グリム兄弟:童話と民俗学の結晶

 グリム兄弟は19世紀ドイツの文献学者で民俗学者。兄はヤコブ・グリム(1785-1863)で、弟はヴィルヘルム・グリム(1786-1859)。「白雪姫」や「眠れる森の美女」などの『グリム童話』で有名である。『ドイツ語辞典』編纂の大事業にも尽力しており、言語学や文献学でも大きな業績を残した。これからみていくように、『グリム童話』は単なる子供向け物語集ではなく、当時の最先端の研究の成果だった。

グリム兄弟の生涯

 グリム兄弟はドイツのハーナウで法律家の家庭に生まれた。二人とも父と同様に法律家の道を目指し、1802年から6年までマールブルク大学で法律を学んだ。
 この時期に、法学者サヴィニーの影響を受け、法や言語の歴史に興味をいだいた。また、文学者ヘルダーやブレンターノらの影響を受け、民俗や伝承、文学にも興味を抱くようになった。

 民俗学への貢献:『グリム童話』


 大学卒業後、兄ヤコブは官吏となり、外交官となった。ナポレオンがフランスで失脚し、1814年に戦後の国際情勢を決めるためにウィーン会議が開催された。ヤコブはこれに外交官として参加した。
 1814年、弟のヴィルヘルムはカッセルの図書館司書となった。

 この頃、グリム兄弟はヨーロッパの民間伝承や説話に大きな関心を抱き、それらを収集してまとめあげた。
 1812年と1815年に、それらを『子供と家庭の童話』として公刊した。これは一般的に『グリム童話』と呼ばれている。

 200以上の物語を所収しており、その中には「白雪姫」や「赤ずきん」、「眠れる森の美女」などが含まれている。これらは今日において童話として認知されている。とはいえ、もともとはヨーロッパ各地で語り継がれてきた昔話などだった。

 これらの昔話を通して、それぞれの地域の伝統的な考え方や風習などを理解しようとする民俗学的な史料だった。『グリム童話』には当初からこのような側面があった。

 周知の通り、本書は童話集として世界的に人気を得ることになる。例えば、チャイコフスキーらに楽曲のアイディアを与えることにもなった。
 さらに、本書は説話や伝承などを科学的な仕方で収集するモデルを与えた。そのため、民俗学においても大きな貢献を行った。

『ドイツ伝説集』:ドイツ精神の探求

 1816年、ヤコブは外交官を辞め、弟と同様にカッセルの図書館につとめた。兄弟は引き続き一緒に研究を行った。今度は、ドイツの伝説や伝承を収集した。1818年、その成果を『ドイツ伝説集』として公刊した。

 18世紀後半から19世紀初頭のドイツでは、知識人たちがドイツの独自の文化的アイデンティティあるいはドイツの国民性というものを模索していた。この時期にドイツでは国民文学や国民文化などの概念が誕生していった。

 グリム兄弟が根気よく収集して公刊した民話や伝承などは、ドイツの様々な地域において本質的に共通のドイツ文化が存在すると彼らに確信させた。

 グリム兄弟自身もまた、それらのドイツの民話などにドイツの民族精神が反映されていると考えた。ヘルダーがすでに、民族精神とは大衆文学に宿るものだと論じていた。グリム兄弟もこれに共鳴したのだった。

 しかし、グリム兄弟の公刊した童話がドイツ精神の表れだと理解するには問題点がある。そもそも、上述のように、グリム童話はドイツ以外の民話を多く含んでいるためである。また、グリム兄弟は童話集が売れるにつれて、その内容に修正を加えるようになったためである。

 言語学への貢献:『ドイツ文法』

 その後、ヤコブはゲルマン系言語の研究に着手した。20年間ほどをかけて、ゲルマン系の諸言語には音韻に関する遺伝のような法則があることを実証した。
 これはグリムの法則として知られる。この成果を『ドイツ文法』として公にして、文献学で大きな貢献を行った。

 その研究を行っている頃、1830年、グリム兄弟はゲッティンゲン大学に移った。教授および図書館司書をつとめた。
 この時期には、キリスト教が広まる以前のドイツでの民間伝承を調査し、キリスト教以前のドイツの神話がどのようなものであったかを明らかにした。この成果を『ドイツ神話学』として公刊した。

 国王との対立:グリム兄弟の政治的側面

 その頃、ハノーヴァー国王の代替わりが生じた。新たな王は現行の憲法が過度に自由主義的だと考え、これを廃止した。グリム兄弟を含むゲッティンゲン大学の7人の教授たちはこれに抗議した。
 ハノーヴァー王は激怒し、彼らを解雇し、追放処分とした。それから3年間ほど、グリム兄弟は放浪生活となった。

 晩年:『ドイツ語辞典』

 1841年、グリム兄弟はプロイセン王の招きに応じて、ベルリンに移った。彼らはプロイセン科学アカデミーに入会し、大学で講義も行った。同時に、『ドイツ語辞典』の編纂に尽力した。
 この辞書が完成するのは1960年であり、まさに大事業だった。このドイツ語辞書は他のヨーロッパ言語の辞書のモデルとなった。

 グリム兄弟は没するまで、国外で調査旅行を行いながら、ベルリンで研究に打ち込んだ。世界的に名声をえて、ミシュレなどの学者らと広く交流をもった。兄は1863年、弟は1859年に没した。

グリム兄弟の肖像

兄ヤコブグリム兄弟の肖像写真

グリム兄弟 兄ヤコブ 利用条件はウェブサイトにて

兄ヤコブ

グリム兄弟 弟ヴィルヘルム 利用条件はウェブサイトにて

弟ヴィルヘルム

 グリム兄弟の主な著作・作品

『子供と家庭の童話』 (1812ー15)
『ドイツ伝説集』 (1816ー18)
『ドイツ文法』 (1819ー37)
『ドイツ神話学』(1835)
『ドイツ語史』 (1848)
『ドイツ語辞典』(1852−1960)

おすすめ参考文献と青空文庫

横道誠『グリム兄弟とその学問的後継者たち : 神話に魂を奪われて』ミネルヴァ書房, 2023

Eva Kolinsky(ed.), The Cambridge Companion to Modern German Culture, Cambridge University Press, 2006

※グリム兄弟の作品は、青空文庫にて無料で読めます(https://www.aozora.gr.jp/index_pages/person1092.html)。

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