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夏目漱石の「現代日本の開化」の要約:明治以後の日本のなにが問題だったのか

 この記事では、夏目漱石の「現代日本の開化」を要約しながら紹介する。

 1911年、夏目は和歌山で「現代日本の開化」の題目で講演を行った。漱石はこの時期には、松山や熊本での教師生活を終え、イギリス留学を経験し、『坊っちゃん』や『 吾輩は猫である』そして『それから』などの名作を世に送り出していた。すでに
 傑出した文化人となっていた漱石は1910年代に社会批評も行うようになった。「現代日本の開化」はその代表的なものの一つである。

 この講演の前半で、夏目は「開化」とは何かを論じる。後半で、現代日本の開化の性質と問題点を論じる。すなわち、現代日本の開化が外発的なものであり、そのため様々な心理的問題を引き起こしていることを論じる。最後に、その解決策に触れている。

講演の内容

「開化」とはなにか

 そもそも、開化とはなにか。開化とは、社会の発展である。あるいは、そのような発展した状態である。
 ここで、開化にかんして、夏目はこう説明をする。開化とは、人間が自身のエネルギーを使うことで生じた社会の発展である。このエネルギーの使用が鍵となる。
 夏目は人が次のような仕方で開化してきたと説明する。それぞれの社会において、人は外部から様々な刺激を受ける。それは冬の寒さのような刺激かもしれない。あるいは、外国からの戦争という刺激かもしれない。
 人はそれらの刺激に対応するために、自身のエネルギーあるいは活力を使用して、行動する。たとえば、冬の寒さにたいしては、より暖かい家をつくろうとする。
 そのような行動が蓄積された結果、その社会では様々な面で発展が生じる。このような社会の一連の発展が開化である。あるいは、その発展した状態が開化である。 

 二種類の開化の仕方

 夏目によれば、人が好きなことあるいは嫌いなことのためにエネルギーを使用することで、開化は進んできた。エネルギーの使用が好きなことのためか、あるいは嫌いなことのためか。この区別が重要である。

開化の積極的な仕方

 人が好きなことのためにエネルギーを積極的に利用することで、開化が進む。どのよゆにしてか。
 この場合、人は自ら進んで活力ないしエネルギーを消費して行い、快を得ることになる。その内容はビリヤードでも囲碁・将棋でもよい。あるいは絵描きや学問でもよい。夏目はこれらの好きなことをまとめて「道楽」と表現している。
 たとえば、学問が好きな人ならば、学問を究めようとして積極的にエネルギーを使って、本をたくさん読む。思考を深め、自説を構築する。その結果、その人自身は愉しさや満足感を得る。さらに、学問という面において、社会が発展する。このようにして、開化が進む。
 開化が進むほどに、道楽のための贅沢なものが増えていく。たとえば、観光地で高いところから景色を見たいがために設けられたエレベーターがそうである。道楽を推し進めることで、人間の活動はより深く広く進んでいく。
 このように、人は道楽のために積極的にエネルギーや活力を用いて行動する。その結果、その人自身は快を得て、社会は発展し、すなわち開化が進む。

開化の消極的な仕方

 人はやりたくないことや嫌いなことを行う際に、エネルギーをできる省略しようとする。その結果、開化が進んできた。これをより詳しくみてみよう。
 典型的な例は、外部から義務という刺激を受けた場合だ。やりたくないことを他人から義務として課せられるような場合だ。
 この場合、できることならそもそもやりたくないと思うものだ。だが、義務なのでやらなければならない。せめてやるにしても、できるだけ活力を使わず、楽にすませたい。
 そのような省力的で効率的で節約の精神がこの消極的なタイプである。この精神を持つから、人は自身のエネルギーを節約するために工夫を行うようになる。これが開化の一大原動力となる。
 たとえば、汽車や自動車、電話や電信などがそうである。これらは移動や連絡を楽にすませたいという横着心から生まれた工夫の産物である。あるいは、生きるために必要な仕事をする際にできるだけ楽をしようとして生み出されたものである。かくして、時間や距離を縮め、手数を省く手段が生み出された。
 このように、消極的な運動において、人は自身のエネルギーを節約しようとして、工夫する。その結果、社会がその方面において発展し、開化が進む。
 以上のように、積極的なエネルギー使用と消極的なエネルギー節約の二つの精神によって、社会は発展し、開化ができあがってきた。

 開化の矛盾

 ここで、夏目はある種の矛盾を指摘する。人間は道楽を進んで行いたい精神と嫌なこと・必要なことでは楽をしたい精神とでこれまで進み、結果として開化してきた。それならば、開化した時代の生活は昔より楽になっているはずだ。

 ところが、実際にはそうなっていない、と夏目は指摘する。昔の人と比べて、現在の我々の生活は苦痛という点で全くよくなっていない。それどころか、開化が進めば進むほど、生活は一層困難なものになってきたように思われる。
 たしかに、積極的な精神と消極的な精神によって、生活の程度は昔より高くなった。だが、幸福度あるいは不幸度はどうか。悪化している。
 その原因は競争にある、と夏目は指摘する。開化が進むごとに、競争がますます激しくなってきている。そのため、人々は生活自体がますます苦しいものになってきた。
 同様に、生存競争から生ずる不安も悪化してきた。競争のための努力もますます厳しいものになってきた。よって、昔よりも、我々の生存は苦しいものになっている。
 より楽しく、あるいは、より節約しようという精神あるいは目的は、激しい競争をうみ、人々をより苦しく大変な状態へと至らしめた。これが開化の矛盾である。

 日本の開化をめぐって

 ここから、夏目は日本の開化のテーマに入っていく。とはいえ、夏目もまた「できるだけ労力節約の法則に従って早く切り上げるつもり」なので、ここから先はそう長くない、辛抱して聞いてくれという。

 かつての日本の開化:内発性

 夏目はかつての日本の開化が内発的なものだったという。一般的な開化は、西洋の開化のように、内発的なものである。それはあたかも草木が自然と蕾をつけて花を開くようなものだ。

 かつての日本の開化は内発的だった、と夏目はいう。たしかに、かつては日本も中国や朝鮮の影響を受けることもあった。それでも総じてみれば、日本は比較的内発的な開化を遂げてきた。

 現代日本の開化:外発性

 だが、現代日本の開化は外発的なものである。夏目によれば、江戸時代の鎖国で「二百年も麻酔したあげく突然西洋文化の刺戟に跳ね上ったぐらい強烈な影響は有史以来まだ受けていなかった」。

 この影響により、日本の開化のあり方は急激に変化せざるをえなくなった。日本は西洋という外からの強烈な力によって、西洋の様式に従った仕方で開化するようになったのだ。

 なぜか。「西洋の開化というものは我々よりも数十倍労力節約の機関を有する開化で、また我々よりも数十倍娯楽道楽の方面に積極的に活力を使用し得る方法を具備した開化である。粗末な説明ではあるが、つまり我々が内発的に展開して十の複雑の程度に開化を漕ぎつけた折も折、図らざる天の一方から急に二十三十の複雑の程度に進んだ開化が現われて俄然として我らに打ってかかったのである」。

 どういうことか。西洋の開化の状態は日本の開化の状態よりも2−3倍も進んでいる。それは道楽の積極的精神にかんしてもそうである。節約の消極的精神についても同様だ。
 日本は明治時代に至るまで内発的に開化してきた。だが、突然、(ペリー来日以降に)このような西洋の開化と接触し始めた。西洋の開化が日本に大きな影響を与え始めた。
 かくして、現代日本はこの50年の間、西洋の強烈な外的圧力に押されてきた。その結果、不自然な仕方で開化するのを余儀なくされてきた。
 現代日本は開化の階段を一段ずつ着実に上がっているのではない。気合を入れて一足に10段ずつ上がっているようなものだ。この状態は場合によっては永久に続くかもしれない。

 外発的な開化による弊害:現代日本の問題

 この外発的な開化の弊害はなにか。夏目は日本人の心理的な側面での弊害を指摘する。すなわち、「こういう開化の影響を受ける国民はどこかに空虚の感がなければなりません。またどこかに不満と不安の念を懐かなければなりません」。すなわち、空虚と不満そして不安である。
 この弊害の原因はなにか。内発的な開化の場合、現在の生活状態の利点も欠点も十分に味わい尽くす。もはや現在の生活状態に飽きたので、次の段階の生活状態に移る。すなわち、開化が進む。
 そのため、一つ前の段階の生活状態には残り惜しさや未練を感じない。新しい段階の生活状態を他者からの借り物だと感じることもない。

 だが現代日本のような外発的な開化の場合は違う。この場合、日本人は古い段階の生活状態をまだまだしっかりと理解していない。それにもかかわらず、新しい段階にどうにか飛び移るというありさまである。

 それは例えて言えば、こうである。眼の前に様々な料理が運ばれてくる。それらをとにかく夢中になって食べる。何を食べているのかをはっきりと理解する前に、その料理皿が引き下げられる。すぐに、新しい料理を次々と運ばれてくる。

 とはいえ、現代の日本人はこれらの新しい西洋料理を食べ続けなければならない。なぜか。現代日本は西洋と交際しなければ存続できないからだ。
 西洋は日本より強い。強いものと交際すれば、どうしても相手の習慣に従わなければならない。よって、現代日本は無理をしてでも西洋の様式に従う必要がある。

 その結果、少なくとも部分的には、「現代日本の開化は皮相上滑りの開化」となってしまっている。日本は西洋の文明を十分に理解して深めることができず、その表面をただ次へ次へと滑っているだけである。
 日本は無理やり西洋の借り物をして上滑りしている。それが上述の現代日本人の空虚や不満の原因である。これをあたかも内発的な開化とみるのは虚偽であり軽薄でもある。

 解決策?

 では、どうすればよいか。現代日本が内発的な開化を試みてはどうかという声もあるだろう。
 夏目はこう回答する。それがもし可能だったとしても、日本は神経衰弱に罹かり、息も絶え絶えになってしまう。今にでも死んでしまうくらい疲弊するだろう。
 なぜか。夏目によれば、西洋人は体力も頭脳の力も日本人より旺盛である。そのような西洋人が100年かけて成し遂げたものを、我々が50年とか10年とかで成し遂げようとする。その結果、このように神経衰弱になってしまうだろう。
 夏目自身は解決策の良案を持っていないという。言えることといえば、「ただできるだけ神経衰弱に罹からない程度において、内発的に変化して行くが好かろう」というくらいである。

 夏目自身もまたこの結論が暗く悲惨なものだと認める。この講演の目的はこの苦い真実を明らかにすることであり、解決策を示すことにはない。かくして、この講演の幕を閉じた。

 

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「現代日本の開化」の原文は青空文庫にある。

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