プレスター・ジョン:伝説上の東方の強大なキリスト教君主

 プレスター・ジョンはキリスト教の伝説上の王である。単なる王ではなく、計り知れない富と権力をもつキリスト教王国を治め、東地中海エリアの争いで他のキリスト教徒を助けに来ると期待された強大な王である。このような王が実在すると信じられたが、実際には実在しなかったので、伝説上の人物である。

 現時点では伝説上の人物だとわかっているが、12−17世紀あたりには、本当に実在すると多くのヨーロッパ人によって思われていた。すなわち、当時は、多くの人は彼を伝説上の架空の人物だとは思っていなかった。だからこそ、これからみていくように、プレスター・ジョンの伝説は歴史的に重要な影響をもつことになる。

プレスター・ジョン伝説の背景

 十字軍

 プレスター・ジョンの伝説が文書で確認されたのは、12世紀においてである。11世紀末、西欧のキリスト教の王たちと教皇が有名な第一次十字軍を開始した。聖地エルサレムをイスラム教の支配から奪い返すという目的で行われた戦争である。これは成功し、エルサレムにはヨーロッパ人のラテン王国が建設された。

 だが、イスラム勢力は巻き返しを図り、両者はエルサレム周辺の中近東エリアで争いを続けることになる。12世紀後半には、イスラム教のサラディンがエルサレムをヨーロッパ人から奪い返すのに成功する。

 その後も、ヨーロッパ人は十字軍を派遣し続けることになり、このエリアでの争いは断続的に続く。この十字軍がプレスター・ジョンの伝説の重要な背景の一つである。

 他の背景:使徒トマスの伝説

 もう一つの重要な背景として、使徒トマスの伝説がある。キリストには多くの弟子がいた。そのうちの一人が使徒トマスである。聖書において、使徒トマスは東方へとキリスト教の宣教に旅立ったとされる。そのため、トマスは東方でキリスト教を広めて死んだと考えられた。
 その後、キリスト教が定着するに従い、内部対立が生じた。ネストリウス派が異端として断罪され、東方へ移動していった。何世代もかけて、インドや中国にも移動していった。これら東方のキリスト教徒もまた、プレスター・ジョン伝説の背景である。

 1122年の出来事

 1122年、ヴァチカンの教皇庁の宮廷に、ある男がやってきた。彼はインドのキリスト教の総主教だと名乗った。彼は教皇と謁見し、インドでのキリスト教の状況についてこう語った。

 インドにはキリスト教の強大な王たちがたくさんいる。彼らは金銀財宝をもった裕福な王たちである。そこには、善良なキリスト教徒が多く存在する。というのも、かつて使徒トマスがインドにキリスト教を弘めたからだ、と。
 この知らせは教皇たちを喜ばせた。ヨーロッパは中近東エリアでイスラム勢力と争っている最中である。ヨーロッパとインドのキリスト教の王たちが協力し合えば、イスラム勢力を駆逐するのに成功するだろう。教皇たちはこのような期待に胸を躍らせた。ただし、この時点では、プレスター・ジョンの名前はでていない。

 プレスター・ジョン情報現る

 1144年、ラテン王国はエデッサの基地を奪われた。その際に、教皇は現地の司教から、プレスター・ジョンについての報告を聞いた。東方の裕福で強力なキリスト教徒の王プレスター・ジョンは、聖書の三賢者の一人の子孫である。彼がエルサレムのキリスト教徒を助けるために駆けつけようとしている、というのだ。

 これがプレスター・ジョン伝説の基本的な内容となる。すなわち、ヨーロッパのキリスト教徒とともに、東方からイスラム勢力に立ち向かう強大なキリスト教の王である。

 この伝説を広める上で、この時期のドイツのシトー会修道士のフライジングのオットーが重要な役割を果たした。彼は『年代記』で、プレスター・ジョンの「活躍」を記した。

 プレスター・ジョンはネストリウス派のキリスト教徒であり、ペルシアなどに戦争で勝利して大きな王国を立てた裕福で強大な王である。聖地エルサレムのために戦っている、と。

 プレスタージョンの書簡

 1165年頃、プレスター・ジョンからビザンツ皇帝マヌエル1世コムネノスに宛てたとされる手紙がヨーロッパに出回り始めた。 そこでは、プレスター・ジョンは諸王の王であり、徳や権力そして富のすべてにおいて、この世のあらゆる王を凌駕していると書かれていた。

 インドの賢明なバラモン教徒さえもプレスター・ジョンの臣下である。インドは宝石と黄金の国である。領地のキリスト教徒は比類のないほど信心深い、と。 このような書簡がラテン語版だけでなく、ヘブライ語版やスラブ語版などで流布していった。
 12世紀後半のローマ教皇はこの書簡に返信を書き、公刊した。そこでは、プレスター・ジョンをインドの「インドの輝かしい大王」と呼んでいる。
 十字軍が断続的に行われる中、ヨーロッパ人はプレスター・ジョンが助けに来るのを待った。13世紀初頭に第五回十字軍が行われたときのことだ。インドのキリスト教の王が東方のイスラム教徒を攻撃しており、西欧のキリスト教の十字軍を助けるために向かっているという噂が流れた。

 モンゴル帝国とプレスター・ジョン

 だが、この時期に東方からやってきてイスラム勢力と戦っていたのは、実際にはモンゴル帝国であった。いわゆる元である。日本への征服は元寇として知られる。モンゴル帝国はそのまま西へ、ヨーロッパへと侵略していった。1240年には中央ヨーロッパで大きな被害をもたらした。
 これにたいし、西欧の諸侯は防戦しながらも、どう対処すべきかを話し合った。まずは、モンゴル帝国についての情報収集を始めた。1245年、教皇インノケンティウス4世が派遣したカルビニらの使節団である。

 この使節団はモンゴルの裕福で強大なことを目の当たりにした。カルビニや、この時期のマルコ・ポーロらは、プレスター・ジョンと呼ばれてきた人物が実際には誰なのかを推定しようと試みている。
 プレスター・ジョン伝説は、モンゴル帝国へのヨーロッパ人の態度形成に影響を与えたと言われる。教皇らは、モンゴル帝国を強大な軍事国家とみなした。さらに、イスラム勢力と戦うための同盟相手にしようと決めた。

 まず、東方のモンゴル帝国にキリスト教を弘め、彼らをキリスト教に改宗させる。そのうえで、モンゴルのキリスト教の皇帝とともに、イスラム勢力を挟み撃ちにするのである。

 まさに、モンゴルの皇帝をプレスター・ジョンにしようとする計画だったともいえる。ただし、そもそも改宗が進まなかったので、この計画はうまくいかなかったが。

 大航海時代とプレスター・ジョン

 大航海時代は、1415年、ポルトガルがアフリカ北部の都市セウタを陥落させたことから始まる。その後、ポルトガルとスペインはヨーロッパ諸国のなかで先陣をきって、大航海時代を牽引していく。

 まずはアフリカ大陸の西海岸沿いを探検航海によって南下していく。結果的にみれば、そのまま喜望峰まで南下し、そこを廻ってアフリカ東部まで行き、インドへ到達する。いわゆる東インド航路をヴァスコ・ダ・ガマが開拓することになる。

 その過程で、プレスター・ジョンの伝説がアフリカ探検や航海の原動力として重要になっていく。その際に、アフリカ東部のエチオピアが鍵を握る。
 エチオピアは使徒の時代にキリスト教が到達したと考えられていた。そのため、ヨーロッパ人にとって、アフリカの中でも特別な国と認識されていた。14世紀後半から17世紀にかけて、エチオピアの統治者はヨーロッパの本や外交文書で「プレスター・ジョン」と呼ばれるようになっていた。

十字軍とアフリカ探検

 ポルトガルはアフリカ探検において、十字軍の精神を抱いていた。もともとは、ポルトガルやスペインのイベリア半島からイスラム勢力を追い出すレコンキスタが十字軍の精神で行われていた。ポルトガルは自国でのレコンキスタを14世紀には完了させた。

 その勢いで、ポルトガルは地中海を越えて、十字軍の精神をアフリカ大陸に持ち込んだ。当時のアフリカ大陸には、イスラム教の国が多く存在した。そのため、ポルトガルは探検と同時に征服も試みた。

 その過程で、アフリカにプレスター・ジョンという同盟者がいるはずだと期待をもつようになった。ポルトガルの大航海時代で有名なエンリケ航海王子はプレスター・ジョン探しを探検航海の目的の一つに組み込んだ。15世紀末には、ポルトガル王ジョアン2世もまた、同様の政策を遂行していった。
 ただし、プレスター・ジョンの位置づけが変わっていったと指摘されている。かつて、プレスター・ジョンはイスラム勢力を挟み撃ちするための強大で裕福な頼りになる同盟相手だった。

 ポルトガルが大航海時代で成功し、強大な帝国を築く中で、世界の強大国としての自負を高めていく。その結果、プレスター・ジョンの助けを乞い求めるような関係ではもはやなくなった。むしろ、強大な帝国たるポルトガルこそが、プレスター・ジョンのイスラム勢力との戦いに助力してべき大国と自認するようになった。

 プレスター・ジョンと縁のある人物

●インノケンティウス 4 世:13世紀なかばのローマ教皇。中世の精力的な教皇の一人として知られる。神聖ローマ皇帝と激しく対立した。モンゴル帝国のヨーロッパ征服という当時の危機に対応し、後述のように、むしろこの絶体絶命のピンチをチャンスに変えようと果敢に試みた。
インノケンティウス4世の記事をよむ

●エンリケ航海王子:15世紀ポルトガルの王子モロッコのセウタを攻略し、ヴェルデ岬やマデイラ諸島、シオラレオネなどを探検航海した。エンリケ航海王子の生涯と功績を知ることで、ポルトガルがどのような背景や目的で大航海時代に乗り出し、なぜインド貿易を欲するようになったのかを理解することができる。
エンリケの記事をよむ

 おすすめ参考文献

Robert Silverberg, The realm of Prester John, Ohio University Press, 1996

Manuel João Ramos, Essays in Christian mythology : the metamorphosis of Prester John, University Press of America, 2006

Adam Knobler, Mythology and diplomacy in the Age of Exploration, Brill, 2017

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