ヴィクトル・ユーゴーはフランスの作家で詩人(1802ー1885 )。20代なかばにはフランス・ロマン主義を率いる文人として活躍し始めた。代表作『ノートルダム・ド・パリ』で大成功を収めた。フランスの二月革命で共和制が始まると、ユーゴーは共和主義者として活躍した。ナポレオン3世の天敵となった。ユーゴーは亡命を余儀なくされたが、『レ・ミゼラブル』などの大作を生み出した。以下では、代表作の紹介をも当時の貴重な画像つきで行う。詩と名言も紹介する。
ユーゴー(Victor Hugo)の生涯
ユーゴーはフランスのブザンソンで軍人の家庭に生まれた。父はナポレオン1世に仕える将校であり、将軍にまで昇進した人物だった。幼い頃は父の従軍に同行し、イタリアやスペインなどで育った。その後、母とともにパリに移り、法律を学んだ。早くから学才を開花させた。この頃のユーゴーは君主主義者であった。
文人としての開花:ロマン主義の指導者へ
ユーゴーは法律よりも文学に関心をいだいた。1819年、ユーゴーは10代後半で、トゥールーズのアカデミー・コンクールで一等賞をえた。詩集『オードと雑詠集』(1822)などを公刊した。その後も、『東方詩集』などの詩集を公刊し、詩人として名を高めていった。同時に、小説としては、『アイスランドのハン』などを公刊した。
ユーゴーはロマン主義に傾倒していった。劇作家としては、1827年の『クロムウェル』を制作した。さらに、ユゴーは自宅でロマン主義の文人や芸術家の集いを開き、彼らの主導者として活躍した。コメディ・フランセーズでは『エルナニ』を公演した。ロマン主義と古典主義の対決となったため、物議を醸した。同時に、名声を高めた。
文人としての成功
その後も、ユーゴーは精力的に著述活動に打ち込んだ。1831年には、代表作の『ノートル・ダム・ド・パリ』を公刊し、成功を収めた。劇作家としては、『リュイ・ブラス』などを制作して、成功した。のちに、ヴェルディの『リゴレット』に影響を与えるものもあった。
また、この時期、ユーゴーは王のルイ・フィリップに接近していた。1841年、アカデミーへの入会を認められた。また、私生活では愛人との生活を始め、1845年には不倫を公表して世間を騒がせた。
この時期のドーミエによるユーゴーのカリカチュール
『ノートル・ダム・ド・パリ』
この作品は中世パリのノートルダム寺院を舞台としている。ロマ人の美しい娘エスメラルダと醜い鐘つき男カジモド、そしてノートルダム寺院の大執事のフロロを中心に、物語は進んでいく。本作はユーゴーの代表作としてだけでなく、フランス・ロマン主義の代表作として知られる。
共和主義者として
ユーゴーは共和主義者として政治的にも活動した。1848年、二月革命の成功にも助力した。新たに誕生した共和制のもとで、議員に選出された。死刑の廃止などを訴えた。
ユーゴーはルイ・ナポレオンが大統領になるのを支援した。だが、ナポレオンはクーデターを起こして、共和制を帝政に変更させ、皇帝ナポレオン3世として即位した。ユーゴーはこれに抵抗したが、失敗した。ブリュッセルに亡命した。
亡命先で、皇帝ナポレオンにたいして、共和主義の理念を唱導する闘士となった。『ナポレオンという小者 』や『懲罰詩集』などを制作し、ナポレオン批判を強めた。普通選挙制や報道の自由などを訴えた。1859年には恩赦が与えられることになったが、これを拒否した。
『レ・ミゼラブル』
1862年、ユゴーは代表作『レ・ミゼラブル』を公刊した。これは1840年代に執筆を開始した。だが、1848年の2月革命で執筆を中断した。その後、亡命生活のもと、1860年頃から執筆を再開した。
この物語は、主人公のジャン・バルジャンが不条理で厳しい社会のもとで誠実に生きようと試みる。フランス革命後の動乱の中で、様々な困難にあいながら、一つの幸せな結末にいきつく。ロマン主義や博愛主義の世界的名著である。
晩年
1870年、普仏戦争が開始された。フランスは共和制に移った。そこで、ユーゴーはパリに戻った。フランス第三共和政の象徴とみなされるようになった。1871年、国民議会の議員に選出された。だが、当時の政情に失望し、すぐに辞任した。パリ・コミューンに賛同した。だが、その行き過ぎた活動にも反対した。
この晩年にも著述活動に打ち込んだ。1885年、没した。国葬がおこなわれ、パンテオンに埋葬された。
ユーゴーの詩と名言
- 神は水だけを生み出したが、人間はワインを生み出した
- 笑わせることは忘れさせることである。忘却を届ける者とは、この世でなんという善人であることか!
- 赦すことができないならば、わざわざ打ち倒す価値もない
- 女性は見かけ上はか弱く実際は強力な独特の力をもっている
- 貧乏になることができない者は自由になることができない
- 何もしないことは子どもの幸福であり老人の不幸である
- 固定観念は狂気や英雄主義に行き着く
- 最も美しい遺産とは尊敬された名前である
ヴィクトル・ユーゴーと縁のある人物
●ナポレオン3世:当初はユーゴーに支持されたが、皇帝になってユーゴーの天敵となった。フランス第二帝政の皇帝。
ヴィクトル・ユーゴーの肖像画
ヴィクトル・ユーゴーの主な著作・作品
『オードと雑詠集』(1822)
『アイスランドのハン』(1823)
『クロムウェル』 (1827)
『東方』 (1829)
『エルナニ』 (1830)
『秋の木の葉』 (1831)
『ノートル・ダム・ド・パリ』 (1831)
『リュイ・ブラス』(1838)
『静観』 (1856)
『諸世紀の伝説』 (1859ー83)
『レ・ミゼラブル』 (1862)
『海に働く人々』 (1866)
おすすめ参考文献
西永良成『ヴィクトール・ユゴー言葉と権力 : ナポレオン三世との戦い』平凡社, 2021
丸岡高弘『ヴィクトル=ユゴー』清水書院, 2014
Franck Laurent, Littérature et politique mêlées : essais sur Victor Hugo, Classiques Garnier, 2022