エミール・ゾラはフランスの作家(1840ー1902)。19世紀フランスの文壇で自然主義を主導した意義をもつ。『ジェルミナール』や『居酒屋』、『ナナ』などを執筆した。美術評論も行い、誕生したばかりの印象派を支えた。政治にも強い関心を抱き、ドレフュス事件などに関わり、政治と文学の緊密な関係を築いた。これからみていくように、ゾラの文学は当時の最先端科学の影響を強く受けたものだった。なお、『居酒屋』のあらすじも以下では示す。
ゾラ(Émile Zola)の生涯
ゾラはフランスのパリで技師の家庭にうまれた。父を早くに亡くしたため、幼少期は南仏に移り、厳しい生活を余儀なくされた。この時期に、セザンヌと交流をもった。
高校時代には、ゾラはパリにうつった。だが、バカロレア試験に失敗し、進学をあきらめた。1862年、出版社につとめた。
文筆活動の開始:印象派の擁護
出版社につとめていた頃から、ゾラは文筆業も開始した。当初は書評や美術の評論などを行っていた。この時期、モネやルノワールなどが印象派の新たな美術運動を生み出そうとしていた。
1860年代後半には、ゾラは印象派を擁護する評論を展開し始めた。1874年から、印象派は独自の個展を定期的に開いた。だが、既存の画壇から様々な批判を受けた。そのような中で、ゾラは印象派の画家たちと交流を維持し、擁護し続けた。
小説家としては、1864年の『ニノンに与えるコント』で社会に認知されるようになった。1867年には『テレーズ・ラカン』を公刊し、小説家としての軌道に乗り始めた。
自然主義の作家としての確立:『居酒屋』や『ナナ』
1871年から、ゾラは『ルーゴン・マッカール双書』として括られる一群の著作を公刊していった。これらは架空の農夫ルーゴンやマッカールの子孫が様々な職業をえて社会のそれぞれの場所で織りなす物語を描いたものである。
そのシリーズの中で、ゾラの代表作として知られるのは洗濯女の生涯にかんする『居酒屋』や高級娼婦の『ナナ』、さらに炭鉱労働者の『ジェルミナール』である。それぞれのあらすじは、次を参照。
実験科学と生理学の影響
そのシリーズでは、ゾラは心理主義と実験主義を二つの軸とした。心理主義については、人間心理のあり方が社会環境に基づいて決定されるというスタンスで、小説の登場人物の心理を描いた。そのためには、登場人物が置かれた環境を正確に把握する必要がある。よって、ゾラは実際に小説執筆の前に入念な下調べを行った。
実験主義は当時の医者クロード・ベルナールに着想をえている。ベルナールは『実験医学入門』を公刊し、当時の医学の分野に実験を導入しようとしていた。現在の科学では、実験の際に仮説を立てることが必要不可欠とみなされている。
だが、当時の医学はそうではなかった。むしろ、ベルナールによって、仮説設定の重要性などが浸透することになった。ゾラはこのような医学での改革を文学に応用しようとした。その文学理論を『実験小説論』などの著作に結晶化させた。
さらに、ゾラはベルナールの生理学にも大きな影響を受けた。そもそも、今日において、ベルナールは生理学を基礎づけた人物として有名である。ホメオスタシスなどの概念を基礎づけたためである。ゾラは彼の生理学理論を小説に反映させた。
そのため、登場人物の心理や行動は社会環境とともに生理学的条件によって決定されることになった。ゾラは自らの小説の世界を構築し、登場人物がどのような社会的・生理学的条件でどのような行動をとるかを「実験」しようと試みたといえる。
ドレフュス事件
1894年、フランスのユダヤ人大尉ドレフュスがドイツへのスパイの容疑をかけられ、逮捕された。さらに、罰として、南米ギアナの島に流された。これは、当時のフランスにおける反ユダヤ感情が原因の冤罪事件だった。だが、当時はドレフュスの無罪の可能性はなかなか世論に受け入れられなかった。
ゾラはこの事件の裁判に問題を感じ、再審を求めた。1898年、ゾラは大統領にあてた公開書状「われ弾劾す」を『オーロール』紙に掲載した。
ドレフュス事件にかんする当時の画像
「われ弾劾す」
この公開書簡で、ゾラは言う。この冤罪事件で、真実を語る勇気を持つのだ。自分の義務は、この茶番劇の共犯者にならずに、声を上げることだ。 そうしなければ無実の男が、犯してもいない罪のために最も恐ろしい拷問を受けることになる。
ゾラはこの事件の元凶として、クラム少佐を名指しする。クラム少佐はこの事件の予備調査を担当した。クラム少佐がどのような不正と悪事によってドレフュスを犯人に仕立て上げたかを、ゾラは論じていく。
さらに、ゾラはこの事件の背景に、宗教界の問題や、「汚れたユダヤ人」というフランス社会の誤った通念があると指摘する。
多くの将軍たちがドレフュスの一件を調査し続けた。ドレフュスが無実であり、エステルハージが有罪だということをつかんだ。だが、世論の反発などを考慮して、彼らはドレフュスの無実さを公表しなかった。
ピッカート中佐はこれに抗議した。だが、参謀本部は真実を明らかにしようとしなかった。ピッカートは所場された。このようにして参謀本部もまた罪を犯したのだ。
ゾラは陸軍省を愚かさの巣窟と呼ぶ。陸軍省はマスコミとともに反動主義と不寛容の情熱を煽ることで罪を犯した、と。これを野放しにすれば、忌まわしい反ユダヤ主義によって、自由を愛するフランスを破壊することになる、真実と正義が切望されている。だが、真実は前進し、勝利する。このゾラの告発からすべてが始まるのだ、と。
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以上の公開書簡により、ドレフュス事件にたいする世論は大きく割れた。ドレフュス事件は当時のフランスのその他の問題と結びつき、政情を大きく揺さぶる問題に発展していった。
イギリスでの亡命生活
このようなきっかけをつくったゾラは軍から名誉毀損で訴えられ、裁判にかけられた。ゾラは1899年まで、イギリス亡命を余儀なくされた。
亡命生活はつらいものだった。パリの北駅を出発する時、ゾラは最愛の妻との別れを悲しんだ。イギリスについても、安心はできなかった。フランス当局による身柄の引き渡しを避けるために、偽名を用いた。さらに、かなり頻繁に住居を変えなければならなかった。ゾラは亡命生活を生涯で最も不幸な時期だと感じた。
ゾラにはイギリスの食事は合わなかった。英語という言語の壁もあった。ゾラは最後まで英語をほとんど習得できなかった。
とはいえ、イギリス生活を愉しんだ面もあった。緑豊かな田舎生活などである。また、ゾラは田舎などで写真を好んで撮影した。写真家という側面ももっていたのだ。
ドレフュス事件の顛末
ドレフュスへの判決はついに覆った。ゾラは帰国後、1901年には、『真実は前進する』を公刊した。
これはドレフュス事件にかんする評論集である。1902年、ゾラは一酸化炭素中毒で没した。ドレフュス事件でのゾラへの反対者による陰謀で殺害されたという説もある。ゾラの葬列には、ドレフュスも参列した。
『居酒屋』のあらすじ
22歳の女性主人公ジェルヴェーズは、恋人のオーギュスト・ランティエとプラッサンからパリに出てきた。クロードとエティエンヌというふたりの子供も一緒に連れて出てきた(エティエンヌはゾラの代表作『ジェルミナル』の主人公になる)。彼らは場末の安い地区に住んだ。だが、ランティエは間もなく金を持って出ていってしまう。
ジェルヴェーズはランティエに捨てられて、一時的に気が動転した。だが、持ち直して、洗濯女として勤勉に働き始めた。隣人の労働者クポーがジェルヴェーズに言い寄るようになり、二人は結婚した。
当初、結婚はうまくいった。二人の間には可愛らしい娘アンナ(通称ナナ)が生まれた。近所の人々からも祝福された。二人には多少の経済的余裕もできた。
だが、事態は悪化していく。クポーが屋根から落ちて、足を骨折した。自宅での看病で、貯金は底をついてしまった。クポーは高い場所に上がるのを怖がるようになり、まともに仕事にいかなくなった。
その代わりに、居酒屋(本書のタイトル)に入り浸るようになった。それでも、ジェルヴェーズは懸命に洗濯女として働いた。隣人から融資を受けて、自分の洗濯屋を開業することもできた。だが、クポーはますます酒に溺れ、彼女の稼いだ金を使い果たし、暴力を振るうようになった。
このような状況で、冒頭のランティエがふと家に戻ってきた。クポーと馬があったため、彼らの家に居候し始めた。酒飲みで働かない二人の男をジェルヴェーズは食わせることになった。だが、次第にジェルヴェーズも精神的に疲弊していく。ついに彼女自身も酒に溺れ始めた。洗濯屋を開業するための借金の返済も滞った。
ジェルヴェーズ夫妻は落ちぶれていった。夢だった洗濯屋も手放した。スラム街に引っ越しせざるをえなくなった。クポーは精神に支障をきたし、精神病院にはいった。ナナはこの腐敗した家庭から逃げるように出ていった。
ジェルヴェーズは生活のために売春をする。その頃、クポーがついに激しい発作で死んだ。ジェルヴェーズは路上で物乞いと売春をして暮らした。隣人からも忘れ去られた頃、階段下で死んでいるところを発見された。
ゾラと縁のある人物
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ゾラの肖像写真
ゾラの主な著作・作品
『ニノンに与えるコント』(1864)
『テレーズ・ラカン』(1867)
『居酒屋』(1877)
『ナナ』(1880)
『実験小説論』(1880)
『自然主義作家論』(1881)
『ジェルミナール』(1885)
『制作』(1886)
『獣人』(1890)
おすすめ参考文献
エミール・ゾラ『エドゥアール・マネを見つめて』神田由布子訳, 東京書籍, 2020
田上孝一編『「人間」の系譜学 : 近代的人間像の現在と未来』東海大学出版会, 2008
Brian Nelson, Émile Zola : a very short introduction, Oxford University Press, 2020