リヨンはフランス第三の都市です。歴史情緒の豊かな街であるとともに、フランスを経済的に支えてきた主要都市でもあります。街の歴史地区は世界遺産に登録されています。伝統工芸の絹織物はまさにリヨンの歴史を支えてきたものです。そのため、リヨンには絹織物などの工芸美術品にかんする卓越した博物館などがあります。
この記事では、リヨンの歴史を時代順に説明します。なお、この記事の内容を踏まえて、リヨンの旅行の魅力を紹介する記事もあります。
リヨンの歴史
リヨンの歴史を概説していきます。
リヨンの形成
紀元前43年、現在のリヨンのフルヴィエールの丘にローマの植民地ルグドゥヌムが建設されました。これが都市リヨンの始まりです。その後、ガリア地域の首都に選ばれます。都市としての整備が進み、劇場や神殿などが建てられました。皇帝も訪れるほどの都市として発展していきました。
その後、キリスト教が徐々に浸透していきます。しかし、2世紀後半には、マルクス・アウレリウスによる迫害が行われました。2世紀末にはセプティミウス・セウェルスによって略奪が行われ、大きな被害を受けました。
4世紀には、ゲルマン民族の大移動の影響で、リヨンもまた侵略を受けました。リヨンの支配者が変わっていき、カロリング朝の支配下に置かれます。その頃には、カロリング・ルネサンスの中心地の一つになりました。地理的特徴もあって、支配者が再び二転三転していきます。
神聖ローマ帝国からフランスへ
1032年、リヨンは神聖ローマ帝国に編入されました。とはいえ、皇帝というよりも教会がリヨンの実質的な統治者でした。リヨン内部の聖職者たちが主導権争いを繰り広げた後、13世紀にはリヨン大司教が統治者の座に収まりました。同世紀なかばには、カトリック教会がリヨン公会議を二回開催しました。当時はモンゴル帝国がヨーロッパに進軍していた頃であり、これへの対処などが話し合われました。これには、アルベルトゥス・マグヌスのような大物の神学者も参加しました。
この時期にも、リヨンはローヌ川とソーヌ川に橋をかけるなどして、都市としての整備を進めました。織物や皮などの産業が徐々に発展していきました。また、地の利を生かした貿易でも利益をあげました。その結果、都市の中で商人や職人が力をつけていきます。彼らはリヨンの政治をめぐって大司教と対立するようになりました。その際に、近隣のフランス王に支援を求めました。フランス王がこれに応じ、リヨンに派兵するなどして、大司教を屈服させていきます。その結果、1312年、ついにリヨンはフランス王国の一部に組み込まれました。
商業都市としての成長
その後もリヨンは商業都市として発展を続けます。14世紀には鉱山業も始めました。商業都市としての発展としては、15世紀がより目覚ましいものでした。1420年には定期市が始まりました。1466年には絹織物産業が導入されました。これがリヨンの代表的な産業の一つとして成長していきます。1473年には印刷業も導入されました。これは当時開発された新しい技術であり、リヨンはフランスの中でもいちはやく導入したことになります。その結果、フランスの主要な出版地の一つとなりました。15世紀末には、リヨンはイタリアやドイツの商人を呼び寄せる国際商業都市として繁栄しました。
1494年、フランス王シャルル8世はイタリアのナポリ遠征を開始しました。いわゆるイタリア戦争の始まりです。16世紀初頭まで、リヨンはイタリア戦争に従事するフランス王の拠点として発展しました。
16世紀には、フランスは宗教戦争を経験しました。この時期に、リヨンでも宗教や政治に起因する反乱を経験しました。この宗教戦争は同世紀末に終結しました。
16世紀のリヨン
17世紀、フランスは宗教戦争による深刻な内部分裂の傷を癒やしました。リシュリューやルイ14世のもとで、絶対王政を樹立し、フランスの列強国として復活します。リヨンはそれを産業や金融などで支える主要な都市の一つであり続けました。
17世紀のリヨン
再び経済的繁栄へ
18世紀後半、リヨンの絹織物工の家庭にある男が生まれました。ジョゼフ・ジャカールです。彼は当初、印刷業の道に進みました。しかし、実家の絹織物のために織機の改良に乗り出します。この苦労を実らせ、1801年、ジャカード織機を発明しました。これは機械による絹の紋織を可能にするものです。
当初、リヨンの伝統的な絹織物工たちはこの織機に仕事を奪われると考え、打ちこわし運動を行いました。実際に、インドの伝統的な織物産業はイギリスの産業革命での織物機械の利用によって衰退し、イギリスの織物産業に取って代わられました。ところが、ジャカード織機はリヨンの織物産業を衰退させず、むしろ再活性化させています。1804年、ジャカールは織機の特許を得ましたが、すぐにフランス国家によってこの技術が買い取られました。間もなくジャカード織機はリヨンそしてフランスで普及していきました。その結果、リヨンの絹織物工業は再び繁栄の時代を迎えます。それに伴い、街の再開発も行われました。
イギリスで産業革命の結果として、労働環境が劣悪になり、労働運動が激しくなりました。同様に、フランスでも、特にリヨンでも、1831年には労働者が反乱を起こしました。当局が力づくでこれを排除しました。しかし、労働者も負けておらず、労働運動を続けました。リヨンはフランスの中でも労働運動が盛んな街となります。この時期に、社会運動で有名になるプロードンもリヨンで働いていました。
他方で、リヨンの経済的な繁栄の結果、リヨンは再び金融の中心地の一つとして発展しました。1863年にはクレディ・リヨネ銀行が設立されました。これは戦後に国有化され、現在でもフランス有数の銀行です。
近代的工業と観光の都市へ
伝統的な織物工業は次第に衰退し、化学や機械などの近代的な工業に取って代わられていきます。鉱山業も再び主力産業となってきました。
現在のリヨンは化学薬品や石油製品などの工業が主力となっています。印刷業や食品業なども盛んです。他方で、街の歴史地区は20世紀末に世界遺産に登録されており、観光都市としても優れています。
フランスの都市の歴史と観光
☆マルセイユ:フランス第2の都市。2500年前からアフリカ西岸や北欧などと貿易を始めた地中海貿易の主要都市です。現在では工業や金融などの面も発展し、フランスを支えています。海外からの移民を長らく受け入れてきたため、フランスでありながらアフリカなどの異国情緒を感じさせる独自の魅力を備えています。
☆ナント:フランス北西部のブルターニュ地方の主要都市。ブルターニュ公爵の城があり、ここでは世界史で有名なナントの勅令が出されました。フランスの歴史にとって決
おすすめ参考文献
小山啓子『フランス・ルネサンス王政と都市社会 : リヨンを中心として』九州大学出版会, 2006
宮下志朗『本の都市リヨン 』晶文社, 1989
André Pelletier, Histoire de Lyon : des origines à nos jours, Editions lyonnaises d’art et d’histoire, 2007
André Latreille, Histoire de Lyon et du Lyonnais, Privat, 1988