トゥキディデス :古代ギリシャの歴史学

 トゥキディデスは古代ギリシャの歴史家(紀元前460年頃 ー400年頃)。ヘロドトスとともに、古代ギリシャの代表的な歴史家の一人として知られる。主著には、ペロポネソス戦争に関する『戦史』がある。トゥキディデスは自らこの戦争に参加した後に、その歴史書を書いた。後代に大きな影響力をもった。

トゥキディデス(Thucydides)の生涯

 トゥキディデス(ツキジデス)はアテネの貴族の家に生まれた。彼の一族はトラキア地方に所領があった。

 ペロポネソス戦争への参加:アテネの将軍として

 紀元前431年、アテネとスパルタがペロポネソス戦争を開始した。この時期、古代ギリシャの諸都市の中で、アテネが勢力を拡大していた。周辺都市の存続を脅かすまでになった。当時のギリシャの強大な都市国家のスパルタもまた、アテネに脅威を感じ始めた。

 スパルタの同盟都市もまた同様だった。そこでついに、紀元前431年、スパルタがアテネの勢力を抑え込むために、アテネに攻撃を開始した。
 かくして、ペロポネソス戦争が開始された。スパルタは強大な陸軍を、アテネはペリクレスが率いる強大な海軍を駆使して戦った。
 紀元前424年、トゥキディデスはアテネの将軍に任命された。アンフィポリスを救援するために出動した。なお、アンフィポリスは彼自身の一族のトラキア地方にあるアテネの植民地だった。
 だが、トゥキディデスはこの救援作戦に失敗した。責任をとるかたちで、アテネから追放された。そこで、トラキアの所領へ移った。

 歴史家として

 トゥキディデスはこの戦争が始まった当初から、戦争に関する情報を収集し始めていた。上述のように追放処分を受けたあとも、引き続き情報を収集した。そのために、ギリシャ各地を歴訪した。

 その間も戦争は続いた。途中で一時的に和平が成立した。その後、アテネが大規模なシチリア遠征に失敗した。スパルタはこれをチャンスとみて、
 アテネへの攻勢を強めた。アテネでは内部対立が生じ、混乱がうまれた。ついに、紀元前404年、アテネの敗北で戦争は終わった。

 戦争の終結後、トゥキディデスは追放処分を解除された。アテネに戻り、そこで『戦史』の著述に打ち込み、没した。

『戦史』(『歴史』)の内容

 トゥキディデスは本書において、ペロポネソス戦争という特定の戦争を再構築することによって、戦争そのものに関する普遍的な意義を明らかにしようとする。彼は普遍的なものが特殊な出来事を通して理解されなければならないという。

 同時に、特殊な出来事そのものは、普遍的なものに照らして初めて真に理解できるともいう。 特殊な出来事の連鎖を通して、一般的なものや普遍的なものを導出しようとする。

 よって、ペロポネソス戦争という木を戦争一般という森とともに理解しようとする。ペロポネソス戦争を題材に選んだのは、この戦争がそれに先立つすべての戦争よりも説明する価値があるからだとされている。

トゥキディデスの着眼点

 本書において、特にトゥキディデスが着目するのは人間の自然本性である。人間の具体的な行いと発言を通して、人間の一般的ないし典型的なあり方を明らかにしようとする。
 その際に、トゥキディデスは行いについてはより正確に記述するが、演説などの発言については事実に忠実でありながらも必要に応じて自ら内容を追加したという。
 トゥキディデスの分析は特に人間の内面に光を当てている。個々人の内面を描き出す。

 同時に、トゥキディデスはペロポネソス戦争をアテナイとスパルタの二項対立の物語として紡ぎ出す。厳格で保守的なスパルタ人と進取の気性に富むアテナイ人の二項対立である。

 このような気質をもつ二つの都市国家がいかに戦争に踏み込み、展開するかが論じられる。たとえば、戦争のきっかけについていえば、スパルタはアテナイの実力の増大にたいする恐怖によって、アテナイは名誉によって、互いに譲れず、戦争に突入したとされる。

歴史学者として

 トゥキディデスは本書において事実を重視するスタンスを示している。かつては、ホメロスのような詩人が歴史を物語った。しかし、トゥキディデスは詩人のようには描かないという。

 詩人は事実を歪曲し、誇張し、神話に頼ることで、聴衆を喜ばせる。 それに対して、トゥキュディデスは人間の真実を知りたいと願う者に、それを明らかにしようとしている、と論じる。

『戦史』におけるペリクレス

 本書の内容にかんして、当時のアテネの代表的な政治家のペリクレスはどのように扱われているか。この点を少しみてみよう。
 トゥキディデスはペリクレスをアテネの傑出した合理主義的政治家として扱う。トゥキディデスはペリクレスを当時のアテネで最も言行において卓越した人物として描く。
 たとえば、ペロポネソス戦争以前の平和な時期では、ペリクレスは思慮深く安全な政策を遂行した。その結果、この期間にアテネはこれまでで最大の力を構築することができた。
 ペリクレスはアテネ全体の代弁者として、スパルタと渡り合う人物として描かれている。たとえば、ペロポネソス戦争の開戦をめぐる対立で、ペリクレスは活躍している。
 開戦が差し迫った頃、ペリクレスはアテネで演説をした。トゥキディデスが再現した演説によれば、ペリクレスはスパルタの不正をこう訴える。

 スパルタはアテネの勢力を弱めるために陰謀を仕掛けてきている。旧来の条約では、仲裁によって対立を解決すべきとされる。アテネは仲裁を求めたが、スパルタは拒否した。スパルタは戦争を欲しているのだ。スパルタは不正な戦争を仕掛けようとしている。

 スパルタは使節を派遣してさらにアテネを弱体化させようと工作している。アテネはこの工作に屈してはならない。不正な侵略に負けたといわれないために、この名誉のために、スパルタの要求には抵抗が必要である、と。
 このように、ペリクレスは『戦史』においても、アテネの中心的人物の一人であった。

 トゥキディデスの評価

 『戦史』は、テーマを政治と軍事に絞り、編年体で書かれている。アテネから追放された立場を利用した公平な態度や、史料批判などで優れていると評価されている。ただし、記述が紀元前411年までしかなされていないので、未完である。
 本書によって、トゥキディデスはヘロドトスとともに、古代ギリシャの代表的な歴史家として知られている。

リアリストという評価

 トゥキディデスは現代の国際政治学ではリアリズム(国際政治を権力政治の場と解釈する立場)の論者として捉えられている。
 トゥキディデスはアテナイの力の増大がスパルタの恐怖心を刺激し、ペロポネソス戦争を不可避にしたと論じているためである。トゥキディデスは戦争の因果関係に関心をもつと考えられてきた。
 これについて、批判的な見方もある。たとえば、トゥキディデスは必然性にかんする議論をしているが、その大部分が心理学的なものであり、科学的な因果関係とは結びついていないと指摘されている。

 そもそも、トゥキディデスは科学的な因果関係の解明を著書の目的としていない。とはいえ、トゥキディデスが勢力の均衡について論じているのはたしかでもある。

トゥキディデスの罠

 リアリストとしてのトゥキディデスの評価の派生として、近年、「トゥキディデスの罠」という用語もつくられた。これはアメリカの政治学者のグラハム・アリソンによるものである。

 上述のように、トゥキディデスはアテネの台頭がスパルタに恐怖を与え、そこから戦争が生じたと述べていた。アリソンはこの有名な一文に着目して、トゥキディデスの罠という用語をつくった。
 すなわち、トゥキュディデスの罠とは、既存の覇権的勢力が台頭する覇権的勢力の脅威にさらされたときに生じる自然的で避けがたい困惑である。

 既存の覇権的勢力(スパルタ)は新興の覇権的勢力(アテネ)の台頭を脅威と感じて大いに当惑した。この構造的なストレスによって、両者の武力衝突は例外的というよりも通常の状態となってしまう。このような歴史的傾向があるとアリソンは論じている。
 上述のように、トゥキディデスは『戦史』に置いて、アテネやスパルタの心理面に着目して戦争の開始と展開を描いた。

 アリソンもまた当事国の心理面に着目して、新興の大国が現在の支配的な大国に与える大きなストレスが両者の武力衝突そして戦争を引き起こしやすいと指摘している。アリソン自身はこれを新たな大国の中国と現在の大国のアメリカの関係に適用している。

ツキジデスの肖像画

ツキジデス 利用条件はウェブサイトで確認

おすすめ参考文献

トゥキュディデス『歴史』 小西晴雄訳, 筑摩書房, 2013

S.N. Jaffe, Thucydides on the outbreak of war : character and contest, Oxford University Press, 2017

P.J. Rhodes, Thucydides, Bloomsbury Academic, 2015

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