マクシミリアン 1 世は神聖ローマ帝国の皇帝(1459ー1519)。ハプスブルク家出身。 自身や子孫の婚姻政策により、ブルゴーニュやネーデルラント(ベネルクス)、スペインやボヘミアなどを支配地に加えることになる。非常に広大なハプスブルク家の支配地域の礎をつくった。同時に、神聖ローマ帝国の諸制度を新設し、ドイツの新たな時代の幕開けとなった。
マクシミリアン1世(Maximilian I)の生涯
マキシミリアン1世はオーストリアのウィーンのノイシュタットで神聖ローマ皇帝フリードリヒ3世の子として生まれた。ハプスブルク家出身である。
ハプスブルク家の所領の拡大へ
1477年、マクシミリアンはブルゴーニュのシャルル豪胆公の娘マリーと結婚した。その結果、ネーデルラントとブルゴーニュの大部分の領地を得ることになった。
だが、フランスはこれを認めようとせず、マキシミリアンとの戦争を開始した。その際に、マクシミリアンは自身の兵を訓練し、ランツクネヒトと呼ばれる兵を育て上げた。同時に、マクシミリアンはネーデルラントでの反乱にも悩まされた。1488年には、彼自身が反乱軍に拿捕され、幽閉されるほどだった。
だが、マクシミリアンは別の地域では上手に事を運んだ。1490年には、ハプスブルク家のオーストリアからハンガリー人を駆逐するのに成功した。さらに、ティロルなどをハプスブルク家の所領に組み込んだ。1491年には、ボヘミア王とハンガリー王の継承権を獲得した。
1493年、マキシミリアンは上述のブルゴーニュ公の領地をめぐるフランスとの戦争のために、サンリス条約を締結した。。かくして、フランスやネーデルラントとの戦いを終わらせた。ブルゴーニュとネーデルラントの大部分を得た。
神聖ローマ皇帝として
同年、父が没した。マクシミリアンは神聖ローマ帝国の選挙に勝利し、皇帝マクシミリアン1世として即位した。ハプスブルク家の当主にもなった。ミラノ公女ビアンカと再婚し、イタリアへの支配を固めようとした。ネーデルラントの統治権を息子のフィリップにわたすと同時に、共同統治者であり続けた。
この頃に、フランスのシャルル8世がイタリアに侵出し、イタリア戦争が始まった。1495年、マクシミリアンは教皇やミラノなどと神聖同盟を結成し、これに対抗した。フランス軍はひとまずナポリなどから撤退した。
帝国改造
その頃、マクシミリアンは神聖ローマ帝国で様々な改革を試みた。1493年、最初の宮廷会議を開いた。これがこれが帝国議会と呼ばれるようになる。帝国議会や統治機構の改革、租税の導入、帝国裁判所やクライスの設立を実行した。クライスは帝国防衛の基本単位として機能することになる。かくして、新しい諸制度が誕生し、中央集権化が推進された。だが、諸侯の反対も強く、集権化には限界がみられた。他にも、1495年には、永久平和令を出し、私闘(フェーデ)による問題の解決を禁止した。
1496年、マクシミリアンは子どもたちの婚姻政策でスペインの王位継承権を獲得しようとした。息子フィリップをスペイン王イサベル1世らの娘フアナと結婚させた。娘のマーガレットはスペインの皇太子と結婚した。これらの結婚はイタリア戦争にたいしてスペインとともに対抗するのも意図の一つだった。
しかし、マクシミリアンはスイスでの戦いでは敗北した。1499年のバーゼル条約により、スイス盟約団体の独立を認めることになった。また、フランスにはミラノを奪われた。
この頃、1506年、息子のフィリップがスペイン王フェリペ1世に即位した。だが、まもなく没した。
1508年、マクシミリアンは教皇やスペイン、フランスなどとカンブレー同盟を結び、ヴェネツィアと戦った。ヴェネツィアを破滅寸前まで追いやった。だが、ヴェネツィアの外交政策などが一因となって、勢力図は変わった。1511年、マクシミリアンはスペインや教皇、イギリスなどとともに、神聖同盟を結成し、フランスと戦った。勝利することもあったが、ミラノをフランスから奪還するのには成功しなかった。
このマクシミリアン末期の主な問題は、ハプスブルク家の婚姻やオスマントルコの進展、宗教改革の始まりだった。 1519年に没した。
マクシミリアンの重要性
マクシミリアンの時代は一つの画期となった。まず、神聖ローマ帝国で設立された上述の諸制度は帝国が滅亡する19世紀初頭まで続くことになる。そのため、マクシミリアンの時代はこの始まりであり、ドイツ史でも近世の開始とみなされている。次に、オーストリアとボヘミアおよびハンガリーというの所領を得た点も重要である。これがオーストリア・ハプスブルク家の所領として長らく継承されることになる。
他にも、スペインとの政略結婚も需要である。マクシミリアンの子フィリップ1世はすぐに没した。だが、孫が神聖ローマ皇帝カール5世およびスペイン王カルロス1世となる。カール5世が広大なハプスブルク帝国を築くことになるのみならず、フェリペ2世のように、スペインにもハプスブルク家の支配が拡大されることになる。
マクシミリアン1世と縁のある人物
●カール5世:マクシミリアン1世の孫で神聖ローマ皇帝。スペイン国王も兼ね、広大な地域を支配した。ルターの宗教改革やオスマン帝国のスレイマン1世およびフランスのフランソワ1世との対決など、常にこの時代に中心にいた人物だった。
マクシミリアン1世の肖像画
おすすめ参考文献
菊池良生『図説神聖ローマ帝国』河出書房新社, 2009
Gerhard Benecke, Maximilian I (1459-1519) : an analytical biography, Routledge & Kegan Paul, 1982
Joachim Whaley, From Maximilian I to the Peace of Westphalia, 1493-1648, Oxford University Press, 2013