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なぜロックの「社会契約説」は重要なのか:教科書で教えてくれないことを補足する

 高校の歴史や倫理の授業などで、17世紀イギリスの哲学者ジョン・ロックの「社会契約説」について学ぶ機会があったと思います。暗記させられた記憶がある、という方も少なくないでしょう。
 この政治理論がなぜ重要なのか、わざわざ教科書で取り上げられているのか。授業の限られた時間では十分に説明されていないのが現状のようです。そこで、この記事では、なぜこれが重要なのかをみていきましょう。

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そもそも、ロックの社会契約説とは

 ロックの社会契約説とはなにか。その詳しい説明は別の記事で書いていますので、ここでは関係する部分のみ説明します。
 ロックの社会契約説は、国家の権力が人民によって政府に委ねられたものであると論証する学説です。人民主権の理論だといえます。さらに、これが革命の正当化につながるのが重要です。順にみていきましょう。
 ロックの時代、いわゆる王権神授説が依然としてそれなりに有力でした。この場合、国家の権力は人民ではなく神が政府に直接与えたことになります。その結果、人民はなにがあっても、政府から権力を正当に奪えないことになります。
 これにたいし、ロックの社会契約説では、権力は人民が社会契約によって、一定の条件つきで政府に委任したとされます。その主な条件は、政府が人民の生命・自由・財産を守ることです。
 よって、重要な点として、政府がその条件に反するならば、契約違反なので、人民は正当にその権力を取り返すことができることになります。取り返す方法としては、究極的には、革命が挙げられます。よって、ロックの理論では、革命が正当化されています。

ロックの社会契約説の重要性

 ロックの社会契約説はかなり有名な理論であり、様々な研究があります。よって、様々な重要性や意義が指摘されています。その中でも、ここでは、革命の正当化という教科書的な重要性について説明していきます。3つの革命との関係でみていきます。

 イギリスの名誉革命において

 従来、ロックの社会契約説は、1688年のイギリスの名誉革命を正当化した理論として重要視されてきました。そもそも、ロックは1689年に『統治二論』を公刊し、そこでこの理論を展開していました。名誉革命を正当化する主要な理論として認知されていきます。
 イギリスの名誉革命は、17世紀半ばのイギリスでのピューリタン革命(清教徒革命)とともに、市民革命として重要視されてきました。
 市民革命がなぜ重要なのか。それまで、ヨーロッパでは、王が統治する君主制が一般的でした。ピューリタン革命はイギリス議会が国王と対立し、勝利し、最終的にその首をはねる仕方で処刑します。議会が自身の王の首をはねたことはかなりショッキングな出来事として当時のヨーロッパに認知されます。
 ほどなくしてイギリスは再び王が支配するようになります。宗教などをめぐって、再び議会と王が対立するようになり、1688年の名誉革命に至ります。議会はオランダ総督に支援を求め、革命に成功します。オランダ総督がイギリス王ウィリアム3世となります。

 これらの革命の意義は、長い歴史の中で、政治的な実権が王から市民(中心の議会)に移っていくための手段になった点にあります。市民革命は、君主制が一般的だった中世から、民主制が一般的な近現代への移行として重要視されています。
 ロックの社会契約説はその革命の正当化において重要です。さらに、近現代の民主制やリベラリズムの古典的理論としても重要です。

アメリカ独立革命

 次に挙げられるのは、1775−83年のアメリカ独立革命です。これは現在の超大国のアメリカ合衆国が独立して誕生することになった革命です。
 それまで、アメリカ合衆国の地域はイギリスの北米植民地でした。18世紀半ばに、イギリス政府が北米植民地の同意なく課税したことなどが原因となって、両者は次第に対立していきます。ついに、1775年に北米植民地が宗主国イギリスに反乱を起こし、これが革命となったのです。

 1776年、北米植民地は「アメリカ独立宣言」を出し、北米植民地は独立の意志を明確に表明します。これはトマス・ジェファソンが起草したものです。アメリカ独立革命の最も重要な公文書の一つです。ロックの社会契約説はそこに大きな影響を与えたことが知られています。
 たとえば、アメリカ独立宣言は次のように論じています。この宣言の中核的部分といえるところです。

「すべてのひとはみな、生命・自由・幸福追求の権利をもち、誰もこれらの権利を他者から奪うことはできない。政府の目的はこれらの権利を守ることである。政府の権力は人民の同意に基づく。よって、政府がこれらの権利を破壊するならば、人民は現行の政府を廃止して、新しい政府を樹立する権利をもつ」。

 大枠において、ロックの理論とほぼ同じといえる部分です。アメリカ独立革命の文脈に即していえば、こうなります。
 イギリス政府は北米植民地の人民の生命や自由などの権利を侵害し、人民の同意を無視してきた(同意なき課税)。よって北米植民地の人民はイギリス政府を自分たちの政府としては廃止し、自分たちで新しい政府を樹立する権利をもつ。それを実行しているのがアメリカ独立革命である、と。
 このように、ロック理論の影響力はイギリスからアメリカ北部へと拡大していきました。

ラテン・アメリカの独立革命

 アメリカ独立革命は北米で起こりました。これはヨーロッパでは、1789年のフランス革命に波及していきます。フランスでは、議会がルイ16世とマリー・アントワネットの王権を打倒しました。

これらの革命が、中南米の植民地の独立革命へとつながっていきます。

 背景として、1492年のコロンブスによるアメリカの「発見」以来、スペインとポルトガルが中南米を征服し、植民地を建設してきました。イギリスはこの植民地競争に乗り遅れたため、中南米に植民地をつくれず、北米につくることになったのです。
 その北米で、上述のように、植民地がイギリスから独立を果たします。スペインやポルトガルの中南米植民地は北米植民地の独立の成功に触発されます。
 この時期には、中南米植民地は宗主国にたいして、様々な面で不満を抱いていました。自分たちも北米植民地と同様に、宗主国から解放されるかもしれない。
 とはいえ、革命は大きな賭けです。失敗すれば、自分や家族の命や財産が奪われるでしょう。そのような中で、フランス革命の流れで、ナポレオンがスペインやポルトガルに攻め込みます。宗主国が弱体化していく中で、中南米では独立革命が起こっていきます。
 ロックの社会契約説はそこでも一定の影響を与えたことが知られています。たとえば、中南米の解放者として知られるシモン・ボリバルです。彼は若いときにフランスで留学した際に、ロックやルソーらの理論から影響を受けました。

 ロックの社会契約説にみられるような革命権や人民主権の理論は19世紀前半の中南米の独立革命を思想面で後押ししていきます。実際に、中南米植民地の多くはこの時期に独立を果たしました。

 ロックの社会契約説には、少なくとも以上のような歴史的な重要性があります。彼の『統治二論』には、そのような歴史的な重みがあるといえます。

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おすすめ参考文献

加藤節『ジョン・ロック : 神と人間との間』岩波書店, 2018

田中浩『ロック』清水書院, 2015

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