『人形の家』はノルウェーの代表的な劇作家ヘンリック・イプセンの戯曲である。ノルウェーの代表的な戯曲であるとともに、西洋近代の戯曲の古典的名作として知られる。この記事では、あらすじ(結末までのネタバレあり)や意義、日本での評価を紹介する。
あらすじ
一日目:クリスマス・イヴ
クリスマス・イブに、ノラと夫のトルヴァルが自宅で語らっていた。二人は結婚して8年目になる。子供は3人いる。かつては貧しい暮らしをしていた。今は夫が経済的に成功し、銀行の頭取になることが決まった。夫婦生活は順調であるように思われた。
ノラの家に、ノラの旧友のリンデ夫人が訪ねてきた。二人は長らく会っていなかった。その間に、リンデの夫は亡くなっていた。
ノラとリンデ夫人はノラの結婚当初の頃について語った。当時、二人は貧しかった。しかもトルヴァルが病気にかかってしまった。イタリアへの転地療養が必要になり、それでさらに経済的に苦しくなった、と。
他方で、二人はリンデ夫人のそれまでの人生についても話した。リンデ夫人は亡き夫がほとんど遺産をのこさなかったので、貧しい生活をしいられた。病気の母と弟の面倒をみなければならなかったのだ。
だが、いまは母が没し、弟はもう大人になった。誰かを養う必要はなくなった。だが、何も仕事をしていないとむなしい、と。そこで、ノラはトルヴァルに、リンデ夫人の仕事について話してみると約束した。
ここで、ノラはリンデ夫人にある秘密を打ち明ける。かつてイタリアでの転地療養が必要になったとき、ノラは借金をした。その際に、父親の署名を偽造して、すなわち不正な仕方で、借金をしたのだ。
だが、このことをトルヴァルには内緒にしてきた。その後、こっそりと働いて、その借金を少しずつ返済してきたのだ、と。この秘密がこの物語で鍵となる。
そこに、グログスタという男性がやってきた。トルヴァルの銀行の職員である。彼はトルヴァルの書斎に入っていった。グログスタが帰り、トルヴァルがノラのもとにやってくる。銀行でリンデ夫人を雇うことができるだろうと言う。
少し経った後、グログスタとノラが会話をする。実は、ノラが借金していたのはグログスタだった。グログスタがノラの不正署名した借金の契約書を今ももっていた。よって、ノラはグログスタに弱みを握られている。
グログスタは評判の悪い銀行員だった。トルヴァルは彼を解雇しようとしていた。グログスタは解雇されないよう、ノラがトルヴァルを説得することを求める。ノラは断ろうとした。だが、断れば、その過去の不正を暴露し、トルヴァルの顔に泥を塗ると脅迫され弱みにつけこまれて、断れなかった。
グログスタは去り、トルヴァルが戻ってくる。ノラはグログスタを解雇しないよう彼に説得する。だが、トルヴァルが彼を不道徳なやつだとして、解雇の方針を撤回しない。
二日目:クリスマス
クリスマスに移る。リンデ夫人がノラの家にやってくる。翌日には、仮想パーティーが行われるので、その準備である。そこに、トルヴァルがやってくる。ノラは再びグログスタの解雇の件を話すが、聞き入れられない。ノラは諦めずに解雇の撤回を求め続ける。これが逆効果となる。トルヴァルはグログスタに解雇の手紙を発送したのだ。
少し経ったあと、ノラとグログスタが会話をする。グログスタは解雇の通知を受け取ってやってきたのだ。グログスタは銀行での再就職をノラに求める。さらに、過去の不正を説明した手紙をノラの家に投函して帰った。
ノラはリンデ夫人にすべてを話した。リンデ夫人は自らグログスタと話をしてくると言って、出ていった。トルヴァルが戻ってくる。ノラは翌日の仮装パーティーが終わるまで手紙を開けないよう、どうにかトルヴァルに約束させる。リンデ夫人が戻ってきたが、グログスタと会えず、メモだけ残したといって、立ち去る。
三日目:運命の日
翌日の夜になる。ノラの家で仮装パーティーが開かれる。リンデ夫人とグログスタが二人で話し合う。かつて、二人は恋仲にあった。だが、リンデ夫人は家族を養うために、もっと裕福な男性のもとへ去っていた。
リンデ夫人はいまや養うべき家族もいない。そこで、グログスタにたいし、もう一度、一緒になりたいという。グログスタはこの申し出に大喜びである。その背後にノラの行動をみてとり、ノラの過去の不正を記した例の手紙を破棄しようと考えた。
だが、リンデ夫人はその真実を明らかにしたほうが、トルヴァル夫妻の関係はよりよくなると考えていた。そのため、結局、手紙は残された。
二人が去った。ノラとトルヴァルが仮想パーティーから戻って来る。トルヴァルはノラの踊っている姿が素敵だとほめる。ノラは医師から、死に至る重い病だという知らせを受取り、そのことをトルヴァルに伝える。
そして、ノラはトルヴァルに、例のグログスタの手紙を読むよう求める。トルヴァルはこれを読み、激怒する。ノラを嘘つきだと罵り、自分の幸せを台無しにされたと訴える。 もはや子供たちを育てることを許さないとノラにいう。
そこに、グログスタから、新たな手紙が届く。そこでは、グログスタが例の不正な契約書をノラに返したと書かれていた。よって、トルヴァルの名誉が公に傷つけられる可能性はなくなった。トルヴァルは大いに喜び、ノラへの態度を急変させる。関係を急いで修復しようとする。
だが、ノラはもはやかつてのノラではなくなっていた。医者から死の宣告をされていると伝えたにもかかわらず、夫は過去の不正な借金で自分を罵倒した。ノラはお互いがお互いをしっかり理解していないと述べる。特に、トルヴァルがノラを人形のように扱っていると断言する。
自分とその境遇をしっかり認識しなければならない。妻や母である前に、一人の人間として生きる。ノラは夫と子供を置いて、出ていくことを決めた。トルヴァルはどうにか引き留めようと懇願する。だが、ノラはドアをバタンと閉めて、でていく。
本作の意義や重要性
本作は上演されてまもなく成功した。これによって、イプセンは世界的に名声を確立することになる。よって、イプセンの代表作といえる。
本作はすぐに女性解放の論者から称賛された。逆に、女性解放の反対者からは批判を受けた。ノラは新しい時代の「新しい女」の象徴とみなされるようになる。イプセン自身は、本作を女性解放かどうかというより、人間にかんする作品としてみてほしいと述べた。
戦前の日本での評価
日本では、1911年に初めて上演された。当時、日本でも女性解放運動は徐々に発展していた。たとえば、1900年には、津田梅子が優れた国際的な女性を育てるために、女子英学塾(津田塾大学の前身)を設立した。
1911年には、平塚らいてうが、『青鞜(せいとう)』を創刊した。平塚による創刊の辞「元始、女性は太陽だった」は有名である。与謝野晶子もまた別の仕方で女性の教育や解放について論じるようになっていた。なお、平塚と与謝野は1910年代末には、女性のあり方をめぐる論争を行う。
そのような中で、『人形の家』は1911年に日本で初演され、話題となった。松井須磨子がノラを演じた。ノルウェーでの初演から30年ほど後のことだった。日本でもフェニにズムの文脈で理解された。本作とイプセンは広く受容されるようになった。
岸田國士の評価
戦前の劇作家の岸田國士は、上述の松井須磨子による上演を鑑賞した。その後、パリに移り、そこでも本作をみた。岸田は「巴里で観たイプセン劇」のなかで、次のようにこの作品を論じている。
パリでのノラがまさに「悩みが美しくした女」だと評している。従来のフェミニズムで評されてきたような「目覚めたる婦人」については、なんら問題とすべきものを発見しなかった。そのかわりに、パリでのノラに「永遠の女性」そのものの姿を見た。フランス人が演じると、そのようになるのだろう、という。
このように、本作は日本でもフェミニズムの作品として受容されていたことがわかる。さらに、すぐにその見方への疑問が投げかけられていたということもわかる。はたしてこの作品がどのような性質のものであるかは、実際に読むか観劇してみたほうがよいだろう。
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