンの影響下にあったデシャン兄弟が看護のためにパスカルの邸を訪れた。パスカルは彼らを通してヤンセニズムに惹かれ、受け入れるようになった。

 ヤンセニズムはネーデルラント生まれのカトリックの神学者ヤンセンに由来する宗教運動である。もともとは、神の絶対性と人間の無力さを強調するアウグスティヌス主義的なヤンセンの宗教思想を中心とするフランスでの運動を意味した。

 パスカルが賛同するのもこの時期である。ただし、18世紀には、これはフランス王権に批判的な政治的な運動や勢力に発展していく。そのため、フランス史で重要視されている。

 気圧理論への貢献

 同年、パスカルはガリレオとトリチェリの気圧に関する理論を実験で試し、成功した。これをもとに、1647年に、『真空についての新実験』を公にした。これも彼の名声を高めた。同年、フランスの哲学者デカルトと会い、科学実験について語り合った。

 パスカルはその後も気圧や気圧計に関する実験と考察を行い、流体力学の「パスカルの原理」を導くに至る。これらの貢献により、パスカルの名前は気圧に関する単位となる(980ヘクトパスカル、など)。

 パスカルは貴族や文人などと交流を広くもつようになった。これは彼の世俗の時代と呼ばれている。その頃に、賭け事をきっかけに確率論的な考察も行った。ピエール・フェルマーと確率論について文通を死た。

 再び、宗教的回心

 次第に、パスカルはもとの禁欲主義に回帰するようになった。1654年、パスカルの妹がポート・ロワイヤル神修道院で尼僧となった。また、パスカル自身も神秘的体験をし、再び宗教的な回心をした。

 パスカルは自然科学の知識が空虚なものと感じるようになり、科学的関心が後景に退いた。1655年、ポール・ロワイヤルに入り、厳格な禁欲主義的生活を始めた。

ポール・ロワイヤルの危機

 その頃、ヤンセニズムを信奉し普及させていたポール・ロワイヤルはイエズス会と激しく対立するようになり、危機を迎えていた。その背景は次の通りである。

 そもそも、1640年、ヤンセンの『アウグスティヌス』が公刊された。そこでは、神の絶対性と人間の無力さを強調する宗教思想が展開された。カトリックのイエズス会によって厳しい批判を受けた。

 イエズス会はローマ教皇庁に働きかけ、ヤンセンを異端として断罪しようとした。1653年、教皇庁はそこに異端的な5つの命題が含まれると宣言した。フランスの司教たちも教皇庁を支持した。だが、ヤンセニストの法服貴族たちは反発した。

 ポール・ロワイヤルは神学者アルノーをリーダーとして、この問題に立ち向かった。アルノーはローマに向かい、教皇庁で自身の立場を説明した。

 彼は教皇庁には5命題を非難する権利があると認めた。だが、その5命題がそもそも『アウグスティヌス』に含まれているかについては、言及を避けた。

パスカルの擁護

 このような中で、パスカルは『プロヴァンシャル』を匿名で公刊した。アルノーを擁護し、イエズス会批判を強めた。本書が成功し、ポール・ロワイヤルは一定の聴衆の支持を得た。また、この時期に、様々な思索をノートにまとめるようになっていた。これが死後に『パンセ』として公刊されることになる。

 教皇庁はフランス王権などとともに、ヤンセニズムへの攻撃を強めた。5命題を異端とする教皇庁の決定をうけいれるようフランスの聖職者たちに求めたのだ。

 パスカルらはヤンセニズムを異端として誓絶するよう求められたが、拒否した。対立が深まる中、1662年、病没した。

 パスカル自身が公刊した著作は、『真空についての新実験』と『プロヴァンシャル』だけである。それ以外はすべての草稿のかたちで残され、死後に他者の手で編集され、公刊された。

パスカルの肖像画

パスカル 利用条件はウェブサイトにて

パスカルの主な著作・作品

『真空についての新実験』(1647)

『プロヴァンシアル』(1656–1657)
『パンセ』(1670)

おすすめ参考文献

フィリップ・セリエ『パスカルと聖アウグスティヌス』道躰滋穂子訳, 法政大学出版局, 2021

小松攝郎『パスカル』清水書院, 2016

Pierre Lyraud, Blaise Pascal : ou l’épreuve de la vérité, Presses universitaires Blaise Pascal, 2023

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