『国家』は古代ギリシャの著名な哲学者プラトンの主著の一つ。西洋の古典の中でも特に有名なものの一つといえる。この記事では、その内容の中核と有名な部分を要約的に説明する。
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プラトンの『国家』とは
本書は10巻で構成されており、プラトンの数多の著作の中で大作に属する。その主題は正しさや正義である。本書の一番の狙いは人の正しさである。とはいえ、人の魂の正しさを直接的にみようとするのは難しい。
そのため、プラトンは人よりも大きな国家の正しさを考察することで、人の正しさの考察につなげようとする。よって、本書は国家と人の正しさについて主に論じている。
正しさ・正義をめぐる問いの始まり
現在からおよそ2400年ほど前の古代ギリシャでも、正義や正しさについては様々な意見が存在していた。たとえば、正義とは、実質的には強者が弱者をうまく服従させるために使用する美辞麗句にすぎないという意見もあった(これは現代もみられる意見ではある)。様々な意見を聞いた上で、プラトンは正義にかんする自らの考えを示す。
国家における正しさ
国家における正義は、国家のそれぞれの構成要素が自身の役割を果たし、全体として調和した状態である。それぞれの構成要素は三つの階層に区別される。守護者と補助者そして生産者である。
守護者は知恵に長けた人々であり、理性に基づいて、真理を追求する。補助者は気概の優れた人々であり、勇気のもとで行動する。生産者は様々なものを生産するが、食欲などの様々な欲求や衝動に駆り立てられている。
それぞれの役割はこうである。守護者は支配者として国の統治を担当する。補助者は戦士として守護者を支え、必要に応じて武力を使って国を守るなどする。生産者は具体的には農民や職人などであり、守護者と補助者のもとで生活必需品などを生産する。
これら三つの階層がこのような支配関係のもとで、それぞれの役割だけを果たす。そうすることで社会は調和する。このようなときに、国家の正義が実現される。
反対に、この調和が保たれないなら、その分だけ正義から遠ざかる。たとえば、生産者が統治を担当する場合である。本来ならば、生産者の役割は統治ではなく生産である。しかも、統治を行うことによって、補助者たる戦士階級よりも上にきてしまう。本来ならば、生産者階級は戦士階級の下になければならない。
よって、秩序や調和が崩れている。国家の正義が成立するためには、それぞれの階級が自身の役割だけを果たし、それ以外の役割に関与してはならない。同時に、守護者>補助者>生産者の支配関係を維持しなければならない。
人の正しさ
国家の正しさにかんする説明は、各々の人間の正しさに関する説明に転用される。プラトンは人間の魂が理性的部分と気概的部分そして欲情的部分の三つによって構成されるという。
理性的部分は知をつかさどり、真理を追い求める。気概的部分は、名誉を欲し、勇気を発揮し、怒りの感情をつかさどる。欲情的な部分は食欲などのあらゆる欲求の部分である。
国家における守護者は人間の魂における理性的部分に対応する。補助者は気概的部分に、生産者は欲情的部分に対応する。理性的部分が気概的部分に支えられながら欲情的部分を支配し、それぞれの部分がそれぞれのなすべきことのみを行う。そのようなときに、各人の魂は正しい状態にある。
政体の理論
このような正しさに関する議論の一環で、政体の変遷の理論が提示される。政体は政治体制のことであり、具体的には民主制や王制などを指す。プラトンは理想的な政体から民主制や専制のような劣った政体へと、どのような原因で移行してくのかを論じる。
そのなかで、プラトンが民主制を最悪の一歩手前の政体として厳しく評価したことは有名である。特に、民主制がうまく機能していないと嘆かれる今日では、プラトンの批判はときとして参照される。プラトンがどのような理由で厳しく評価したのかは、ぜひ原著で確かめたいところだ。
哲人王の政治
本書では、プラトンは哲学者が王となる哲人王の政治を理想として提示している。これもまた本書の有名な部分である。哲人王とはどのような人物か。その説明において、線分や洞窟そして太陽の比喩という有名な比喩が用いられる。
プラトンはこの世界を二つに区別した。目に見える感覚界と、思考によってのみ認識できる英知界である。この世界の事物は、感覚界と英知界に対応して、可視的側面と可思惟的側面をもつ。事物の可視的側面を認識するほうが可思惟的側面を認識するより容易である。
人が知覚によって可視的側面を認識した場合の例としては、りんごの赤さが挙げられる。可思惟的側面の例としては、その赤さのイデアや形相が挙げられる。イデアは英単語の「アイデア」の原語である。
哲学者は哲人王となるために、感覚界を認識できるだけでなく、英知界を認識できるようにならなければならない。最終的には、善のイデアを認識できるようになるべきとされる。善のイデアはあらゆるイデアの中でも特別なものである。他のあらゆるイデアや形相の源であり、真理や美の源泉である。
洞窟と太陽の比喩
哲学者が感覚界の認識から善のイデアの認識に至る過程を示したのが洞窟の比喩である。当初、人の状態とは洞窟の中にいる囚人のようなものだ。しかも、洞窟の奥の方を向くよう物理的に強制されている。囚人の前には壁がある。囚人の後ろにはかがり火が焚かれている。
さらに、人や動物などが通る。そのため、囚人の前の壁には、人や動物の影がうつる。囚人はその影しか見たことがないので、その影が人や動物の本体だと勘違いする。影は影でしかないにもかかわらず、真に存在するのは人や動物ではなく影のほうだと思っている。
哲学者は教育を受けることで、この状態から脱する。もはや影が影でしかないことに気づく。徐々に明るさに目が慣れてきたら、洞窟の外に出る。外には太陽が照っている。この太陽が善のイデアである。
最初、太陽は眩しすぎて直視することはできない。だが、最終的には、哲学者は太陽をも認識する。哲学者のこのような成長が洞窟の比喩で語られている。
ちなみに、太陽の存在を知った哲学者は洞窟の中に戻り、同胞たちにそのことを知らせる。洞窟の壁面に映るのは影でしかなく、外に太陽がある、と。そのときの同胞たちの反応もまた有名である。原著でたしかめておきたいところだ。
正義はそれ自体でよいもの
以上のように、プラトンは国家や人の正義を本書で論じてきた。さらに、プラトンは正義がそれ自体で望ましいものであり、よいものだと論じる。たとえば、正義が魂に健康や幸福などをもたらすと述べる。より根源的な理由としては、正義が善のイデアと結びついている点にある。
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おすすめ参考文献
納富信留『プラトンが語る正義と国家』ビジネス社, 2024
著者の納富信留氏は日本で古代ギリシャ哲学の研究を長年牽引してきた専門家である。プラトンの研究でも世界的に功績を認められ、国際プラトン学会の会長をつとめたこともある。本書はそのような日本を代表するプラトンのベテラン専門家による著作である。
本書は一般向けに書かれた本である。『国家』の読解に特化したものであり、2024年の最である。『国家』のみならず、古典的著作を読むのに適した入門書として、これほど一般向けにおすすめしやすい本もなかなかない。
特定の古典書に特化した入門書であり、近年書かれたものであり、世界的に認められた第一級のベテランの専門家によるものだからである。『国家』の入門書としては、まず第一に本書をおすすめする。
納富信留『プラトン理想国の現在』筑摩書房, 2023
本書も同一の著者による近年の作品。ちくま学芸文庫に属するので、一般向けでもあり、価格もお手頃だ。
本書では、明治時代以降の日本において、『国家』がどのように影響を与えてきたかを知ることができる。日本史にも興味がある人なら、ぜひとも知っておきたいところだ。
そのうえで、本書が現在や未来にとってどのように役に立てるかが考察されている。古代ギリシャの専門家によって、2400年ほど前の古典が現代に活かされる一つの実例である。このような試みは珍しい方なので、貴重である。
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